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http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20081112-02-1401.html
クルーグマンの景気回復策/山形浩生(評論家兼業サラリーマン)
2008年11月12日 VOICE
経済学は役立たずか
アフリカの奥地に2週間出張しているあいだに、世界は一変していた。ダウは9000ドルを割り、日経平均はなんと7000円台! 執筆時点でまだ世界の金融業界は大激震の最中で、何がどうなるやらわからない。従来の資本主義は崩壊だといった極論も聞かれ、これを予見・阻止できなかった経済学は役立たず、というような論調すら一部には見られる。
さて、もちろん経済学は完璧じゃない。でもそれを改善し、広げようとする努力は絶えず行なわれている。その好例が、金融市場暴落とほぼ同時にノーベル記念経済学賞を取ったポール・クルーグマンの業績だ。彼がノーベル賞をもらったのは戦略的貿易理論のためだ、という紹介がされているけれど、おそらくそれでは何のことかわからない人がほとんどだろう。それは簡単にいうと規模の経済というものを経済学に導入したことだ。同じモノを作るなら、小さな工場で手作業で作るよりもでかい工場で大量生産したほうが安い。これを彼は経済学で扱えるような方法を考え出したのだ。そして、それが貿易に影響を与えるのだ、と。
こう書くと、多くの人は失笑するだろう。大量生産で値段が下がるなんて、常識以前のことではないか! 経済学者はそんなことも知らなかったのか、と。でも、間違えてはいけない。もちろんそんなことはみんな知っていた。しかしそれを経済学のモデルにする方法がなかった。クルーグマンは、現象を見つけたから偉いんじゃない。誰でも知っているその現象を理論として扱う手法を見つけたのが偉かったのだ。
これはべつに彼の業績を貶めるものじゃない。クルーグマン自身が幾度となく述べていることだ。そしてそれにより、経済学はいまの先進国同士の貿易や都市の存在も説明できるようになった。経済学は広がり、新しいことを説明予測できるようになった。それは現実に対する力をもったし、実際に彼の理論は一部の産業政策に大きな影響をもった(その使われ方自体は、本人にとっては不本意なものだったけれど)。
実質金利をマイナスにせよ
クルーグマンの業績は、それだけじゃない。彼の理論はつねに経済学の幅を広げ、現実をもっとよく説明できるようにしてきた。1997年のアジア通貨危機以前に、当時のアジア経済が必ずしも順風満帆でないことを大っぴらに指摘したのは、クルーグマンをはじめほんの数名だけだった。彼は為替の理論でも有名で、ジョージ・ソロスなどの通貨攻撃の方向性や1980年代のドルの方向性なども見事に当てている。時に変わった提案をしつつも、彼の(少なくとも経済絡みの)発言や予測はいつも骨太で小技に頼らず、経済学者のなかではかなり高い的中率と説明力を備えている。彼のノーベル賞受賞に対し「クルーグマンの予想はほとんどつねに外れている」などと事実に反することをいう人がいるのは驚くべきことだ。そもそも経済学者は予想屋じゃないんだし。
だから、彼が日本の景気回復策として10年前に行なった提言も、これを機にそろそろまじめに受け止めるべきだ。景気を上げるためには金利を下げて、お金を流通しやすくせよ――これは今回の金融危機で、(日銀以外の)ほぼあらゆる中央銀行がやったことで、ほぼ議論の余地のない処方箋だ。でも、過去10年の日本の金利はゼロに近くて、これ以上下げられないとされていた。
そこでクルーグマンは、とても簡単なことを述べたのだった。実質金利がゼロなら、それをもっと下げてマイナスにしなくてはならない――ということは、名目金利をインフレ率よりも低くすることだ。そして、名目金利はゼロよりは下がらない(というのも現金でもっていれば金利はゼロだから)。だったら、インフレのほうを上げなくてはならない!
この議論は、いまや日本以外の経済学者はほぼすべて認めていて、日本でだけ、なぜか蛇蝎のごとくに忌み嫌われている。でも最近になって、インフレターゲットを否定する人が同じ本のなかで、期限付きのお金というアイデアを褒めていたりする。期限付き、ということは時間がたてば価値が下がるということなので、これはインフレと同じだ。そしてインフレターゲット論を口を極めて罵っている一知半解な論者が、ブログで実質金利をマイナスにすべきだと得意げに主張していたりする姿も見られる。クルーグマンは基本的には正しいのだ。
今回の金融危機で、世界的に景気底上げを図らなくてはいけない状況は確実に出てきているし、日本もそれに協力しないわけにはいかないだろう。ノーベル賞を機にこの発想を皆さまも基礎教養的に勉強してみてはいかがだろうか。そしてそれが実施にまでつながればいうことはないんだが……。