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http://it.nikkei.co.jp/internet/news/index.aspx?n=MMIT11000016102008
こんにゃくゼリー規制論にネットはなぜ反発するか
幼児がこんにゃくゼリーをのどに詰まらせて死亡した事故は、「食の安全」への関心の高まりと消費者庁創設を控えたタイミングが重なり、メディアで大きく取り上げられ、政・官による規制強化の流れが定まりつつある。一方、インターネット上では、こんにゃくゼリーは本当に危険なのか、消費者保護はどうあるべきなのかといった別の視点から議論が広がっている。なぜ、このような違いが生まれるのか。
■規制を求める動きが加速
「こんにゃくゼリーまたひとり こんにゃく入りゼリーで死亡−子どもや高齢者に絶対に与えない!−」。9月30日、国民生活センターはこのような表題で兵庫県で起きた死亡事故の概要を報道発表した。発表資料によると、1995年から2008年までに17件の死亡事故が発生し、その間、同センターは10回の注意喚起をしているという。
死亡事故の幼児がのどに詰まらせたこんにゃく入りゼリーの容器=国民生活センター提供〔共同〕
毎日新聞はこれを30日付夕刊で、『こんにゃくゼリー事故 死亡 兵庫の1歳児 国民生活センター「政府は対策を」』の見出しで報じた。記事では「これだけ大勢の人がなくなっている。政府で何らかの規制、対策を考えるべき」とのセンター理事のコメントとともに、米国や欧州連合(EU)、韓国ではこんにゃくゼリーの回収や販売規制などの措置が取られていること、この事故の製造元であったマンナンライフが具体的な対策を取らなかったことなどを伝えている。
朝日新聞は、「こんにゃくゼリー 対策取らず死亡17人目 規制へ縦割りの壁」との見出し。規制する法的な枠組みがなく、「すき間事案」になっていることが被害を広げているとの論旨で、主婦連合会事務局長の「そもそも高齢者や子どもが食べてはいけないお菓子が流通していること自体おかしい。早急に消費者庁を設置して、規制すべきだ」とのコメントを添えている。
規制を求めるトーンはこの2紙に限らない。一連の報道を受けた形で一部商品の製造が中止され、ゼリーへのバッシング、規制を求める動きが加速した。野田聖子消費者行政担当相は、マンナンライフの経営者を内閣府に呼び、自主回収を促した。自民党の消費者問題調査会は、形状などを規制する議員立法の策定に向け検討に入っている。
■「餅のほうがよほど危ない」
一方、ネットの声はどうか。
「13年で17人の死亡は、逆に危険度が低いのではないか」「餅のほうがよほど危ない。こんにゃくゼリーを発売中止にするなら、餅も中止にすべき」「消費者にも責任があるのでは」――。
こんにゃくゼリー規制論ばかりのマスメディアに対し、ネットのブログや掲示板では、さまざまな意見や分析が行われている。
その1つはマスメディアによる報道の検証。例えば、こんにゃくゼリーの死亡事故17件の大半をマンナンライフが原因(実は同社による死亡事故は2件)であるかのように書いたり、マンナンライフがカップ形状を改良するなどしているにも関わらず対策を取っていないかのように書いていたりする記事は、マスメディアによる印象操作ではないかという批判がある。
また、規制の必要性として記事中に引用されることが多いEUの規制は、食品添加物によるもので窒息に関してではないと指摘し、「都合よく窒息の規制と結びつけている」と述べる人もいる。
もっとも多いのは、こんにゃくゼリーは規制するほど危険な食べ物なのかという疑問の声だ。ニュース系ブログ「Gigazine」は、厚生労働省の調査「食品による窒息事故に関する研究結果等について」を引用して、『「こんにゃく入りゼリー」よりものどに詰まって死亡した件数が多い危険な食べ物ベスト10』』との記事を公開している。
このランキングでは1位は餅の168例、2位はパン90例、3位はご飯89例(数字は死亡以外の事故を含む)。記事では、ごく普通に食べられている食品でより多くの事故が起きていることを強調している。
報道によると、このような「餅はどうなのだ」という声について、野田消費者行政担当相は「餅はのどに詰まるものだという常識を多くの人が共有している」と語ったという。こんにゃくゼリーへのバッシングは収まる気配がない。
■マスメディアは誰の味方なのか
ネット上でも商品の回収や企業姿勢を問う声があるが、マスメディアでの議論と最も異なるのは、消費者側の責任が語られている点だろう。
「子供に注意、凍らせてはいけないとパッケージに書いているのになぜ食べさせたのか」「センターが危険を呼びかけているのだから消費者も気をつけるべきなのではないか」という声はマスメディアで取り上げられることはめったにない。
ブロガーの山口浩氏は、『こんにゃくゼリーを「安全」にするいくつかの方法についての提案』という記事の中で、「消費者を赤ちゃん扱いするのが消費者行政ではないということをお忘れなきよう。本物の赤ちゃんは成長していくが、大人を赤ちゃん扱いしていると成長どころかむしろ退化していってしまう」と指摘している。単に消費者に責任を押し付ける議論は無意味だが、消費者行政のあり方とあわせて考えるという視点は当然あっていいはずだ。
しかしながら、新聞をはじめとするマスメディアでこのような消費者責任論を見かけることは少ない。その理由は、以前のコラム「マスコミはなぜコミュニケーションの中心から消えたのか」で書いたように、マスメディア(特に新聞の一般紙)が近代啓蒙主義の枠組みの中にあるからだ。
繰り返しになるが、報道の現場には「公務員や大企業はバッシングしても当然、叩き得」といった考え方すらある。その一方で、国家に対する弱者である「市民」を批判することはタブー視されている。私も新聞記者時代に、事故原稿などで何度か個人の責任について書いたり、記事の文末に「行政の責任が問われる」と書くお約束を止めようとしたりしたが、いずれも実現しなかった。
マスメディアに根強く残る「反権力」「市民派」といったステレオタイプなジャーナリズムの大きな問題は、人々の無責任と依存を生み出すところにある。あるときは規制を批判しながら、何かトラブルがあるとすぐに行政の責任を問い、規制を求める方向に議論を進めてしまう。今回の場合は、福田前政権の最大の置き土産である消費者庁設立の「実績作り」に加担している側面は否めない。
ステレオタイプなジャーナリズムでは問題を深く掘り下げることができないだけでなく、議論のバランスを取ることが難しいため、ある程度のところまで進むと一気に目論みが反転する。教師批判が、モンスターペアレントバッシングになったように。本来の目的が見失われ、守るべき弱者を不幸にしていく。
そもそも、権力側が責任を持って人々を「保護」してくれる、というのも怪しいものだ。こんにゃくゼリーを巡る議論の違いを見ていると、マスメディアと政・官が「共犯」となり、人々の自律や社会のイノベーションを阻害している、と言っても言い過ぎではないように思えるのだ。
[2008年10月17日]