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風知草:人の上に立つ者は……=専門編集委員・山田孝男
幕末、幕府の軍艦・咸臨丸(かんりんまる)で渡米した勝海舟は帰国後、老中から「何が目についた」とせっつかれ、こう答えた。
「さよう、少し目につきましたのは、亜米利加(あめりか)では、政府でも民間でも、およそ人の上に立つ者は、みなその地位相応に怜悧(れいり)(利口)でございます。この点ばかりは全く我が国と反対のように思いまする」
老中、目を丸くして「無礼者、控えおろうッ」−−。
明治維新後の勝の談話を集めた「氷川清話(ひかわせいわ)」に見える有名なエピソードである。実話とすれば、この老中は開明派の安藤対馬(つしまの)守(かみ)信正であったろうと、近世史に詳しい文芸評論家・野口武彦(71)の解説だ。
「中央公論」12月号の野口の寄稿「政体の末期に人材が払底するのはなぜか」がまた、おもしろい。世襲の大名と旗本による要職独占が続いて「おバカ集団」と化した幕府の、内政迷走と外交停滞を示す笑い話のオンパレードである。
ひるがえって現代。近ごろ政治にインパクトを与えた報道といえば、まず、麻生太郎首相の漢字の読み間違えを指摘した朝日新聞11日朝刊の囲み記事だろうと私は思う。7日の参院本会議で、戦争と植民地支配に関する95年の村山首相談話への対応を聞かれた麻生は「ふしゅうする」と答えた。
「踏襲(とうしゅう)」の誤読であり、しかも久しい以前からの癖で一向に改まる気配がないという。面白いが、特ダネを抜かれたというまでの話でもない−−。おそらくそう判断して他紙は追随を見合わせたが、麻生自身がその怠慢を許さなかった。
12日、母校・学習院大で開かれた日中青少年友好交流年の閉幕式のあいさつで「未曽有(みぞう)」を「みぞうゆう」、「頻繁(ひんぱん)」を「はんざつ」と誤読。今度は各紙一斉に報じ、テレビ、週刊誌も参戦の大報道に発展した。
遅まきながら参院事務局を取材して印象に残ったのは「誤読する議員は他にもいますが、麻生総理は極めて多いです」という記録部の担当者のきっぱりした口調だった。朝日の取材をきっかけに、記録・編集関係者の間にたまっていた批判、不満が噴出した感じだ。
その間も麻生は迷走した。解散するのか、しないのか。給付金は全世帯か、所得制限か。日本郵政会社の株は売却か、凍結か。第2次補正予算を今国会に出すのか、先送りか。閣内、与党内の不統一どころか、当の本人が二転三転した。
明朗、軽妙で自信満々、名宰相・吉田茂の孫であり、経済と英語に強く、沈みかけた自民党の救世主と見えた漫画好きの論客は、漢字が読めないオッチョコチョイ−−。先週の最大の政治事件は麻生イメージの大暴落であり、首相官邸と自民党執行部の機能マヒの露見だ。
漢字誤読答弁の伏線になったのは歴史認識をめぐる前空幕長の論文だ。彼の進退は「基本的に防衛省の所管」(首相)「一番早い形で辞めてもらう」(防衛相)というお歴々の迷惑顔が、幕末の将軍や老中と重なって見えてしかたがない。
野口武彦は「中央公論」の論考で哲学者カール・ポパーについて書いている。彼は「歴史には隠された目的が宿り、抗し得ない諸力によって未来へ投げ入れられる」という運命論的な考え方の克服を求めたそうだ。
だが、まさに抗し得ない力が働いて政界の底流がうねり始め、われわれは未来に投げ入れられつつある。そう実感させられる1週間だった。(敬称略)(毎週月曜日掲載)
毎日新聞 2008年11月24日 東京朝刊