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昨日は時間があったので予算委員会の質疑をNHKの中継で観た。全部をみた訳ではないのが、福田首相というのはいったい何者なのかと感じざるを得なかった。人の良いお爺ちゃんというより、自分が総理大臣だということをまったく自覚していないとぼけた老人に過ぎないと私は思わざるを得なかった。これでは白熱した論戦など期待できる筈はない。これからの論戦は、福田首相の実体を明らかにし、このようなとぼけた老人をトップに据えている自公“合体”政権の危うさ・無能さを明らかにすることに焦点を絞った方がいいのではないだろうか。 議院内閣制における議員、とりわけ衆議院議員の任務は総理大臣を選任することである。だから私は総選挙が終わった後、あいさつ回りは勘弁させていただき直ぐ国会に出てきた。政権党はもっとも優れた政治家を総理大臣に選出する義務があるのである。それが総選挙で国民から衆議院議員に選出された者のいちばん重要な任務なのである。私は後輩たちにもこのことを口が酸っぱくなるほど話した。総選挙後の特別国会ではもちろんだが、そうでない時における総理大臣の選出も同じである。だから福田康夫氏を総理大臣に選出するとき、自民党や公明党は本当に福田首相で良いのかと疑問を呈したのである。 しかし、自公“合体”政権は福田首相を戴くことにしたのである。野党にとってこれは絶好のチャンスなのである。福田首相の無能さ・無責任さ・出鱈目さを徹底的に追及し、それを浮き彫りにすることが野党の質問の主眼でなければならない。とぼけた老人を相手に知識をひけらかして威張ってみても、それは意味はない。国会の論戦には目的があるのである。その目的とは、福田内閣を追い詰めることである。福田首相の無能さ・無責任さ・出鱈目さを浮き彫りにし、政権交代をなにがなんでも行わなければならないのだと国民に感じさせることなのである。 それにしてもチャラチャラと答弁に立ちたがる大臣はいったい何なのだろうか。大臣というのは総理大臣の補佐官ではないのだ。総理大臣がすべての所掌事務に対して最高責任を持っているわけではない。ある所掌事項については、担当大臣がわが国の最高責任者なのである。総理大臣は任命権と罷免権をもっているだけなのだ。だから問題によってはあまり“そーり、ソーリ”というのも本当は疑問がない訳ではない。いい加減な答弁をペラペラと喋る大臣の責任を追及するのも大切なことなのである。 それでは、また。 |
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