ケネディー大統領が、六二年のキューバ危機で、地球を核戦争一歩手前まで連れこんだ当時、その原因をつくったのは、キューバにミサイルを運ばせたソ違の第一書記ニキタ・フルシチョフであった。このフルシチョフについては、ケネディー大統領の愛人どころではない秘密がありながら、今日まで少なくともこの日本では、まったく事実が認識されていない。 ソ違の公式の記録では、彼は若い頃、ウクライナとロシアにまたがるドネツ炭田で働く生粋の労働者だったことになっている。 ところが、フルシチョフ家は、かつての大帝国を築いたロマノフ王朝に仕えるロシア貴族であり、そればかりか、このロマノフ家と直接の縁戚関係にあった。 つまりソ連共産党第一書記ニキタ・フルシチョフの大伯父イワン・フルシチョフは、ロマノフ家の侍従武官であり、その妻ヴェラもロシア貴族で、その“はとこ”がコンスタンティン・リヴォフだった。レーニンによるロシア革命が成功した一九一七年、最後の皇帝ニコライニ世によって臨時政府首班となったのが、その一族のゲオルギー・リヴォフであり、これはロシアの大貴族である。 このようにロマノフ家の貴族同士が結婚することは何でもないことだが、その一人が、帝政を倒したソ連共産党の第一書記として君臨し、ベルリンの璧を束ドイツに築かせ、キューバ危機でケネディーとわたり合い、米ソ対立の冷戦時代を演出した経過について、史実は再びくわしく検証されなければならないだろう。 歴史家が、なぜこの矛盾を説明しないのか、私には今もって理由が分らない。 フルシチョフ家の系譜は、ソ連時代のロシアには残っていない。なぜなら、ロシア革命によって貴族は国を追われ、その多くがパリに亡命したからである。前述の首班リヴォフもパリに逃れて、亡命救済団を組織し、その団長となった。 彼らはその後、革命の父レーニンたちを倒す復権の機会をねらっていた。そして密かに、ロシア貴族の集団「ロシア貴族連合」を組織し、その系譜協会のニコライ・イコニコフ会長が膨大な記録を残した。『ロシア貴族』(La Noblesse de Russie)とフランス語で書かれた大全集である。 当時、彼らは資金に困っていたものと見え、タイプライターで貴族の名前と略歴を打ったあと、ガリ版刷りのような祇に印刷して、五十冊を超える大部の人名録を残した。 この書籍文書は、先年にヨーロッパでオークションにかけられ、幸運にも私が落札して入手できた資料である。そのような話は、これまで耳にしたことがない。国会図書館にもないので、おそらく日本では誰も待っていないのではなかろうか。 その系譜書に、フルシチョフ家の歴代人名が正確に記録されていたのである。最初は、そこにフルシチョフ家の名前があるのを見て、炭鉱労働者でソ連共産党第一書記と同姓の貴族がいると面白がっていたが、頁を繰るうち、そこに「ニキタ・セルゲイヴィッチ・フルシチョフ、一八九四年生まれ、ソ逓大統領」と書かれている箇所を発見して、飛びあがって驚いた。 当時のソ連に大統領はいなかったが、パリで発刊されたフランス語の記録なので、共産党第一書記と書かずに、首相兼務の肩書をこう表現したのである。 これまでフルシチョフの伝記類にはかなリ目を通してきたが、彼が貴族だったという事実を読んだことも間いたこともなかったので、にわかに信ずる気にはなれなかった。そこで、同書にあるフルシチョフ家の人物を他国の書物に当たってみた。たとえばドイツに亡命した人間がいた場合、その人間の記録を、ドイツの書籍で探してみたのである。イギリスやフランス、スイス、アメリカの記録とも照合してみた。 それらの記録は、それぞれが完全に独立した出版物だったが、生年月日、姻戚関係など、すべてが合致していた。フルシチョフ家だけでなく、すべての系譜記録が国境を越えて正確無比なものであった。こうして最後に分ったことは、フルシチョフ第一書記の再従兄(はとこ)セルゲイ・ピョートロヴィッチ・フルシチョフが、ドイツの銀行家となっていたばかりか、第一書記ニキタ本人の父も伯父も、ロシアの銀行家だったという事実であった。 貴族銀行家の息子が、炭鉱夫になったという話は、あり得ないことではない。ロシア革命後に貴族が排斥された社会主義国では、上流社会の人間が、自分の出自を隠さなければならなかったからである。しかしそれが本当だとしても、やはりわれわれが抱いていた“ずんぐりした体躯の労働者フルシチョフ夫妻”というイメージとは、まるで違うものである。ロシア料理のボルシチをもじって、フルシチと呼ばれたこの人物について、炭鉱夫は仮の姿であったと考えなければならない。 もう少し大胆な推測が許されるなら、炭鉱夫という履歴が、創作であったのではないかとの疑いをぬぐいきれない。そうなると、この貴族人名録を発刊したフランスが、労働者フルシチの正体を知っていたことになり、その後の外交と貿易に利用したはずである。事実、その先を調べてみると、フランスのヴァレリー・ジスカールデスタン大統領は、“赤い貴族”と呼ばれるソ連の商人と裏貿易を重ねていた。その後任のフランソワ・ミッテラン大統領の場合は、自分の一族が、直接クレムリンの領袖と姻戚関係をとり結んで、共産圏外交と貿易で利権をむさぼっていたのである。 ロシア史、ソ遅史、世界史について、真相を知リたいと願う学者やジャーナリストがわが国におられるなら、わが家にあるこの資料を一緒に検証してみたいと願っている。日本共産党の関係者にとっても、気がかりとなってしかるべきである。このような事実は、秘匿しておくべきものではなく、みなで知識を寄せ合って、史実をさらに深く据り下げるべきだろう。
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