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地球研(大学共同利用機関法人・人間文化研究機構の総合地球環境学研究所)初代所長の任期が去年三月に終わり、こういう大任をちゃんと果たしたかどうかわからぬまま退任した。
今は、ずっと前から併任してきた京都市青少年科学センター所長というのが主たる職務であるが、思っていることは前から変わらない。
それは、今われわれ人間が考えねばならぬいちばん大事なことは、人類の未来とか、地球の未来とかいうことではなく、「人間とはいったいどういう動物か?」という問いである。
地球上には何百万という種類の動物がいるが、それらは皆それぞれちがう生きものであり、皆それぞれにちがった体の構造をもち、皆それぞれにちがう生き方をしている。
人間もまさにその一つである。
人間も動物であることは誰でも知っているが、では人間はどういう動物なのだろう?
地球上こんなにどこにでも、こんなにたくさんいる動物(哺乳類)は他にはいない。
けれど角もなく、牙もなく、すばやい走りとか、驚くべき行動能力というものもなく、いうなればおよそ何もできない弱い動物である。
それなのに、かつてあのこわい動物ばかりというアフリカで生まれ、しかもちゃんと生き延びて、今はこんなに世界じゅうに広まってしまった。
どうしてそんなことが可能だったのだろうか?
頭はたしかによかったけれど、頭だけでそんなにうまく生きていかれるわけでもあるまい。
ぼくは昔からそれがふしぎだった。
それはきっと、人間が昔から百人、二百人あるいはそれ以上という大きな集団を作って生きてきたからにちがいない。ぼくはそう思うようになった。
人間は今でも集団で、それも五人とか六人とかでなく、何百人という大集団を作って生きている。大昔のアフリカでも百人でいればライオンが五、六頭現れても大丈夫だったろう。きっと人間は、そういう大集団をなしていたからこそこうして生き延びられてきたにちがいない。
けれど、大集団をなして生きていくということは、じつは大変なことなのだ。他の動物にも集団で生きているものがいる。けれどその集団の大きさは、数頭からせいぜい数十頭に限られている。大集団を保って生きていくのは大変なことなのである。しかも、人間のように異質な者ばかりが集まっている場合には。
人間は昔から何百人という大集団をなして生きてきた。子どもはその中で育ち、異質な他人たちとつきあい、うまくやっていく方法を学べるようになっていたにちがいない。今、その昔のような状態にあるとはどうも思われない。子どものしつけも家庭でせよといわれる。
そんな感覚、そんな認識でいて、それで世の中は大丈夫なのだろうか?
僕はそれが心配でたまらないのである。
神戸新聞 2008.06.02
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