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http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20081201-01-1301.html
ロボット総理の党首討論
2008年12月1日 The Commons
11月28日の党首討論を見て、麻生総理の言っている事がさっぱり理解出来なかった。なぜ理解できないかを考えると、どうも総理の発言は誰かが作った想定問答を丸暗記して、それを機械的に繰り返したために、他人に理解させることが出来ない言葉の羅列になったからではないか。
党首討論で小沢代表が突いてくると予想された第一は、「政局よりも政策」と言って解散を先延ばししたのに、政策を裏付ける第二次補正予算案をなぜ今国会に提出しないのかという点である。これに対して麻生総理は、年末までの資金繰りは第一次補正で何とかなる。第二次補正は来年3月の資金繰り用だ。だから今国会には提出しないという論理で応じた。
本当にその通りかどうか疑問もあるが、仮にそうだとしても、それなら何故10月30日にあんなに大袈裟に経済対策を打ち出したのかが疑問になる。あの時スピードが大事だとは言ったが来年3月用とは言わなかった。年内に解散が出来ないほど政策実現に全力を挙げる口ぶりだった。どこかで事情が変わったのではないかと素朴な疑問が湧く。ところがその疑問を解消する説明はされない。
代わりに麻生総理が言い出したのは、金融機能強化法成立の必要性である。これがないと第一次補正だけでは経済が悪化する。その後に第二次補正に加えて来年度予算も成立しないと景気はおかしくなると言った。麻生総理は金融機能強化法案と第二次補正と来年度予算は「三段ロケット」だと繰り返す。まるでロボットが言葉をインプットされたかのように何度もそれを繰り返した。
これで小沢代表との話がかみ合わなくなる。就任以来の総理の考えを論理的に理解しようと思って聞いているこちらもそこで話が分からなくなった。しかし麻生総理が一番言いたい事がこの「三段ロケット」だと言うことだけは良く分かる。とにかく「金融機能強化法と第二次補正と来年度予算が成立しないと困る」と言いたいのだ。要するに総理はこれからの国会が気になって仕方がない。「三段ロケット」のうちどれが成立しなくとも政局は解散か総辞職になるからだ。
だから何とか小沢代表から民主党の対応の感触を聞き出せと誰かに指南された。出来れば成立に協力する前向きの言質を引き出せと言われた。その事だけが総理の頭にあるから話の筋道が立たない討論になる。中でも想定問答を暗記しただけだと思わせたのは、解散もせずに総理交代が続いている事を突かれたら、イギリスのトニー・ブレアとゴードン・ブラウンの例を挙げろと誰かに言われたことだ。普段頭にない事を言うものだから「議院内閣制」を「議会制民主主義」と言い間違えてその事に気づかない。
何故メディアが注目しないのか不思議なのだが、私が驚いたのは親米派であるはずの麻生総理がアメリカ政治のあり方を否定し、アメリカの金融危機対応を批判した事である。麻生総理は「危機に政治空白は許されない」と言い続けてきた。しかし危機の火元であるアメリカは、危機の最中に大統領選挙と上下両院議員選挙をやっていた。麻生総理はこれを痛烈に批判したのである。「金融災害と言われる中で政治空白を作るというような事は(やるべきでない)。アメリカは(選挙なんかやっているから)誰が最終決断者か分からないと言う厳しい事になっている。我々は第二位の経済大国としてそのような事をすべきではない」と発言した。
金融危機の最中でも大統領選挙をやっていたのはアメリカ合衆国憲法の定めによるものである。この発言はまかり間違えば日本の総理がアメリカ民主主義を全否定したと受け取られかねない。かつて宮沢総理は「国会でアメリカ人を怠け者だと発言した」と報道されてアメリカ議会を怒らせた。「もう一度原爆を落としてやろう」と息巻く議員もいた。怒りを和らげるために周囲は苦労した。
第一選挙を「政治空白」と言う方が民主主義を知らない。国家の行方を国民の意思で決めるのが民主主義である。国民が参加できる選挙こそ民主主義の基本中の基本なのだ。だから原理的には国家が危機にあるときこそ選挙をやる必要がある。しかしこの総理はそういうことを理解していない。それが世界に知れたら恥ずかしい。
そのような総理を生み出す国だから国民もその程度である。世論調査で選挙と景気対策を選択させると国民は圧倒的に景気対策と答えると言う。選挙になれば与党も野党も必死になって景気対策を作る。今より良い政策が出来る事は間違いない。そして国民は良いと思う景気対策を選ぶ事が出来る。国民が景気対策作りに参加出来るという事だ。選挙を選ばずに景気対策を選ぶ国民は現在の政府に全て丸投げする事になる。そのくせ麻生内閣を支持する国民よりも不支持が多いと言うのだから訳が分からない。こういう国民を愚民と言う。
愚民を作り出すのはメディアである。勝敗判定をはっきりさせれば良いのだが、あっちも駄目だがこっちも駄目だ式の判定が多い。ひどいのは「政局ばかりで国民の事を考えていない」と国民の味方面をするメディアである。判定を逃げて保身を図っているくせに正義を売り物にする。眉間にしわ寄せキャスターの番組ではコメンテーターが「外国では政局の議論でなく、どうやってジョッブ(仕事)を作るか、まともな議論をしている」などと言っていた。何を見たのか知らないが、私が知っている英国議会の「クエスチョンタイム」は「政局」だらけである。
大体30分しかない討論時間で「政策」の議論など出来るはずがない。労働党も保守党もやっている事は選挙を意識した相手攻撃である。サッチャーは労働党党首の事を「お前は古臭い共産主義者だ!」と金切り声で罵倒していた。それで議場が盛り上がる。それが本場の党首討論である。今回も「あんたは信用できねえ」、「それはチンピラの言いがかりだ」とやればイギリス並みだった。
選挙で勝たなければどんなに良い政策も実現しない。選挙で勝つために与党も野党もしのぎを削る。民主主義とは「政策ではなく政局」である。それが政権交代を繰り返す先進諸国の民主主義で、政権交代のない国だけが「政局よりも政策」などと言って国民を洗脳する。
「党首討論を毎週やったら」と書いた新聞もあったが、私は全く反対である。ロボットのように丸暗記した言葉を羅列する総理がいる限り、党首討論をする意味はない。外交問題に発展する発言でもされたらそれこそ国家の一大事である。今回の党首討論が終った後で与党の幹部たちは「ホッ」と胸をなでおろしたと言うがそれは甘い。もうこれっきりにした方が間違いは起きないと私は思う。
(田中良紹)