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娘を盾に取るシオニスト親爺を発見しました。イスラエルの再建過程が近代国民国家体制の草創期(十九世紀末〜)と足並みを揃えてるのは確かなんですがね。
〜ニッポンの親パレスチナ言論への疑問編〜
この5月14日はイスラエルが1948年にユダヤ人の新しい国家として「イスラエル」の独立宣言をなした日から60年目であった。
日本のマスコミはあまり報道しないが、いわゆるパレスチナ問題を考えるとき、ユダヤ人の祖国への復帰運動としてのシオニズムを深く考察する必要がある。
朝日新聞5月15日の社説は、「パレスチナ60年」とのタイトルで、イスラエル国家によって難民となったアラブ・パレスチナ人の側に立った論調である。
また、14日の同新聞の朝刊も、「パレスチナ遠ざかる故郷」と題し、「イスラエルという国さえなければ、我が国パレスチナではオリーブの木がたわわに実をつけていたでしょう。」とのパレスチナ人の声を紹介していた。
朝日をはじめとした日本の報道は、一貫してパレスチナ寄りであり、アラブの難民がシオニズムの犠牲者であるとの極めて一面的な論調を繰り返してきた。
しかし、イスラエル国家の成立は、1900年の時を経てユダヤ人の父祖の地に国を再建するという出来事であり、歴史の現実とユダヤ民族の神的な啓示の垂直性が交差する出来事としても捉えなければならない。
1947年11月の国連のパレスチナ分割案を拒否し、イスラエルに攻撃をしたのはアラブ諸国であり、この第一次中東戦争がアラブ難民を出す結果となったが、そのことからイスラエルの強行路線を非難するのは間違っている。
シオニズム運動は、そもそも近代的なナショナリズムや国家主義と同一に考えるべきではない。
日本の保守派の人々も、ユダヤキリスト教=シオニズム=アメリカといった極めて短絡的な政治的視点にのみ立っている。
また、大江健三郎のような文学者もエドワード・サイードのようなパレスチナの思想家を持ち上げるが、20世紀のユダヤ教哲学者のアブラハム・ヘッシェルのような重要な思想家には全く目を向けようとしていない。
ヘッシェルは、ホロコーストを逃れてアメリカに渡り、60年代の公民権運動やベトナム反戦運動にも深く関わった神学者であり、シオニズムの真実の意味を語り続けた人物である。
こうしたユダヤ教の側の深い宗教性と思想性を捉えない限り、パレスチナ問題の根源的解決と中東和平の実現へのプロセスを見出すことは難しいだろう。
また、高橋哲哉のような左翼評論家がホロコーストの記録映画『ショアー』を喧伝しながら同じ監督が作った『ツァハール』(イスラエル国防軍)という映画には拒絶反応をしめしているのは、日本の知識人が政治的にしかパレスチナ問題を見ていないことの代表例であろう。
実に愚かしく、かつ情けないことである。
旧約聖書のイザヤ書第19章では、ユダヤ人とアラブ・パレスチナ人の和解の道を示す預言の言葉が記されている。
エレツ・イスラエル(約束の地)にユダヤ人が生きること、そしてイスラエルが自らの神の信仰においてパレスチナ人と和解すること、その神学的・歴史的・政治的決断と実践が今こそ求められているのではないか。
2004年にNTT出版より出した拙著『非戦論』でこの問題を一番強調したかったが、ほとんど理解されなかったのが残念である。
2000年の9月にエルサレムを訪れた時のことを思い起こしつつ、ヘッシェルが『イスラエル 永遠性のこだま』(教文館 森泉弘次訳)で示している中東和平へのビジョンの今日性を考える。
パレスチナ問題を真剣に議論するならば、少なくてもこのヘッシェルの本を是非とも読んでもらいたい!
幸一郎
〜娘のひとこと〜
父も本も是非読んでもらいたい!
ちなみに私は読んでませんが。
http://yaplog.jp/tomi-kou/archive/107