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日本軍は6万の軍隊で、なぜ30万の中国軍を全滅できたのか=1942年の内情
2008年02月27日11時58分
舞台中央には、『温故一九四二』(画:井上洋介さん)。中国語朗読と日本語朗読と音楽で、語られる。スペース・ゼロ(東京)で。(撮影:穂高健一、23日) 写真一覧(3)【PJ 2008年02月27日】− 日本ペンクラブ主催の世界P.E.N.フォーラム「災害と文学」の2日目、23日は中国人の作家・劉震雲(Ryu Cheng−Yung)さんが40代に書いた、小説「温故一九四二」だ。反日感情が高いといわれる中国で、小説「温故一九四二」(1993年に発表)はよく出版できたものだと思う。作家の勇気というか、真実を伝える信念を感じさせる。いまや中国ではロングセラーになっているのだ。
劉震雲さんは舞台で、自作小説「温故一九四二」を朗読する。日本語朗読は山根基世さん。「友人の話から、1942年の中国で、故郷の河南省では当時3000万人のうち、300万人、約1割が餓死したという事実を知った。一体なにがあったのか。大旱(かん)ばつと翌年のイナゴの発生だった」と語りはじめた。
当時の蒋介石は、日本軍によって侵略された中国の実情をホワイトハウス、ダウニング街十番地、クレムリンに訴えつづけていた。つまり、米、英、仏、ソ連との関係を深めようと躍起になっていたのだ。反面、蒋介石は飢えた国民にまったく目が向いておらず、国内では共産党軍が蜂起していた。
劉震雲さんは、92歳の祖母に、50年前のことを尋ねてみた。「飢え死した年はたくさんある。どの年だ?」と記憶にはなかった。イナゴと、前年の大干ばつを持ちだす。すると、記憶が蘇(よみがえ)ってきた。さらに、叔父を訪ねると、「42年の春は雨が降らなかった。麦は3割しか収穫できなかった。そこから小作料、軍糧、税金を払う。田畑を打ってまで払った。払わなければ、役所に殴り殺された。だから、山西省に逃げた」という。
伝承だけでは、事実としては不完全で、不正確だ。当時の新聞「大広報」を調べると、飢餓や被災民の実態が書かれていた。「河南の人々は木の皮と野草を食べている。被災者は号泣しながら、物乞いをする」と記者が記す。「きのうは男の子が野草の毒にあたり、きょうは女の子が餓死した。明日は別の子が凍死するのを見るだろう」と記載されていた。「15、16歳の娘が娼婦として売られる。四斗の穀物も買えない」。老人や子どもなど体力のない者は一日中死を待つのみ。
蒋介石の官邸(重慶・黄山)は、美味しいコーヒーが飲める、豪華な生活だった。しかし、河南省の農民は草の根や木の皮を食べていた。それなのに、蒋介石は災害を信じず、税の徴収をゆるめるな、と厳命したのだ。この厳命によって何が起きたのか。抗議運動が起きた。しかも、どれも散発的だった。
「(農民の供出した食料を食べる)健康な軍隊が、抵抗運動を鎮圧した。土地を離れる被災民が大量に発生した。役人はこの農地を買いあさって金もうけをしていたのだ」と腐敗した役人の搾取が述べられていく。
河南省の3000万人が全員餓死したわけではない。1割の300万人だ。残る9割は何を当てにして生きていたのか。大干ばつのあとの土地に期待していた。しかし、自然の暴君は河南の農民の生命を脅かしつづけた。翌43年の秋にはイナゴの害が発生したのだ。イナゴの群れが爆撃機のように上空に舞い、一斉に急降下し、農地を襲いかかり、2時間もすれば、作物はなくなっていた。イナゴが来て、人間が死んだのだ。
では当時、なぜ河南省の人は絶滅しなかったのか。それは日本軍が侵略してたきたからだ。「1943年、かれらは皇軍の軍糧を放出し、わが故郷の人々の命を救ったのだ。それを食べて元気になった」と語る。そこには日本軍の動機は、戦略的な意図、政治的な陰謀があった。庶民の心を買収したのだ。
河南省の人たちは、「生き延びるためには、乳を与えてくれるものを母とみなした」と語る。侵略者の日本軍を支持し、猟銃をとり、青竜刀や鉄の鍬(くわ)で、中国軍に襲い掛かったのだ。1944年には、日本軍は6万の兵士で、わずか3週間、かれらの目標を占領した。かくして30万の中国軍は全滅した。
1942年の旅を終えた劉震雲さんは、こう自問するのだ。「飢え死にして中国の鬼になるのがよいのか。それとも、飢え死にせずに亡国の徒になるのか」。祖父の代には後者を選択したのだ。
今回の世界P.E.N.フォーラム「災害と文学」のサブタイトルが、『叫ぶ、生きる、行きなおす』だ。中国・河南省の人たちは、干ばつとイナゴの被害、悪政の三重苦に見まわれた。自然災害のなかで、蒋介石政府を裏切り、したたかに生きてきた。小説「温故一九四二」はそれを克明に描いている。
引用文献
翻訳:劉燕子
朗読翻訳:吉岡忍(日本ペンクラブ:災害と文化)
【了】
■関連情報
記者HP:穂高健一ワールド
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