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Commons、田中良紹、拉致が起きた根源はつきつめれば(出来の悪い孫の祖父)吉田茂が署名した日米安保条約にある。
http://www.asyura2.com/08/lunchbreak13/msg/520.html
投稿者 小沢内閣待望論 日時 2008 年 10 月 17 日 12:38:01: 4sIKljvd9SgGs
 

http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20081017-01-1301.html
拉致はなぜ起きたか
2008年10月17日 The Commons
 アメリカが北朝鮮に対するテロ支援国家の指定解除をした事で、拉致問題は置き去りにされたとの見方が広がっている。日米同盟を拉致問題解決の鍵だと思ってきた人は裏切られた気持のようだ。しかし私は拉致問題の解決をアメリカに依存する事に疑問を抱いていたので、むしろ外交の現実や日米同盟の意味を真剣に考える機会が訪れたと考えている。
 なぜ拉致事件が起きたのか。つきつめれば北朝鮮にとって日本は怖い国ではなかったからだ。まず北朝鮮は日本警察の捜査能力を恐れていなかった。さらに北朝鮮の犯行である事が発覚しても日本には反撃する能力がない事を知っていた。つまり戦後の日本が選択した安全保障体制は北朝鮮には効き目がなかった。日米同盟だけでは拉致事件を防ぐ事も解決する事も出来ないのである。
 朝鮮戦争が始まったのは1950年6月だが、戦争が膠着状態に陥っていた51年9月に日本は独立国となるためサンフランシスコ平和条約を締結し、主席全権委員である吉田茂総理は単独で日米安保条約に署名した。日本占領軍からアメリカ以外の軍隊は撤収し、米軍だけが日本に駐留する事になった。朝鮮戦争の出撃基地を必要としていたアメリカと戦後復興を優先するため軍事をアメリカに委ねようとした吉田の考えが一致した結果である。
 しかし日本が独立するのに軍事をアメリカに委ねる考えには抵抗があった。吉田は米軍を「番犬」だと説明して理解を得ようとした。安保条約に反対する党人政治家松野鶴平に「犬とえさ代は向こうもちだ」と語ったという。同じ自由党の中でも鳩山一郎は再軍備を主張して激しく対立し、吉田に総理辞任を迫った。これらの反対を封じ込めたのが52年8月の「抜き打ち解散」である。自由党は吉田派と鳩山派に分かれて分裂選挙を戦った。結果は自由党が大勝、党内でも吉田派が勝利した。こうして再軍備路線は敗れ日米同盟路線が確立された。およそ半世紀後の郵政選挙と似た分裂選挙だったが、吉田路線が半世紀以上も続いているのに、小泉路線は早くも消えかかっている。
 朝鮮戦争のお陰で日本は工業国として戦後復興を成し遂げた。吉田の目的は達成されたが日米安保はそのまま継続された。日本はソ連、中国の核に対しアメリカの核の傘を必要としたからである。高度成長真っ只中の60年には岸信介総理によって新安保条約が締結された。期限は10年だがその後も破棄されずに現在でも効力を有している。
 しかし日米安保を巡ってはこれまで様々な議論があった。日本が高度経済成長を成し遂げるにつれ、米国内には「安保ただ乗り論」が浮上した。アメリカにのみ軍事的負担を負わせて日本は金儲けに専念しているという批判である。また「経済大国は必ず軍事大国になる」と言ってキッシンジャーは日本が核保有国になる事を予言した。言い換えれば日本がアメリカの核の傘から脱して自立するという予言である。一方で中国は日米安保は日本を「軍事大国化=自立」させない「ビンのふた」であるとして脅威を感じるどころかむしろ歓迎した。
 60年安保当時、自民党の椎名悦三郎副総裁は米軍を「お番犬様」と敬語をつけて呼んだが、それでもまだ米軍は「番犬」だった。それが85年に日本が世界第二位の経済大国となり、アメリカが世界一の債務国に転落した頃から、アメリカの反撃が始まった。日本をソ連に代わる「次の脅威」と位置づけ、日本経済の強さの秘密を徹底分析し始めた。
