★阿修羅♪ > 昼休み14 > 706.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20081226-01-1301.html
選挙を「政治空白」と言うバカ
2008年12月26日 The Commons
第170臨時国会が終わった。何ともスッキリしない後味の悪い国会だった。なぜかと言えば、あるべき解散・総選挙がなかったからである。選挙をやるための政権がそれをやらなかった。そのため至る所に綻びが生まれ、やらないための理由として大嘘がまかり通った。その後味の悪さである。
麻生総理は選挙をやらない理由を「百年に一度の危機に政治空白は許されない」と説明した。こんな説明が世界中で通用するだろうか。するとしたら政治未熟児の多い日本だけではないか。「危機に政治空白は許されない」という言葉自体はその通りだ。しかしそれが解散・総選挙との絡みで言われるとそうはならない。まず解散・総選挙が政治空白になるのか。次に危機にこそ国民を政治に参加させるべきではないかという問題がある。それが説明されないと、この言葉は解散・総選挙回避の説得力を持たない。
政治空白とは何か。最高権力者の影響力がなくなり、政治が機能しなくなることである。麻生政権誕生からの3ヶ月はまさに政治が右往左往し、これこそ政治空白と呼ぶべき状態だった。そもそも麻生政権は「百年に一度の危機」に対応できる政権ではないのだが、そのことについてはとりあえず置いておく。
そこで選挙で政治空白になるかである。通常は予算案、予算関連法案、補正予算案などの採決がある時期に解散・総選挙を行うことは「政治空白を招く」として避けなければならない。予算は国家という人体の血流に当たるから、それを止める事は何としても避けるべきである。従って予算案が通らなくなると、解散・総選挙は避けて、総理に辞めて貰うというのが政治の常道である。しかし予算以外の事で政治空白を理由に解散・総選挙を避けた例はない。
今回、第二次補正予算案の採決があるのに解散・総選挙を行う事になれば、「政治空白を避けろ」との議論はありえた。しかし総理自身が予算案提出を先送りしたのだから政治空白を云々する事は出来ない。どうも総理は予算との絡みではなく、海の向こうからやってきた「百年に一度の金融危機」を選挙回避の理由にしようとした。しかしそれならなおのこと年内に解散・総選挙をやるべきであった。危機はまだ序の口でこれからが本番である。危機を理由にしていたら日本はあと3年ぐらい選挙は出来ない事になる。
そもそも危機の原因を作ったのはアメリカである。そのアメリカは「危機に政治空白は許されない」などと言わずに大統領選挙と上下両院議員選挙を行い、選挙で国民に経済政策を選択させ、大統領に選ばれたオバマは危機管理内閣とでも言うべき超党派人事を断行した。危機の本格化に備えるためである。来年の1月に正式に大統領に就任すれば本格対策が実行されることになる。それを見た後でないと日本も本格対応など出来ない。アメリカを見れば日本も解散・総選挙をやる時間的余裕は十分にあった。あるのに無理にしないようにした。
そのための口実が「百年に一度の危機に政治空白は許されない」という大嘘である。政府・与党の政治家が「政治空白」という言葉を使うたびに私は養老孟司氏の「バカの壁」を思い出した。バカも休み休み言って貰いたい。こういう嘘がまかり通るとそれでなくとも政治未熟児の国民がますますバカになる。この臨時国会が後味の悪いものになったのはそのせいである。
前回の「悲しき自民党」で、以前とは比べるべくもなくなった自民党の悲しい現状をコメントしたが、臨時国会を見て驚いたのは公明党の凋落ぶりである。これまで公明党を与党内最強派閥と見てきたが、その認識を変えなければならなくなった。公明党は自民党政権に何の影響力も行使できない非力な政党に変わった。
元々は小選挙区でそれぞれ1〜3万と言われる創価学会票に支えられた政党である。その小選挙区で候補者を立てずに自民党に投票してきた。自民党は十分にその恩恵に預かった。公明党の協力なくして自民党は政権を維持できなかった。ところがこの臨時国会を通して公明党の主張はことごとく自民党に無視された。それでも公明党は自民党に付いていくしかない事がはっきりした。
自民党からすれば公明党は政権を維持するために必要な政党だった。ところが昨今の情勢では公明党の選挙協力を得ても過半数を超えることが難しい。そうなると公明党と組むメリットはない。自民党の側に公明党を必要としない事情が生まれた。だから公明党の要求に耳を傾ける必要がなくなった。むしろ公明党と組んだことで離れて行った旧自民党支持者を引き戻すか、民主党と組むことを考えた方が良い。
一方の創価学会には元々「公明党を作ったことが間違い」との考えがある。公明党さえなければ、各選挙区で最も学会の言うことを聞く候補者に投票する事になる。その方が全ての政党に影響力を行使する事が出来る。自公連立に走ったのは自民党が政権政党だったからで、その可能性がなくなれば自民党と組む必要もない。全ての政党に貸しを作る方が現状の政治情勢に見合っている。そうなると創価学会にとって公明党はむしろ邪魔な政党なのかもしれない。自公の枠組みは双方にとって過去のものになってきた。
臨時国会から見えてきたのはそうした事情である。後味の悪い臨時国会を終えて来年の通常国会まで、年末年始には不況の影響で暗いニュースばかりを見させられる気がする。その中で総理はどういう表情を見せてくれるのだろうか。明るさが取り柄だと言われるが、このご時世に明るい顔ばかりもしてはいられない。パフォーマンスには人一倍気を遣う総理のことだから、きっと渾身の演技を見せてくれるに違いない。それだけが年末年始の楽しみである。
(田中良紹)