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2008年02月08日
論戦をするほどに政権交代が遠のく
ここにきて政治が急速につまらなくなった。なぜか。それは国会が政局から政策論争に方向転換したからだ。政権交代は遠のいた。しかも、たとえ将来新しい政権が出来ても、それは国民の多くが期待している真の政権交代ではなく、自民党的な体質を受け継いだ保守連合や新党絡みの連立政権という形で行われるに違いない。そして政・官支配体制というこの国の形は続いていく。
8日の社説において、たとえば読売新聞が「民主党は『道路で』対案を示せ」といい、朝日は「論戦で(ガソリン税の)修正の糸口を」と書く。それは一見正論に思える。しかしその正論が正論として意味を持つのは、日本の政治が、政党を離れて国民のために正常に機能しているという大前提がある。論議を尽くした結果、与党や官僚が、自らの立場や利害を離れ、国民のためにこれを受入れるという政治が不可欠である。現実は決してそうなっていない。
かつて小泉元首相は、共産党の議員がどんなに正しい事を言ったところで、「それは共産党の考えだ」という一言で片付けた。国会答弁で一蹴した。それに対して共産党議員はなすすべがなかった。
民主党は野党第一党である。日本共産党と違って国民の幅広い支持を得ている。しかし政府・与党の野党に対する対応は基本的には同じである。官僚支配と一体になった自公政権は、そのシステムを崩そうとする野党の主張を受け入れる事はない。議論で負けても譲らない。そもそも議論が成り立たないのだ。官僚として国会審議のカラクリを見てきた私はそう断言する。
新年度予算案をめぐる国会論戦が始まり、テレビが毎日それを放映し、新聞にもその詳細が報じられている。議論はなされている。民主党は対案を出している。それでも議論が発展しないのだ。
与党政治家の八百長質問は論外としても、菅直人といい、岡田克也といい、蓮ボウといい、長妻昭といい、どんなに政府の非を問い詰めたところで議論が深まることはない。どんなに政府の政策の不正、不明が明るみになっても、言い逃れ一つで終わってしまう。
暫定税率が30年も続いているのはおかしいと言えば、あと10年は必要だと言い、ガソリン税を下げろと言えばその財源はどうするとやり返す。道路ばかりに予算を使うのはおかしいと言えば、必要な道路は造らねばならないと言う。特定道路財源の流用がばれれば、改めると頭を下げる。どんなに議論をしても深まる事はない。
政治の本質は権力の奪い合いだ。それは、司法権、警察権、徴税権といった国民の安全と暮らしを支配する権力である。その権力が国民の利益に反し、国民の生活を脅かす時、最後の手段は力ずくでこれを取り戻すしかない。かつての市民革命がそれであった。今や民主主義の世の中では暴力革命は許されない。だから国民は政治家に思いを託す。政権交代は民主主義国家における民主革命なのである。支配者と被支配者が交代するのだ。主客逆転するのだ。だからこそ欧米諸国の全ての民主国家で政権交代が起きている。最近の豪州に至っては長期政権を誇った首相が、特段の非があった訳ではないのに、政権を手放したばかりか、自らが落選までしている。
なぜ日本で政権交代が起こらないのか。何があっても権力を手放そうとしない自公政権の執念が強いのだろう。野党の指導者に国民を奮い立たせる指導者がいないのだろう。政権交代を求めるほどいまだ国民生活は悪化していないのだろう。日本国民が権力に対してあまりにも従順なのだろう。日本のメディアの反骨精神が希薄になっているのだろう。おそらくそのすべてが真実であるのだろう。
当分は不毛な政策論争ばかりが続くことになる。
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