 91年にソ連が崩壊して日米安保の必要条件が消えた。冷戦の崩壊は世界的に民族主義の台頭をもたらす。それを契機に日本も自立への道を歩みだすかと思ったが、現実はまるで逆の方向、隷属の方向に歩みだした。クリントン大統領と橋本龍太郎総理は「日米安保再定義」を行い、アジアには中国と北朝鮮が存在するという理由で安保条約を存続させた。しかし既にアメリカは中国、北朝鮮と独自のパイプを持ち、「日本パッシング(無視)」の状態にあった。日米安保はもはや中国と北朝鮮に日本の力を行使させないための「ビンのふた」でしかなかった。ところが不思議な事に日本人は誰もそうは思っていなかった。
 アメリカのブッシュ大統領は北朝鮮を「悪の枢軸」と呼んだが、私は全く信じなかった。かつてイランと国交断絶しているはずのアメリカからイランに向けて食糧のコメが輸出されている現実を見た事がある。アメリカに限らず外交とはそういうものだ。二枚舌、三枚舌でないと世界は生き抜けない。思った通り、北朝鮮がミサイル実験を繰り返す度に日本はアメリカにすがりつき、イージス艦やMD(ミサイル防衛)などアメリカが求める兵器を買うようになった。いずれも高価な買い物だがブラックボックスがあって日本には知らされない。北朝鮮はアメリカに武器販売の利益をもたらし、同時に日本の自衛隊を兵器ともどもアメリカのコントロール下に置く事に貢献した。
 これほどアメリカに貢献してくれる北朝鮮をアメリカが利用しないはずはない。そのアメリカに拉致問題の解決をお願いするとはどういうことか。私にはどうしても理解が出来なかった。アメリカは拉致問題に同情はするだろう。しかし腹の中では「自分で解決すべき問題でないの」と思うはずだ。主権に関わる問題を他国にお願いをして解決してもらう国など世界中にあるはずがない。同盟国に協力を求める事はあるだろう。しかしそれは当事国が中心的活動をしていることが前提だ。それもせずにお願いをする国などない。拉致被害者の家族が日本の政治家ではなくアメリカ大統領にお願いをする姿は、私には悲しすぎるし恥ずかしすぎた。日本が自分では何も出来ない国になってしまった事をまざまざと見せつけられた。
 拉致被害者の家族は麻生総理にも面会して解決を要請した。私に言わせれば拉致が起きた根源はつきつめれば吉田茂が署名した日米安保条約にある。残念ながらそれによって日本は自立して外交を行う国でなくなった。国益よりも他国の評価を気にし、しかも多少の金があるために研ぎ澄ました外交感覚を持つ事が出来ない。
インド洋の海上給油が必要な理由は、それをしないと国際社会から評価されないからだと言う。しかし国際社会から嫌われる事を恐れる国など世界中にあるだろうか。アメリカもロシアも中国もイギリスも立派に国際社会から嫌われている。国益を追求すれば嫌われるのは当たり前だ。戦後復興を成し遂げ、高度成長を達成するまでの日本は世界中から嫌われ蔑まれてきた。事の是非はともかく日本はそれをバネにさらに上を目指してきた。その頃の自民党政権はアメリカの言いなりにはならなかった。言いなりになるような顔をしながらしっかり相手にボディブロウを打ち続けた。だから日米関係は常に「摩擦」や「戦争状態」だった。しかし80年代半ばからそれが変った。日米関係に「戦争」はなくなり日本はアメリカの「飼い犬」になった。
麻生総理が所信表明で述べたように、自らを「第92代内閣総理大臣」と歴史の流れの中に位置づけるなら、吉田茂の孫である事を誇るのではなく、吉田路線を乗り越える新たな日本政治を切り開くと拉致被害者の家族に誓わなければならない。そうしないと拉致問題は永遠に解決されない。そしてこの国は本当にただただ溶解していく事になる。
(田中良紹)

 

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