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個室ビデオ店なる簡易宿泊施設の放火事件。貧困の風景を肌で感じ、気持ちが沈んだ。
2008年10月20日 AERA
かつて終夜営業のテレクラ店をホテル代わりに利用し、たまたま放火事件に巻き込まれて死亡したのは、深夜まで残業に追われるサラリーマンたちだった。ああ、最近のサラリーマンたちの労働環境はそんなに厳しいのかと、思わず考えさせられた記憶があるが、風俗店などを寝場所として利用する理由に、今日ではあからさまな貧困が加わっている。
折しも規制強化で廃業したテレクラ店が、次々に個室ビデオ店なる簡易宿泊施設に改装されて一泊料金の安さを競いあうなか、先日はやはり放火事件で十五人もの宿泊者が死亡した。定職があっても住まいがなかった人、日雇いで暮らしていた人、交通費節約のために利用していた人などなど、被害者の事情はさまざまだったが、あらためて貧困の風景を肌で感じ、気持ちが沈んだ。薄い石膏ボードとベニヤ板で仕切られただけの、狭くて殺風景な穴蔵のような空間で、一日働いてきた人びとがビニールのソファ一つに横たわって眠る。世界恐慌などと大げさなことを言わずとも、この国はもう十分に貧しくなっている。あるいは、身の丈以上の消費と贅沢をむさぼってきた生活のメッキは、もう十分に剥げている。
実際、働く意欲のある人が定職につけないのも、非正規雇用の人がまともにアパートさえ借りられないのも、はたまた火が出たら終わりというような劣悪な宿泊施設が、繁華街に建ち並んでいるのも、絶対的な貧しさ以外の何ものでもない。社会の仕組みのせいで、富が十分に再分配されていないにしても、全体で見れば、要は一億二千万の国民全員がベイエリアの高層マンションに住むようなお金はないということだ。相対的な格差の問題ではなく、競争社会に落伍者はつきものという話でもなく、個室ビデオ店やネット・カフェなどで寝泊まりする労働者がいるという、そのことが国民国家の生活経済としては破綻しているということだ。
幸福な生活とは、たくさん消費できる生活ではなく、安定して消費できる生活のことをいう。ひるがえって今日私たちがしていることは、誰かに強制されたわけでもないのに、たとえば数千万円もの住宅ローンを抱えるいびつな生活である。そのいびつな消費の欲望がいくつも重なり、この国の生活経済全体に広がって、極端な斑模様をつくっているのであり、そこにたとえば個室ビデオ店の風景もある。働いて食べて寝るという社会生活の基本さえ成り立たない社会をつくり、回り回って自分たちの安定さえ危うくしているのは、私たちの欲望なのである。この欲望は他人の困窮には関心がない。個室ビデオ店のようなところで一夜の安らぎを得る人がいることへの、人間としての拒否感もない。かくして、貧困の風景はますます広がってゆくのだが、そういえば、こうしたいびつな欲望と消費の風景は、ノーベル賞を生むような学問と研究の風土からは、もっとも遠いものである。