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http://www.amakiblog.com/archives/2008/01/21/#000680
2008年01月21日
日経新聞が書いた「三極委員会の転機」
かつて私はこのブログで、日米欧という三極が世界を動かすと言う時代が、中国の台頭ですっかり色あせて来た、という事を書いた。
それを見事に解説してくれた記事を1月21日の日経新聞に見つけた。
「3極委員会 新たな転機」と題する日経新聞編集委員の春原剛氏の記事は、3極委員会の経緯を述べた後で、中国、インド、ロシアなどの新たな「地域大国」をどう取り入れていくかについて意見が割れている事、そしてそれらを加盟させていけば、やがて3極委員会は、「世界の針路を陰で決める」と揶揄される「ありがたみ」がなくなる、というジレンマに置かれている事を書いていた。
私が春原氏の記事で新たに勉強したのは、次のくだりである。
「・・・20世紀後半、急速な経済成長を遂げた日本を、何とか国際システムの中に受け入れなければならない。1972年、そう考えたデヴィッド・ロックフェラーは、当時、欧州社会の知的エリートが結集する協議体、ビルダーバード会議の運営責任者であるオランダ王家に日本受け入れを打診した。だが、その答えは期待に反して、「ノー」だった。
欧州からの帰途、ロックフェラーは、後にカーター米大統領補佐官になるズビグニュー・ブレジンスキーにこう提案した。「それならば、日本を主要メンバーとした新しい会議を創設しようではないか」
それから程なく、日本から宮沢喜一(後に首相)、大来佐武郎(後に外相)らを招いた勉強会を開催。翌73年10月、民間非営利の団体として「日米欧委員会」が誕生した・・・」
そして春原氏は次のように続ける。
「・・・現在では時事用語の一つにもなった『グローバリゼーション』の代名詞的な存在でもある三極委員会。皮肉な事に、その転機はグローバライゼーションの進展と共に訪れた。まず、90年代半ばに「欧州委員会」に中欧諸国が参加、2000年には「北米委員会」にメキシコが加わった。アジアでも日本委員会はアジア太平洋委員会と衣替えし、これに伴い、日本語名称もそれまでの「日米欧委員会」から「三極委員会」に改称している・・・」
そう書き綴った後で、春原氏は次のように締めくくっている。
「・・・かつてその特殊な生い立ちから『世界の針路を陰で決めている』とまで揶揄された三極委員会。だが、複雑さを増す21世紀の国際システムの中で、そのアイデンティティは良くも悪くも急速に薄れつつある・・・」
ビルダーバーグ会議なるものが世界を支配するインナーサークルの秘密結社かどうかは私は知らない。しかし、そこに入れてもらえなかった代わりにできたと言う日米欧委員会(三極委員会)なるものが、単なる勉強会以上の影響力のある存在であるとはとても思えない。少なくとも、日本側メンバーが、小林陽太郎富士ゼロックス顧問、緒方貞子国際協力機構理事長、経済評論家田中直毅、東大教授田中明彦、などと聞くと、とてもそのような集まりとは思えない。
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