このような世界が、膨大な石油を食っている。その発電所を動かすために、石油会社や電力会社、発電機メーカーの人間が必死に働き続け、下請け会社の労働者がこき使われる。その上、発電所の煙突から炭酸ガスが出すぎると言い、地球全土から数千人もの人間が、炭酸ガスをジェット噴射する飛行機に乗って、京都の地球温暖化防止のための世界環境会議に集まってきた。同時通訳がつき、イヤホンを耳にあて、面倒くさい議論を展開した。その出席者の多くは、仕方なくこの会議に出てきたり、自国の利権を確保するのに奔走したので、そちこちで“世界偽善者会議”と循楡されていた。 この会議で、「地球は温暖化するので炭酸ガスを出さないようにするため原発を建設しなければならない」と熱心に主張した日本の通産省天下り関係者と電力会社は、かつて七〇年代にオイルショックが襲ったとき、「地球は寒冷化するので石油を確保し、原発を建設しなければならない」と大声で主張した同じ人間である。全世界から失笑を買った日本のエネルギー利権者の姿は、滑稽を通り越して、哀れであった。 自然保護を考えた場合でも、最近われわれが肌身に強く感じる異常気象について、環境保護という言葉に酔って、すべての原因を「炭酸ガスによる温暖化」に強引に押しつけるのは、危険である。農作業をすれば、「八十八夜の別れ霜」がいつジャガイモに襲いかかるかという切迫した問題が目の前にあり、農家はもっと生々しい五感で気候の変動に敏感になる。地球の歴史のなかで、現在ほどの気候変動は何度も体験したことであり、私が畑仕事に熱中していた時期に毎日つけていた農業日誌には、「今年も異常気象の連続だ。日本の気象は常に異常である。平年並みであることは一度もない」と、たびたび記されていた。それはもう二十年以上前のことであり、現在のように温暖化を語る必要がまったくなかった時代のことである。 私がイスラエルに旅したのは三十年ほど前のことだが、その砂漠地帯で「百年ぶりの豪雨」に出会って苦労した体験もある。逆に考えれば、百年前の十九世紀後半にも、そうした異常があったことになる。地球の工業化が現在ほど進む以前から、どこにでも異常気象があったのだ。 一九六三年にも八〇年代に入ってからも北陸の豪雪があり、ほんの先年、九三年には冷害のため、天明・天保以来の米の凶作を体験した。天明は二百年以上前、天保は百六十年ほど前である。かつて多くの学者が唱えていた“寒冷化説”はすっかり忘れられたが、もし炭酸ガス温暖化説のシナリオが間違っており、これから地球が寒冷化した場合には、別の大変な事態となる。 ペルー沖合の海流温度が異常となって、その影響が赤道全域におよぶエルニーニョ現象の作用もきわめて大きく、これを温暖化と直結して説明できるほどの明確な根拠はどこにもない。太陽の黒点の変化もあれば、地球各地の噴火による火山灰の影響も考えられる。炭酸ガス犯人説は、まだ誰にも証明できない有力な仮説のひとつにすぎないのである。炭酸ガスが真犯人であると言うなら、排出量を数パーセント減らしても炭酸ガスの絶対量は増え続けるばかりであるから、京都会議の議定書が何を目的に採択されたのか、私には分らない。こうしたおおざっぱな論争には、誤解や思い込みばかりでなく、嘘と偽善さえ渦巻いている。 本心から動植物の生命を守ろうとするなら、“本来無害で、むしろ植物の成長に欠かせない炭酸ガス”だけに議題を集中するのは、それ自体が私には理解を超える“環境論者”の遅れた意識、あるいは“政治的行動”であった。すでに直接重大な環境問題をひき起こしているダイオキシンなどの大量の化学汚染物質、食品に侵入している残留農薬と防腐剤などの添加物、チェルノブイリをはじめとして全世界に広がりつつある超危険な放射能汚染、コンクリート構造物の林立がもたらす異常な都市熟、フロン、発電所の膨大な排熱、電池などの金属類を含む産業廃棄物などが、まともに京都の国際会議で議論されたのであろうか。
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