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http://news.livedoor.com/article/detail/3537010/
徹底検証! 邪馬台国シンポ。九州説VS畿内説で議論=福岡市
2008年03月04日07時39分
基調講演を行う吉村武彦氏。(撮影:徳島達朗、3月2日) 写真一覧(4)
【PJ 2008年03月04日】− 3月2日、福岡歴史ロマン発信事業実行委員会主催のシンポジウムが、福岡市天神の都久志会館ホールで開かれた。午前10時から午後4時20分までの長丁場であったが、熱心な邪馬台国ファンが聴講した。主催者によると、参加希望者は、関東から沖縄まで1100名もあり、抽選で600名にしぼったとのことである。このイベントは福岡県が力をいれている事業で、実行委員会事務局は県教育庁総務部文化財保護課内に置かれている。
プログラムは次のとおり(敬称略)。
基調講演「魏志倭人伝と邪馬台国」 吉村武彦(明治大学文学部長)
講演T [九州説]邪馬台国の成立と巫女王卑弥呼共立の過程 高島忠平(佐賀女子短期大学 学長)
講演U [畿内説]邪馬台国大和説の夢を語る 水野正好(奈良大学名誉教授)
討論 「九州VS畿内」
コーディネーター 西谷 正(九州大学名誉教授)
パネリスト 吉村武彦・高島忠平・水野正好
吉村氏は基調講演で次のように述べた。「魏志倭人伝」では、三世紀の列島史を伝える記事内容として、(1)魏からの距離・位置と国別の記述、(2)風俗・人文志などの社会記事、(3)魏と倭国との外交関係、の三部構成だ。
邪馬台国の所在地をめぐっては、古くから白鳥庫吉ら東京系学者の九州説と、内藤湖南ら京都系の近畿説とがあり、文献史学と考古学、日本語学者も巻き込んで激しい論争が展開されてきた。
倭人伝の記事では、帯方郡から朝鮮半島狗邪韓国を経て、倭人の住む対馬国に至る。各国の位置は、伊都国までは、@方位・A距離(里程・日程)・B国名の順で書かれているが、伊都国からの記述は、@方位・A国名・B距離と変化する。邪馬台国まで連続して読むのか、伊都国以降は伊都国を基点に放射式に読むのか解釈が分かれている。
邪馬台国は「女王の都する所」と書かれている。女王国である倭国の都(王宮)は、邪馬台国にあった。最近の研究では、卑弥呼は倭国の女王であったことが強調されている。
卑弥呼と魏との国際的交通にあたって、魏は贈物として、「五尺刀二口、銅鏡百枚」を授けた。刀や銅鏡という威信財の働きはどのような政治的役割があったのだろうか。銅鏡に対し、従来は、三角縁神獣鏡が強調されてきたが、画文帯神獣鏡を忘れるべきではない。
高島忠平氏は、巫女王の出現と卑弥呼の登場について、考古学の成果を紹介した。弥生時代中期初頭から前半の北部九州にみられる王の宗廟としての墳墓と祭儀の場の出現は、祖霊祭祀が確立し、社会での支配秩序として成長したことを物語っている。社会的に高い地位をもった職能を持つ巫女が登場するようになった。これは墳墓の埋葬様式とその変化に現れている。まず巫術の道具である多紐細文鏡や貝釧を副葬することに始まり、巫術の祭器は、祖霊の依り代として中国製の銅鏡が用いられるようになる。
女王卑弥呼は、祖霊神と人との間をつなぐ優れた霊力をもち、ある種の儀礼でもって神がかりとなり、ひとびとに、祖霊の託宣を告げる卓越した霊力を持つ巫女であった。2・3世紀には、三十の「国」を統治できるような巫女が出現していた。こうした経過を読み取れるのは北部九州以外にはない。巫女王成立の歴史的過程が読み取れないところには、卑弥呼のような巫女王は浮上できない。
水野正好氏は、邪馬台国大和説について、以下のように述べた。邪馬台国所在地論争の争点の一つは、道程・方角の記事にある。不彌国までの各国は遺存地名からその位置が想定される。問題は以後の邪馬台国に至る南への水行30日の記載にある。南の方角に導かれて九州東海岸の大分県宇佐市、宮崎県西都市、西海岸の佐賀県神崎市・吉野ヶ里が邪馬台国の候補地に挙げられているが、それは航海日数や途中の投馬国への考慮に欠ける。伊都・奴国の戸数1・2万戸を超える投馬・邪馬台国の戸数5・7万戸の戸数をこれらの候補地が具えるかも問題だ。王都に相応しい政治機構の遺構が見出されるかも問われるだろう。
そこで、注目すべき記事は、『隋書』の「則ち魏志の所謂(いうところの)邪馬台なるものなり」の一文である。推古天皇16(608)年4月、遣隋使小野妹子と共に来日した隋使の見聞が反映した記事だが、推古天皇の王都の所在する大和が『魏志』にいう邪馬台国であるとし、『魏志』の記事を訂正している。この記事は、北部九州の東に投馬、邪馬台国が所在することを教えている。『延喜式』には平安京と大宰府・備前国間の航海日程が30日と9日と規定されており、魏志の航海日程と符合し、倭国王都大和説が確固たる地歩を得ることになる。
討論では、九州説、畿内説ともに相譲るところはなく、議論は白熱した。何がでてきたら決定打かとの問いに、パネリストの共通した解答は贈答品の封泥(粘土)だろうということが確認された。
最後に、コーディネーターの西谷正氏は、今秋公開される映画「まぼろしの邪馬台国」(監督 堤幸彦、吉永小百合・竹中直人主演)も例にあげながら、今年は邪馬台国ブームの再来が予感されると結んだ。【了】