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(回答先: 12/21 日航2579便乗客の鹿児島空港占拠事件の真相はこれだ!【 動画と解説 】 投稿者 ヒゲ-戸田 日時 2008 年 1 月 15 日 17:15:38)
事件の流れは以下の通りです。
1:07年12/21、関西空港16:05発那覇行きJAL2579(那覇着18:20だったと思う)が、
「那覇上空は天候不良のために着陸不能」という小川博史機長の判断によって、鹿児島
空港に着陸させられた。
また鹿児島空港着陸直前の機内放送で「鹿児島空港着陸の後に関空に引き返す」との
通告もなされた。
2:鹿児島空港着が19;35頃。乗客は手荷物持参で降ろされて、20時には食料販売が完
全に終わる鹿児島空港ロビーに待機。
20:15か20:20関空への出発を告げられた。(乗客は食事がほとんど出来ない状態)
3:乗客が7:35過ぎにロビーに出て、乗客が携帯電話で那覇空港で待つ家族知人に電話
したりHPで調べたりすると、那覇空港にどんどん他機が降りている事が判って、那覇
への飛行を強く要求。
4:しかし日航側は、あくまで「那覇は天候が悪くて着陸不能」、「機長の判断」、「日航本
社の決定」と言い続けて関空引き返し(+鹿児島残留希望も可)に固執。
しかも22時過ぎまでは、「宿舎の手配も不明」・「翌日の救済便も不明」のままで!
5:22時過ぎになってようやく日航が救済の具体策を提示してきたので、乗客は鹿児島残
留の10人程度とそれ以外約140名の関空引き返しに同意した。
内容としては、
◎鹿児島居残りの人は、明晩18時の日航便で。宿舎手配と送迎もする。
☆関空引き返しの人は、明朝8時代の伊丹発全日空便(全員搭乗可能)と翌14時台の関
空発日航便の2種で救済。
宿舎は梅田と難波のホテルに分散・今夜関空着からホテルまで日航が送る・翌日便
には各自タクシーで空港へ行き、カウンターで領収書出して清算。
6:前項の同意に基づき、残留者と関空引き返し者に区分けしたものの(それまでの3時
間弱、このような区分け作業は全く無し)、その後搭乗案内無しで放置が続く。
7:22:30頃になって突然「那覇に飛びます」という行き先変更アナウンスがあった。
乗客は喜んだものの、放置状態が続く。
7:23時頃になってようやく搭乗案内。鹿児島空港出発が23;20頃。
那覇空港着が日付が変わった01:10頃。乗客はヘトヘト。
この事件での問題点を集約すると、
A:【 機長の誤判断 】
「那覇空港は悪天候で終夜着陸不可能」と判断した「小川博史機長」の判断は間違い
だった。
〜到着予定の夜6:20頃は不可能だったが、鹿児島空港に近づいた7時頃には他機は
どんどん着陸していたし、その後の状況もずっと着陸可だった。
小川機長の判断があまりに早計に出された誤判断だったのは明白だ!
B:【 虚偽説明 】
鹿児島空港の日航が、乗客が降ろされた7:30から「那覇へ飛ぶ」と表明した10:30
までの約3時間、一貫して「那覇空港は悪天候で終夜着陸不可能」と虚偽説明を続け
た。
〜7時頃から他機が現に着陸していただけでなく、説明段階の先の「10時」とか
「10時半」、「11時半」などの着陸予定が続々決定・公表されていたのに!
もちろん、この「他機」の中には日航の東京発便なども含まれている。
これをひとつにまとめれば、
●日航は、「那覇空港が全く着陸可能であって、少なくとも夜7時以降は、現に日航も含
めた全便がどんどん着陸し、かつ深夜まで着陸予定を入れている(=那覇空港が許可
し、日航本社も許可しているからこそ!)のに、関空発のJAL2579便乗客に対しては
「悪天候で終夜着陸不可能です!」と虚偽説明し続けたのだ!
戸田HP http://www.hige-toda.com/