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最近、暇つぶしに読んでましたら、第二次大戦の対日参戦経験など、メデイアを通じた大雑把な印象とは異なっていて興味深かったです。
軍歴
PT109に乗船中のケネディ1941年の春にケネディは陸軍を志願したが、学生時代に受けた背中の傷のために拒絶された。しかしながら、夏に体を鍛え、その年の9月に海軍士官に任官、1943年3月には艇長としてパトロール魚雷艇を受け取り、第二次世界大戦中に太平洋戦線において様々な作戦に参加した。
ケネディ中尉が率いる魚雷艇、PT-109は、1943年8月2日にソロモン諸島のニュージョージア島の西を哨戒していた時に、大日本帝国海軍の駆逐艦・天霧との偶発的な接触事故によって船体を引き裂かれた。彼は痛めていた背中からデッキにたたきつけられたが、負傷者を命綱で結びつけ3マイル遠泳して、なんとか小さな島にたどり着いた。その接触事故を目撃した僚艇の乗員は、PT-109の乗員全員の戦死を確信し、基地に帰還後の報告でも乗員全員の戦死を報告(天霧側でも艇員全員が戦死したものと思い込んだ)。ゆえに友軍の捜索・救出開始まで一週間近くかかってしまい、助かったPT-109の乗員たちは飢えと渇きに苦しんだ。そして、友軍による数日の探索後に島民2人に出会い、ココナッツに刻んだメッセージが元で救助された(このココナッツは後年、ホワイトハウスの執務室に暗殺の日まで置かれていたという)。この時の部下を見捨てなかった勇敢な行動が、後の政治家としての資質評価に大きく寄与したとされる。
これらの行動について、ハルゼー海軍提督からの感謝状、名誉負傷章、海軍メダルおよび海兵隊メダルを受章した。しかしながら背中の傷はボートの上にぶつけた際に悪化し、さらにマラリアにかかり、1945年前半、終戦の数か月前に名誉除隊をした。後日談だが、1952年の上院選と1960年の大統領選の際には天霧の元乗員一同から激励の色紙を贈られている。