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映画『母べえ』を観る(井手敏博の日々逍遥)
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投稿者 gataro 日時 2008 年 1 月 31 日 21:25:15: KbIx4LOvH6Ccw
 

(回答先: 映画「母(かあ)べえ」を観てきた 治安維持法下、けなげに生きる一家を描く 全編ただ涙あるのみ(どこへ行く、日本。) 投稿者 gataro 日時 2008 年 1 月 31 日 21:15:51)

映画「母(かあ)べえ」を少し斜めから見た面白い感想も紹介しておきましょう。

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http://idetoshihiro.spaces.live.com/blog/cns!FF3C8BA57E1A067D!1733.entry

1月31日
映画『母べえ』を観る

 山田洋次監督の映画とは人情映画なのである。寅さんの兄妹愛、藤沢時代劇の夫婦愛。主役は殿様でも財閥でもない名もなき庶民である。背景を丁寧に描かれた美しい(もはや喪われた)日本の自然が流れていく。目頭が熱くなるというものだ。

 『母べえ』を観た。さすがに山田洋次はエンターテイメントとしての映画のツボを心得ている。前回の『北の零年』で心配した吉永小百合も役どころにはまって安心して観ることができた。ボランティアとしての原爆詩の朗読という実人生ともシンクロして無理がない。監督は「茶の間を大きな時代が通り過ぎていった映画」との比喩にわが意を得た思いであったという。時代の寒風はただ通過しただけではない、その冷厳な風はもっとも可憐で良質な枝葉をボロボロ飛ばし去っていったことを忘れてはならないだろう。俯瞰的な作品批評は適任の方がやられるとして、私は気がついたいくつかを記しておきたい。

 物語は作中の「照べえ」である野上照代氏のノンフィクションを素材として劇映画化したものである。治安維持法で検挙された坂東三津五郎の「父べえ」である野上滋は本名野上巌(筆名新島繁)といい、山口県出身で東大卒の(ドイツではなく)イタリア文学者で文芸評論家。劇中では昭和17年正月に獄死するが、実際は戦後も左翼文学者として活躍した(1901〜1957)。どの程度の論客だったか知らないが、幸い青空文庫に宮本百合子の書評が掲載されているので参照されたらいい(*)。

 彼が権力の弾圧を受け(逆にいえば、思想犯罪を犯さ)なければ、とても名もなき庶民ではない。笹野高史の特攻刑事が言うように「本来なら高等官さま」だから、それはそれなりの階級である。母べえだって教職に就けるのだから師範か高女は出ている。当時の日本にあってはすこぶるつきの知的エリートであり、父が獄中にあっても長女の「初べえ」は当たり前に高等女学校に行ける家庭なのである。

 父べえを広島出身にしたのは白砂青松を思い出させたかったというよりも、檀れいの野上久子(父べえの妹)が原爆死するための伏線である。浅野忠信の山崎徹(父べえの教え子)の片耳を不自由としたのも、こんな人まで戦争に引っ張ったのかと思わせるためであろう。可憐で良質な部分だけではない、笑福亭鶴瓶の藤岡仙吉というカネがイノチの享楽家も吉野の山に野垂れ死ぬ(!)のである。脚本の勇み足かもしれないが、戦争の悲惨さを戦闘や被爆シーンでなく強調する方法のひとつかもしれない。

 中村梅之助の藤岡久太郎(母べえの父)も好演である。純粋な山口弁を達者にしゃべって懐かしかった。満州から引き揚げて15〜18歳を山口で過ごした山田洋次ならではである。たたき上げの警察署長あがりを見事に演じたのは、上京して警察の指定宿に娘と孫を呼んですき焼きを食べさせる場面。孫が卓子の上にこぼした生卵をもったいないと直接唇をつけて吸うのだが、そのエネルギッシュな下品さと国事犯の係累と成り下がった悲哀さを、セリフなしに表現する演技力は抜群であった。権力の腐敗とキャリアの動揺を一回きりの短い場面できりりと演じたのは杉本検事役の吹越満。大学で講義を受けた父べえに検事調べで対するが、傲慢と自信のなさを凝縮した演技は買える。

 それでも私は”よくやった第一”に鶴瓶をあげたい。マジメな知的階層だけで物語りはつむげない。父べえすら、万一革命が成功したとしたら、大学の学部長とかになって党の御用文学を吹聴するに違いないのだ。北朝鮮の胸いっぱいにバッジをつけた将軍たちのようにである。鶴瓶こそがもっとも生きている人間らしい存在感がある。ほかの人はキレイゴトにすぎないといったら言い過ぎだろうが、美と醜・善と悪・真と偽といった二項対立を乗り越えた役まわりは「トクしたな」であろう。檀と浅野は余裕なく熱演しているのが好感を持てる。吉永小百合はたまに横顔に齢の翳がよぎるが、長年のファンとしては好しとしよう。海を泳ぐクロール姿はまだまだ若かったのだから。

(補遺) この映画、公開は1月26日だが、山田作品の例に漏らず撮影は1年前には終えている。となると、脚本は2006年夏ころの脱稿だろうか? 小泉といい、安倍といい、夫婦愛も親子愛も知らぬ最高権力者が「戦後レジームからの脱却」なんぞ叫ばれてはたまらないと山田洋次が思ったかどうか、憶測することもおもしろい。

(*)新島繁著『社会運動思想史』書評 (1937) 宮本百合子全集 第14巻(新日本出版社)→http://www.aozora.gr.jp/cards/000311/files/3172_10827.html

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