★阿修羅♪ > 日本の事件28 > 297.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: 【秋葉原無差別殺傷】人間までカンバン方式 (「関車男」日研カトちゃんの首切りを巡る報道の欺瞞) 投稿者 passenger 日時 2008 年 6 月 11 日 12:09:48)
>犯人は他人を巻き込まず、一人で勝手に死ねばよかった、そう言う人は多い。裾野市なので富士の樹海は近い。だが、犯人があのまま秋葉に行かず、一人樹海に向かったとしても、誰も探しに行かなかっただろう。
>派遣会社も、派遣社員の同僚も良くあるバックレとしか思わず、社員はいなくなったことも知らない。
>そのことを思いついたとき私は全身が寒くなった。
http://adat.blog3.fc2.com/blog-entry-1041.html
悲しいテロ(1)
東京新聞夕刊に一ヶ月に一度、辺見庸さんが『水の透視画法』と題してエッセイを書いている。今月(6月4日付夕刊)は「プレカリアートの憂鬱」というテーマだった。秋葉原での無差別殺傷事件を知ったとき、とっさにその文章を思い出していた。
プレカリアートについては雨宮処凜さんの文章などを通して、その深刻な実態をかなり詳しく知るところであったが、辺見さんの文章は私の胸底に、理不尽な社会へのさらに強い痛憤と、人の存在そのものへの深い悲哀を鋭く刻印していた。全文を転載する。
−−−−
皮膚からみずみずしさが消え、顔がいやに骨ばって、濃くくまどったようになっている。眼こころなしか黄色くかわき、よれた疲労感をただよわせていた。大学で客員教員をしていたときの教え子と四年半ぶりに会ったら、別人のようにしおれていた。私だってひどく面やつれしているから彼のほうも驚いたのだろう。おたがいあまり眼をあわさず力なく笑うばかりで、最初はいっこうに話がはずまなかった。どんな仕事をしているのか、暮らしむきはどうか、訊くのもはばかられたが、いきなり缶のふたでもこじあけるように彼のほうから打ちあけはじめた。
「いまプラカードもちをやってます」
新築マンションのモデルルームへの道順をしめしたプラカードをかかげて日がな一日駅前に立っている。五月の連休からはじめたばかりのアルバイトで、その前は、模擬試験や通信添削の採点、交通量調査、郵便物の仕分け、医療関係データの入力、ペットホテルの夜間警備および機械保守…などなど、かぞえきれないほどの仕事を転々としたという。大学卒業後、中堅の広告会社に入社したのだが、軽い鬱の症状がでて通院しているうち結局、退社。その後入社試験にはことごとくはねられ、はたらき口はみな安い日当や時給のアルバイトばかり。きもちがだんだん落ちこんで、気がついたら、口をきかずにできる仕事″だけをさがすようになっていたと苦笑いする。ハンカチにつつんだ小箱のようなものを膝に大事そうにおき、ときおりそれをなでさすりながら話す。
「シマリスが入ってます。死骸ですけど…」。
三年もいっしょに暮らしていたのに昨夜、急死し、悲しくて亡きがらをもちあるいているという。口からでかかっていた学生時代のガールフレンドについての問いを、私はなんとなく呑みこみ仕事の話にもどした。
耳なれないことばを聞いた。
「ぼくら、いったんプレカリアートとしてアンダークラスにくみこまれたら、袋小路からぬけだすのは不可能にちかいんですよ」。
教え子によれば、プレカリアートとは、英語のプレキャリアス(不安定な)とプロレタリアートをくみあわせた欧州の若者の造語。不安定で不公正な雇用状態にあえぐ非正規労働者、フリーター、失業者群などをさすイタリア発祥の外来語である。アンダークラスはたんに「下の階級」かと思ったら、雇用側によって極端に安くやとわれては、なんの保障もなく使いすてられる「新たな貧困階級」のニュアンスがある。新貧困階級はすさまじい勢いでふえており、「自由で、民主的で、効率的な、事実上の奴隷制」がいまある、と学生時代とかわらぬ皮肉っぽい口調で彼はいう。
二つ問われた。
第一問。
「このような時代を経験したことがありますか」。
これだけの不条理をはらみながら、さしたる問題がないかのようによそおう世間。もともと貧窮し、こころが病むように社会をしつらえながら、貧乏し、病むのはまるで当人の努力、工夫、技能不足のせいのようにいう政治。働く者たちの怒りや不満がその場その場できれいに分断、孤立化させられ、いつのまにか雲散霧消してしまうまか不思議。そうした時代を、戦後とおなじぶんだけ老いた私がこれまでに見たことがあるのか、と問うのだ。答えにつまり、私はひとりごちた。
「価値観の底がぬけているのに、そうではないようにみなが見事に演じている世の中ははじめてだな…」
第二問。
「いま、いったい、なにに怒ればよいのですか」。
これにはいきさつがある。私は四年半前までよく授業で「もっと怒れ」と学生をあおりつづけた。イラクが空爆されても声ひとつあげない彼らを透明なボウフラども″とののしったこともある。それを受けた問いだ。いまは〈怒れないわけ〉がわかる気がする。返答はせず、反問した。プレカリアートは怒っていないのか、団結しないのか、と。
彼も答えようとしない。シマリスのひつぎに視線を落としたまま、うす笑いにも泣き顔にも見える表情でぼそっと吐きすてるようにいう。
「自殺多いでしょ。あれって変種のテロじゃないですかね」
「大恐慌、きますか。きたら、ガラガラポンですよね」
プレカリアート、大恐慌、ガラガラポン…かわいた語感に私はおののく。茶渋のような疲れがからだじゅうにひろがっていった。