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プラウト経済
2004年12月08日★次世代経済システム「プラウト主義経済」について(3)
それでは前回からの続きとして、この「プラウト主義経済」が実現すると、どのような経済社会が誕生するでしょうか。
サーカー氏を恩師とするラビ・バトラ氏は、プラウト主義の経済社会を@医療、A教育、B自営または小企業分野、C法人分野、D公共分野の5段階の分野に分け、次のように分野別に示しています。
■[医療・教育分野] 国家によってすべて無料で提供されます。
人間が人間らしく生きるためには、この二つのサービスが誰に対しても平等に提供されることが必要であり、所得や富の差が、受けられる医療と教育の差につながることがあってはならないといいます。
人間が前世や現世で犯す過ちの大部分が、無知によるものだとし、無知を追放するためには教育が一番の手段であり、無知のために過ちを犯すことがないように、教育はすべての人に平等に与えなければならないと言います。
医療保険制度や義務教育とは異なり、どれほど高等なレベルのものになっても無料になります。
■[自営または小企業分野] プラウト主義経済では、社会のサービス分野・商業部門を担当する分野。
政府によって、癒着等無い完全な競争が保障されています。また、この分野での現行の経済システムでは労働条件や賃金面が不当であったり、非常に低いものになることが多いですが、プラウト主義では労働者に適正な賃金が支払われているか、大きな賃金格差が無いか、税金が規定通り支払われているかなど、厳重にチェックされます。
■[農業分野] 農業は先に挙げた、自営または小企業分野に相当しますが、食糧は誰にとっても死活問題であるため、特異な性格を持った分野になります。
農産物の生産者と消費者が直結した「協同組合方式」を採用します。生産地と季節にあった安全な作物が作られ、直接消費者に送られ消費されるのです。
■[法人分野] 消費財を生産する部門が、この分野を担当。現行の株式会社・大企業に相当。
株式の所有は、現在のように富裕者に独占させるのではなく、少なくとも51%の株はその企業の従業員が所有し、経営権は資本家ではなく従業員たちが持つことになります。
従業員の代表が経営にあたる場合でも良く、また、彼らが選ぶ経営の専門家に経営を委託することでもよく、人事権は従業員にあります。
企業内での一体感、「慈悲の心」に基づく人間関係を構築するためにも、大企業でも所得格差は10倍以下に押さえるというものです。
■[公共分野] エネルギー、工業用原材料の生産、交通、通信などが公共分野に属する産業と言います。
公共事業分野は官僚主義に陥りがちな中央政府ではなく、地方自治体が直接運営します。
法人分野の営利目的とは全く異なった目的が、これら公共事業では要求されます。公共的な資源の適切な配分が目的となります。
(まとめ)
ラビ・バトラ氏の分野別での指標をかなり簡単にまとめましたが、「プラウト主義経済」というものを僕なりにまとめますと、それは、今までの消費型経済システムの、「自由」というものを過度なまでに尊重したことによっての歪み=過度な「自由」に対するマイナス面を吟味せず、「無限の存在」への憧れを精神でなく物質的なものに追い求めたことで、富は一極集中し、貧困・食糧難を生み出し、環境はあまりにも大きく破壊されることになりました。
ですから、私たちは有限な物質・知識を「無限の存在」と錯覚していたのかもしれません。
「無限の存在」は精神でしかつながることはありませんから、個々に「無限の存在」へと精神がつながるよう実践し、それによって幸福感を満たすことが大切になってくると考えます。
それと同時にサーカー氏の言う物質・知識とのバランスも大切になってきますので、「有限な物質・知識」を「無限の存在」と考えるのではなく、「有限」なものであるとの自覚をしっかりと持ち、大切にし、また、「無限の存在」を精神的に知ることによって、私たちはそれをヒントに、「有限な物質・知識」を無限に活用できるようなシステム(カウンターテクノロジーや再資源化・再利用化など)を作ることによって、システムの中での無限性を再現し、「永続可能な社会=資源循環」を形成することが大切かと考えます。
