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2008年02月08日
内橋克人と原田泳幸
強者が弱者を抑圧する事があたりまえのようになっている最近の風潮の中で、注目すべき東京地裁判決が続いた。
一つは、君が代斉唱時に起立しなかったことを理由に再雇用を拒否した東京都教育委員会に対し「裁量権を逸脱した違法」であるとして賠償を命じた判決であり、もう一つは、日本マクドナルドに対し店長は管理監督者ではないと残業手当を認めた判決である。この流れが続く事を願う。しかし現実はそうならないだろう。この事をマック判決に思いを走らせて書いてみる。
マック判決について二人の好対照な反応が新聞で報じられていた。二人とは内橋克人と原田泳幸である。内橋克人とは優勝劣敗の新自由主義に厳しい批判のまなざしを注ぎ続けている経済評論家の事であり、原田泳幸とは訴訟の当事者であり被告である日本マクドナルド社の取締役兼会長の事である。
2月7日の朝日新聞オピニオン欄で内橋は次のように述べていた。すなわち今回の判決が暴いたものは、労働時間を延長せざるをえない立場に勤労者を置きながら、支払うべき労働の「対価」を支払わずに済ませる、知的練磨にたけた「姑息術」の蔓延ぶりである。それは日本マクドナルド社に限ったことではない。企業は管理職という名札を乱発するだけで、人員を増やすことも残業代を支払う事もしない。すべての対価は生命を削って働く生身の人間に押しつけられる。「偽装管理職」とはまさに究極の人間合理化策である、と。
そして内橋は続ける。この数年、多くの労働者保護法が、労働規制緩和の名の下に葬りさられ、「偽装管理職」を追認するような幾多の法改正(ひところ騒がれたホワイトカラーエグゼンプションなど)が、経済界の渇望のもと待機中だ。私たちは企業社会の「経済的不道徳性」を突く鋭さを磨くほかにない。マック訴訟の原告・高野広志さんの勇気が尊厳ある労働への道を拓く、と。
これに対して好対照の反応を見せたのが日本マクドナルド社の原田である。多くの外食・小売業界ではすでに残業代支払いに切り替えている中で、コンビニ界最大手のセブンイレブンの対応が注目されていた。そのセブンイレブンが、判決後初めての企業として、店長に残業支払いを行う制度に切り替えたというニュースが8日の報道で流された。
その同じ日の報道で、日本マクドナルド会長の原田泳幸は、店長の給与水準が業界トップであることを誇示しつつ、「就労時間に関係なく成果を求められるのが管理職だ」と言って、制度を変更するつもりはないとの姿勢を見せた。控訴も辞さない態度である。大幅増益を発表した記者会見の席での発言である。調理日時を改ざんした不祥事の反省はとっくに忘れているかの如き強気の発言である。
私はもちろん内橋克人の側に立つ一人だ。しかし私が言いたい事はそれではない。今の日本では原田的な経営者が多数存在し、彼らの経営姿勢を評価する者たちもまた国民の中に多数いるという現実である。内橋の論理を受け入れる企業人はむしろ少ないとさえ思える。
私は思う。日本という国は、国民の考えがどんどんと二極化しつつあるのではないか。いや大多数の国民は中間層に違いないが、その中間層の国民が消極的ながらもどんどんと強者の論理にひきずられようとしているのではないか。そして強者が弱者に優越する社会が固定化しつつある。強者の中に弱者を思うものが少なくなる一方で、弱者の多くが強者に従属して我慢するようになりつつあるに違いない。
その事は、とりもなおさずこの国に政権交代が起こらない土壌を作っているのだ。政治が国民をつくり、国民は政治の大勢に従うものなのかもしれない。
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