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『「火の文明」から「水の文明」へ』
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「ねじれ国会」が終った。今回は政治から少し離れ、文明を語ろう。
5月31日(土)、大阪歴史博物館で“イワクラ学会”のフォーラム2008が開か
れた。「イワクラ」は「磐座」のことであり、古代人が巨石を信仰し、神々が巨
石に降臨する場所を聖地とした。世界中の人類が共通してもっていた信仰である。
現在でもエルサレムの壁の中には巨石があり、それが宗教の争いの原点といわれ
ている。
「いわくら学会」は、平成16年5月に、建築家の渡辺豊和氏を会長に、当時の
長野県知事田中康夫氏、私らを顧問に設立したものである。古代人の信仰の研究
を通じて、環境問題などを学ぼうというのが目的である。フォーラムは、宗教人
類学者の植島啓司氏の講演「なぜ、人は聖地をめざすのか」、さらに遺跡写真家
の山田英春氏の講演「イギリス、アイルランドの巨石遺構について」、に続いて、
渡辺会長をコーディネーターに私が参加して植島、山田両氏でシンポジウムを行
った。
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『場所のもつ特別な力』
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植島氏は講演で、
「聖地には大きく分けて二つの定義がある。『場所そのものに特別な力がある』
とする考え方と、『その場所が特別重要な人物と関係している』とする考え方で
ある。多くの場合、われわれは聖地を後者と結びつけて理解し、信仰の一環とし
てその聖跡をたどることになるわけだが、それでもなお『場所のもつ特別な力』
について理解なくしては聖地の本質を理解したことにはならないと考えている。
そこはいかなる場所なのか、われわれにどのような変化をもたらすのか、ともに
考えていきたいと思う」
と問題提起した。
山田氏の講演は、ブリテン島、アイルランドの巨石遺跡、イングランドの巨石、
スコットランド・ウェールズの巨石、 アイルランドの巨石の写真を次々と紹介。
紀元前4000年頃から2000年頃の新石器時代に展開した数多くの巨石遺跡の謎に、
参加者一同目を見はった。
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『水球』
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私は、シンポジウムの冒頭、
「聖地とは、宇宙というか天というか神ともいえるものからの恩寵を受けること
ができる地点をいうのではないか。宇宙や神は、常に何かの情報を発信しており、
人間はそれを予感しにくいもので、受け手(レセプター)となることが難しい。
その受け手となるには、聖地といえる場所とレセプターとしての人間の感性が必
要だ。それだけでは足りなくて、情報受信器としての『磐座』がいるのではない
か。聖地と磐座とレセプターとしての人間の感性の一体化がきわめて重要となる」
と語った。
渡辺会長がコーディネーターとして、何度も提起したのは、これからの「イワク
ラ学会」のあり方であった。私の意見は
「決して古代の巨石文化の実証研究だけではないはずだ。例えば環境問題を考え
ても、理想的リサイクル社会は、三内丸山遺跡をみれば縄文時代にあった。古代
人の生活、信仰の実態を調査することで、21世紀に生きる人類の参考になるは
ずだ。視点を現代社会の混迷において、巨石遺跡を見直すという発想が必要だ」
というものであった。
このフォーラムで思ったことは、私たちが住んでいる星を「地球」と呼ぶのは間
違いではないかということだ。量と質からいっても「水球」と呼ぶべきではない
かということだ。巨石でも水を抜くと砂になる。水によって私たちは生かされて
いるのではないか。
そして、人間の文明は「火」をどう活用するかの歴史であった。その極限が核兵
器だ。「火の文明」を「水の文明」に変えること、これが21世紀の人類の課題
ではないか。>>