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http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp200812060141.html
戦争への反対を知力の核に 読者を信頼した加藤さん '08/12/6
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五日亡くなった加藤周一かとう・しゅういちさんに初めてインタビューしたのは、新聞記者が取材時の録音を第三者に渡し、社会問題となっていたころだった。録音の了解を求めると「どうぞ。ただし、録音は記事執筆のためだけに使って、ほかの人には渡さないでください」。加藤さんはいたずらっぽく言うと、表情を緩めた。二人一緒に笑いだし、緊張感はあっという間に吹き飛んだ。日本を代表する知識人は、いつもユーモアの羽衣をまとっていた。
非正規雇用の若者の問題について聞くと「それはフランスの移民労働者の若者と同じ問題だね」。世界を見渡し、歴史に通暁した知的蓄積から繰り出される分析は圧倒的だった。さらに、医学を学び、身に付けた自然科学の思考法は説得力があり、文学や政治、社会、さまざまなテーマについて質問すると、均整のとれた美しい論理によって、答えてくれた。
行動力とその範囲も広大で、戦後は広島で原子爆弾の被害や影響を調査。一九五〇年代には、米国と旧ソ連の二大国の影響から独立したフランスで世界情勢を考察した。ベトナム戦争のあった六〇年代はカナダの大学を中心に教え、米国社会を見つめた。中国の大学でも教えた。これらの経験を基に「ナショナリズムからも、西欧崇拝からも自由でいられるようになった」と、自立した知識人としての自己を確立した過程を語っていた。
その知識と知力の核には正義感があった。戦争で親友を失い、身を切られる思いをした加藤さんは、善良な人間を戦争に追い立てる思想や構造に強く反対した。「戦争で死んだ友達が生きていれば、決して言わなかったであろうことは言わず、彼らが黙っていなかったことは言う」という姿勢を貫いた。
「九条の会」に呼び掛け人として参加したのも「戦争で死んだ友達を思えば黙っているわけにはいかない」という倫理観からだったのだろう。
原稿執筆を依頼した時に「分かりやすく書いてください」と言うと、「各地で講演をしますが、聴衆は新聞や本をきちんと読みこなしています。新聞読者のレベルは低くありません」とピシャリ。読者の知性を信頼していた。
いつも楽しかった加藤さんとの仕事がもうできないのは残念でならない。しかし、巨大な知性が歩んだ軌跡は数々の著作として残り、ページをめくれば、多くのことを語りかけてくるだろう。(共同通信文化部記者 関矢充人)