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【時事通信】 開戦5年前に日系人収容を検討=F・ルーズベルト大統領覚書
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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081202-00000222-jij-int
開戦5年前に日系人収容を検討=F・ルーズベルト大統領覚書
12月3日2時32分配信 時事通信
【ワシントン2日時事】1941年(昭和16年)12月8日(米時間7日)の日米開戦に先立つ5年前の36年(昭和11年)、フランクリン・D・ルーズベルト米大統領が対日有事を想定し、ハワイの日系人を強制収容所に収監する計画を検討していたことが2日までに、ニューヨーク州ハイドパークの同大統領図書館に保管されていた極秘の覚書から分かった。
日系人強制収容は、日本海軍機動部隊によるハワイ・オアフ島パールハーバー(真珠湾)奇襲攻撃に衝撃を受けたルーズベルト政権が「戦争ヒステリー」という異常な心理状態で、軍主導で急きょ実施したとするのが通説だが、同大統領は極めて早い段階で対日戦争を意識し、日系人隔離を自ら構想していたことが判明した。
覚書は海軍作戦部長にあてられたもので、36年8月10日付。関西学院大学非常勤講師の藤岡由佳氏(日米政治外交史)が入手した。同氏によれば、覚書は80年代に米国研究者によって発見されていたが、これまで日本の研究者には知られていなかった。
この中で、ルーズベルト大統領はハワイにおける日本側の秘密情報活動への危機感を背景に、「わたしに明確な考えが浮かんだ。日本船舶・乗組員に接触するオアフ島の日系人の身元を極秘に洗い出し、有事に際して強制収容所に最初に送り込む特別リストに氏名を記載しておくべきだ」と提案している。藤岡氏は「日系人収容は大統領自身が主導した可能性が出てきた」と話している。
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【関連ニュース】
・ 〔用語解説〕「日系人強制収容」
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最終更新:12月3日3時10分
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http://www.jiji.com/jc/zc_p?k=2008120200545&rel=y&g=tha
「日系人強制収容」
1941年12月、旧日本海軍によるハワイ真珠湾攻撃によって太平洋戦争が始まった後、当時のF・ルーズベルト米政権は、日系米国人を国防・治安上の脅威とみなし、西海岸から12万人以上を強制的に立ち退かせ、中西部に設けた10カ所の収容所に送り込んだ。その法的根拠は、大統領行政命令9066号で、裁判なしで住民を特定地域から排除する権限を陸軍に与えた。82年、米議会調査委員会は、日系人強制収容の本質は人種差別であり、政治指導部の失政と断罪。88年、当時のレーガン大統領が署名した日系米国人補償法は、重大な人権侵害を認め、米政府は被害者に損害賠償を行った。
(ワシントン時事)
(2008/12/02-14:41)
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http://www.jiji.com/jc/zc?k=200812/2008120200547
ルーズベルト・識者談話
◇注目すべき史料= 五百旗頭真・防衛大学校長(日本政治外交史)の話
この史料は、今まで日本では議論の対象になっていなかった。真珠湾攻撃後の日系人集団強制収容は米国の過剰な危機感の下、スチムソン陸軍長官の主導で実施されたというのが通説だが、ルーズベルト大統領が開戦5年前の平時から、日系人強制収容を考えていたことを示しており、注目すべき史料と言える。
強制収容は衝動的な行動だったのではなく、事前にそうした考えがあったことになる。
同大統領は若いころから、海上権力をめぐって日本の太平洋進出に危惧(きぐ)を抱き、日本を脅威とみていた。対日有事も念頭に置く踏み込んだ発言をしていることも注目される。
(ワシントン時事)
五百旗頭真(いおきべ・まこと)
(2008/12/02-14:41)
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