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今回、ノーベル物理学・化学賞を受賞した中の三人は名古屋大学に席を置いていたことをNHKニュースが紹介していた。名古屋大学の学風は自由滑脱だという(京大の学風も同じように感じる)。その名大には坂田昌一という素粒子論の大御所がいた。坂田は自分の物理学の方法に、意識的に唯物弁証法を取り入れたことはあまり知られていないのではないだろうか。坂田モデルというのは作業仮説?として著名だったようだ。毛沢東が坂田論文を読んで、賞賛したという逸話もある。
この機に、坂田思想の片鱗を下に紹介する。最新の量子論の知見を踏まえると、やや古臭い部分があるかもしれない。坂田が今も生きていたらどのような議論を展開したであろうか。
坂田昌一『新 し い 自 然 観』より引用
1、現代的自然観
…現代的自然観を生み出した。すなわち、自然界には質的に異なった多くの階層が存在し、それぞれの階層ではそこに固有な法則が支配している。これらの階層は小は素粒子から大は星雲にいたるまで、すべてたえざる生成と消滅の中にあり、互いに関連し、依存しあって一つの連結された自然をつくっている。
2、素粒子観
素粒子観は大きく三つに分けられる。
1) 形而上学的観点 素粒子はデモクリトスのアトムのごとく、物質の可分性の限界であり、物質の究極であるという見解。この観点に立つ人にとっては、素粒子の運動法則…場の量子論は終局の理論とみなされる。
2) 実証主義的観点 素粒子という概念は人間が現実を記述する際、便宜的につくりだしたものだという見解。この立場をとる人にとっては、物理学の目的は観測事実のあいだの関係を見出すことにつきる。
3) 弁証法的観点 分子―原子―原子核―素粒子といった原子論的諸概念は自然の累層的構造のなかのそれぞれの階層に対応しているとの見解。各階層には固有の運動法則が支配している。
現在においても、物理学者の主流は1と2の観点のあいだをさまよっているといってよい。3の立場は、すでに19世紀エンゲルスによって主張された。
3、切れ目
量子力学の特徴は観測の対象と測定装置のあいだに密接な関連を認識したところにあるが、タケタニ(武谷三男)は両者の切れ目がどこまでも移動できるというのは誤りで、その限界は微視的な領域から巨視的な領域へ移るところにあるのだと説いた。…ノイマンが犯した誤りは、測定装置が巨視系であるにもかかわらず、これまでに量子力学を適用したところにあった。
物質の階層性を無視した非弁証法的思考がその原因だといえる。
4、偶然性と必然性
一般的にいって、どんな理論のなかにも偶然的要素というものは必ずふくまれており、その偶然性を必然性にまで高めようとすれば、その理論が対象としている階層よりもさらに深い階層がさぐられなければならなくなる。弁証法的自然観にたてば、物質の究極が存在しないと同様に終局の理論などというものは認めることができない。もし強いてある理論を終局の理論だとみなそうとすれば、そのなかに入りこんだ偶然的要素はすべて神の摂理によってあたえられたものだということになり、科学はその進歩を中断し神学に席をゆずる結果となるであろう。
5、適用の限界
コペンハーゲン学派の誤りは…量子力学を終局の理論だと考え、超量子力学的階層の存在を認めようとしない点にある。…現代の物理学の特徴は、あらゆる概念、あらゆる法則が適用限界をもつことを認識した点にある。
6、真空
素粒子といえどもたえず産みだされ、またたえず死につつある。そういうようなものと考えられます。…なにもないと考えているような空間的部分こそ真空の中の一種のひずみのようなもの、あるいは水の中の泡のようなものであり、これはたえずできたり消えたりしている。 (1974年1月 国民文庫刊)
坂田昌一 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%82%E7%94%B0%E6%98%8C%E4%B8%80
坂田学派と素粒子模型の進展 小川修三*
http://wwwsoc.nii.ac.jp/jps/jps/butsuri/50th/noframe/50(2)/50th-p90.html
坂田昌一 2008-10-09 22:37:36 | 科学技術
http://blog.goo.ne.jp/lemon-stoism/e/80064b7d8337943792b6095bc25bb031
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