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【史料】「米は東亜の現実無視、独善的理念を帝国に強要」…野村元駐米大使、日米開戦前の交渉を日記で
1 :どろろ丸φ ★:2008/12/08(月) 08:58:52 ID:???0
1941年12月8日の太平洋戦争開戦前に日米交渉にあたった野村吉三郎元駐米大使の日記や
書簡など未公開だった文書が国立国会図書館(東京・千代田)で公開されている。元大使が開戦
翌年の42年8月、昭和天皇に「米国政府は終始東亜の現実を無視」と交渉の経緯を説明。
真珠湾だまし討ち批判については「(ルーズベルト大統領の)自己弁護に過ぎない」などと報告
していたことが分かった。
文書は今年春、遺族から寄贈されたもので、書簡、日記(42―44年)、手帳、電報、任務報告書
など約1300点。
野村元大使は42年8月20日、交換船で帰国。翌21日に昭和天皇に帰朝報告を行った。
当日の日記には「拝謁。聖上はこのたびは永々ご苦労であったと仰せられた。誠にもって感激に
堪えざる所である」「御進講任務言上をなした。所要時45分。種々御下問あった。天眼麗しく
『アイスクリーム』を賜り相当長時間玉座に留まり賜うた」とある。
この際の「言上書」も寄稿文書にあった。外務省の用紙約30枚に和文タイプで書かれており、
交渉相手のルーズベルト大統領、ハル国務長官の人となりや米国の外交方針、交渉の経過など
を報告する内容になっている。
日米交渉について「紆余曲折はありましたが日米の政策は対立して妥協が不可能であったと
言い得ると認めます」と総括。十数回会見したハル国務長官について「質実一点張り。まじめなる
先生のごとく」と表し、大統領ともども「米国の基本政策を頑守し少しの融通も利かない」と批判
している。
さらに「米国政府は終始東亜の現実を無視し、その抱懐する空疎なる独善的理念を固執し、これ
を帝国に強要」と交渉を憤まん口調で振り返っている。交渉打ち切りの通告が真珠湾攻撃後に
なったことには「国交断絶または戦争状態となることは国務長官も予期しており、陸海軍に警告し
ていた」「大統領はじめ帝国が不意打ちをあえてせりと言うは自己弁護に過ぎなぬと思われます」
と説明している。 (>>2-5に続く)
日経:http://www.nikkei.co.jp/news/main/20081208AT1G0202E07122008.html
(紙面から書き起こし追加)
2 :どろろ丸φ ★:2008/12/08(月) 08:59:12 ID:???0
>>1の続き
最後に「長期戦に対処する態勢を整え、いかなる場合にも応じるがごとく鉄壁の陣営を強化するを
良策と認めます」「余り過早に平和の口吻等をろうするはむしろ敵をして強気ならしむこととなり
害あるべし」と早期和平に反対している。
◆野村吉三郎元駐米大使
海軍大将、後に外相。駐米海軍武官時代からルーズベルト米大統領と友人であったことから、
日米交渉妥結を期待され1941年2月に駐米大使として赴任した。しかし、半年以上にわたる
交渉は決裂、日米は戦争に突入した。野村大使がハル国務長官に手交した交渉打ち切り通告が
真珠湾攻撃後になったため、米国は「だまし討ち」と批判した。 (以上)