また、「無限の存在」と精神的につながる幸福感をベースに、「エゴ」を排除し 、「慈悲の心」、「博愛の心」をもって人間関係の調和を満たすために、富の一極集中や所得格差の無い、資本の公平分配のできるシステム=「資本循環」をも大切かと考えます。
すなわち、私たちは、意識の覚醒・意識改革によって、物質的欲望ではない精神面での「無限の存在」とのつながりを持つことによって幸福感を得るようにし、同時に「資源循環」、「資本循環」のシステムを構築し、「持続可能な社会」を作り出すことが急務であると考えます。
そして、その「持続可能な幸福感に満ちた社会」はサーカー氏、ラビ・バトラ氏のいう「プラウト主義経済社会」であり、椛D井総研 名誉会長 船井幸雄氏のいう「超資本主義」あり、ネットワーク 地球村 代表 高木善之氏のいう「持続可能な社会=地球村」であり、フォトンベルトでいう「アセンションした世界」のように考えます。
それにしても、1959年にすでに、神の啓示を受けて「プラウト主義」を打ち出していたサーカー氏には驚かされるものです。 (続く)
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2004年12月07日★次世代経済システム「プラウト主義経済」について(2)
プラウト思想では、前システムの欠陥に対する反応だけでなく、人間本来の「無限の存在」へのつながりを持つ精神と有限な物質、知識とのバランスをベースにして社会を作り上げていかなければならないと言います。
プラウト主義理論(Progressive Utilization Theory)は、その言葉通り社会がマイナス面に囚われることなく前進させていく思想です。
[科学技術とプラウト]
この点を人間と物質とが関わりあう科学技術を例にとって考えると、科学技術の進歩と共に私たちは「便利・快適」という多大な恩恵を受けてきたわけですが、それに伴う環境破壊も進行していくことも事実です。
プラウト主義の場合、科学技術の進歩だけが必ずしも私たちを幸福にするものではないとの考えに立っており、科学技術において新たに開発されるものに対しては、そのプラスの部分とマイナスの部分とを考慮し、マイナスをも排除するための投資と技術革新をも発明しない限り、新開発したものは市場に導入しない策を講じる考えです。
例えば自動車の場合、20世紀初頭、自動車が生み出された時、自動車が普及することによるマイナス面が十分吟味され、そのマイナス面に対するカウンターテクノロジー(対抗技術)に投資され、排気ガスをクリーンにする技術や資源のリサイクル・再使用が開発されていれば、今ほど環境は破壊されてはいなっていたでしょう。
このようにプラウト主義は、科学技術だけでなく富や労働力等、あらゆるものに対し、新しい発明がある度に、そのマイナス面をチェックし、除去できる見通しが立たない限り利用しないという考えに立っています。ですから、このような考えに立ち、完全にマイナス面が除去され採用される新発明の場合は、人類にとっての完全な進歩になるのです。
プラウト主義のいう「進歩的利用」というのは、このようなシステム・考えが基本であります。(環境問題編で少し触れていますが、科学技術などにおいては、現在の環境先進国は国・企業・消費者が一体となってこれに近いシステムを作り出しています。)
[プラウト主義経済]
従来の経済システムでは確実に大きな貧富の差が出てきます。(国際政治&世界経済編にも書いてありますが)富を持つものは政治をもコントロールし、ますます自分達に有利な世の中を作り出すことができます。競争にも打ち勝ち、ますます富をもつようになり、次第に独占的経済体制へとなっていきます。現在のアメリカがそれを如実にあらわした例でありますが、富の集中で独占的経済体制を作り出すことによって、最終的には多くの失業者や開発途上国においては食糧危機に直面するほどの貧困を作り出すことになるのです。
その反発を回避するために富裕者はマスコミ、そしていわゆるエコノミストと呼ばれる人たちを利用します。
