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群馬県の伊勢崎市で多喜二祭が開かれるそうだ。日時は9月7日(日)、午後2時から。場所は伊勢崎市文化会館大会議室。現地見学会(要予約)は新伊勢崎駅集合で午前11時集合で行われる。
ところでなぜ伊勢崎で多喜二祭なのか?誰しも疑問に思うことだろう。多喜二が活動していた当時、群馬県の片田舎とプロレタリア文芸運動が関わりがあるとはとても想像できないからだ。ところがどっこいそうではない。
当時この地は無産者運動が盛んな所で、小作、養蚕、文化など、様々な活動が取り組まれていた。多喜二が中央幹部を務めていたナップの機関誌「戦旗」は、ずいぶん多くの読者を獲得し、日本でも有数のナップ支部ができていたのだ。当然多喜二は、この地に大いに関心を持っていたというわけだ。
1931年9月6日、多喜二は要請に応えて講演するため伊勢崎を訪れた。ところが講演に先立つ座談会が、無届け集会と見なされ多喜二以下、講師と地元主催者の大方が逮捕されてしまった。
伊勢崎が大変なことになっている!県内各地から急を聞いて駆けつけた無産運動家と講演参加のために集まった聴衆が、抗議に伊勢崎署に押しかけた。恐れをなした警官たちは逃亡。多喜二奪還を叫ぶ人たちは警察署を包囲占拠し、警察の応援部隊と大乱闘。その結果、和解が成立して全員が釈放された。「伊勢崎署占拠・多喜二奪還事件」の顛末である。
当時の模様を「無届け集会」と見なされた集会会場の主、菊池敏清さんが次のように語っている。
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http://podcast.yahoo.co.jp/episode/d8f93d41d62d03dd0c2194d84cf61a7b/2
エントリー名: 多喜二没後60周年(1993年) 菊池敏清さん講演「ありし日の小林多喜二」(Yahoo!ポッドキャスト)
1993年4月18日の多喜二没後60周年記念行事のテープが発見されたことは前にお知らせしました。菊池敏清さんは、既に故人となられましたが、佐波郡茂呂(もろ)村(現伊勢崎市北千木町・きたせんぎちょう)に生まれ、伊勢崎署占拠・多喜二奪還事件当時は東京帝国大学の学生で、ナップの会員でした。地元でナップの機関誌「戦旗」の普及につとめ、50部に及ぶ読者網を作り上げたと語っています。(他の文献で最高時には100部を越えたという記述もあります。)司会は、伊勢崎・多喜二祭の代表で、伊勢崎市議(日本共産党)を8期務めた八田利重さんが行っています。写真は若い頃の菊池敏清さんです。1941年頃のようです。(*写真は省略されている)
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【gataro註】
この地で無産者運動に取り組んでいた菊池敏清さんは、大地主菊池家の12代目。先代から引き継いだ小作地30町歩(約30f)を戦前に小作人に解放した。
上記には「戦旗」は「100部を越えたという」とあるが、伊勢崎市議(日本共産党)を8期務めた八田利重さんによれば、「最高時には250部といわれている」そうだ。