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2008年02月13日
少女が犠牲にならなければ怒れないのか
95年に沖縄で少女が暴行された時、沖縄では8万人を超える抗議集会が開かれ、それが沖縄の米軍基地縮小の動きにつながった。ところがその動きもいつの間にか消え去り、なくなるはずの普天間基地も、沖縄内部のたらいまわしで、名護市にもっと強固な最新飛行場が建設されようとしている。
かつて私は沖縄で講演に招かれた時にこう言った。「少女が犠牲になった時しか怒れないとすればあまりにも悲しすぎる。大人たちは情けないと思わなくてはならない」と。
今回起きた少女暴行事件によって皆が怒りまくっている。福田首相、高村外相、石破防衛相、仲井真知事、みんな怒りの言葉を吐いている。しかしその怒りはよそよそしい。
なぜか。それは、その怒りが米軍基地の存在に向けられていないからだ。米軍再編を進めようとしているこの時期に、「なんと馬鹿な事件が起きたんだ」という、間の悪い事件そのものに怒っているに過ぎないのだ。そこには少女の犠牲へのまなざしはない。
同様の事はメディアの取り上げ方にも言える。新聞休刊日であったせいで各紙とも一日遅れの間延びした記事であった。タイミングを逸した記事ほどつまらないものはない。しかしそのせいだけではない。記事の内容そのものがつまらないのだ。怒りの矛先は在日米軍の必要性に向かわなくてはならないはずだ。しかしその事に言及する記事は皆無である。
野党の反応も同様である。野党第一党の民主党は米軍再編に反対ではない。テロ特措法反対で懲りた民主党の姿は見えない。護憲政党の社民党や共産党は国民運動を起こすだけの影響力はもはやない。沖縄問題は政局にならないのだ。
この機会に日米安保体制の是非を国民的議論にまで発展させる政治家があらわれない事を残念に思う。
冷戦が終わって久しい今日において日本を攻めてくる仮想敵国はもはや存在しない。仮にそれが北朝鮮であるとしても米軍再編はそのために進められるものではない。米軍再編は米国の安全保障政策の変化によって行われるものだ。その変化とは、もはや米国の唯一、最大の脅威はテロであるという米国の認識から来ている。場所、時間を予測できない永遠のテロとの戦いに備えるために米軍を再編する、そのために日本の基地と自衛隊を変えていく、これが米軍再編である。日本を守ることではない。
日本の安全保障という観点から見た場合、米軍再編に協力する必要も意義もない。それにもかかわらず、米国の言いなりになって協力を続ける政府。それを許すメディア、有識者、国民。
これは単なる知的怠慢でしかない。米国従属を仕方がないとあきらめる自己喪失だ。そんな国に明るい将来があるはずはない。
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