「富裕者は所有する富を生産のために投資する。投資が増えれば、経済は成長し、高い賃金を払え、失業者に雇用機会を与えることができる。それによって、世界の人々は潤うし、失業者も減っていく。だから、富裕者は税制面でも優遇されるべきだ。」とか、
「富裕者は勝ち組なのです。この競争社会に勝ってきた人たちなのです。彼らは成功者なのです。賞賛に値するのです。彼らのような成功者になるとあらゆる夢が叶いますよ。富を持つことが成功なのですよ。皆さんも彼ら富裕者層を目指してがんばりましょう。」などとか、
世間一般的に言われていることです。(ただし、全ての富裕者層が悪いわけでは無く、中には本質に気付いて、次の調和ある世界に向け世の中に貢献するものに投資したり、寄付したり、素晴らしいことをしている人々もいます。)
このように、富裕者層=成功者的な風合いが強い現代社会ではありますが、プラウト主義経済では、富の一極集中が様々な不調和の原因としています。
そのためには、まず富裕者によって労働者が搾取されないことが目標となります。プラウト主義では富裕者と一般の労働者との経済的格差をできるだけ狭めていく経済構造をつくることが目標です。
とはいえ、怠け者を擁護するシステムではなく、勤労が奨励され、より多く(質と量)の働きをした人により多くの報酬があり、だからといって、好きなだけ暴利を貪ることが許される社会であってはいけません。
賃金や経済的な格差を10倍くらいまでとし、より多くの報酬がある人はより多くの納税を今の社会とは違いきっちり納税し、報酬の少ない人であっても、人間らしい生活を保障するものとし、格差を縮めようとするものです。
現代は、政治的民主主義によって、一国の大統領や総理大臣が最高の収入と富をもつ時代ではなくなりました。それと同じように、プラウト主義経済では、税制面の徹底や賃金格差の姿勢でもわかるように、「経済的民主主義」が「プラウト主義経済」の目標であるわけです。
それでは、次回はいよいよこの「プラウト主義経済」が実現するとどのような経済社会が生まれるでしょうか。そのあたりを次回、投稿していきます。
(続く)
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2004年12月06日★次世代経済システム「プラウト主義経済」について(1)
(前回の続き)
それでは、サーカー氏が1959年に提唱していた「プラウト主義経済」とはいったいどのようなものでしょう。
過去の多くの社会思想や社会哲学は、その前の時代に対する対応、もしくは反動として生まれ、前の時代の欠陥を修正するということが基本にありました。ですから、ごく狭い視野でとらえられ、それまでの社会の成り立ち(=社会循環の法則)や人間の本性を無視した形で生み出されることが少なくありませんでした。
例えば、「共産主義」は19世紀の資本家達があまりにもひどい搾取を子供達や女性をも含む労働者に行ってきたことへの反発として生まれました。
マルクスは偉大な思想家の一人ではあるものの、彼の思想はこの労働者の苦しみや怒りに対してだけに焦点を当てていたために、彼は労働者による社会支配=プロレタリア独裁思想にとりつかれ、大きな誤算を生み出すことになってしまうのです。
結果的に労働者達は社会を統治することができず、労働者達に代わって、軍人的な考えを強く持つソ連共産党がその統治に当たることになったのです。
この時、マルクスが見落としていたのがサーカー氏のいう「社会循環の法則」というものです。
「社会循環の法則」というのは、人類史上、社会を統治していた力を考察すると、労働者が社会を統治したことは一度も無く、「武力(武人)」、「知識(知識人)」、「富(富裕者)」のいずれかの力が社会を統治しており、しかもそれら三つが循環(武力→知識→富→武力…)しているということです。
それらの力が無い労働力=プロレタリアが社会を統治できるとしたところにマルクスの誤算があったのです。
1917年以降、ソ連を統治したのは共産党でしたが、その法則によれば、資本家達(富)の後のソ連は「武人の時代」だったのです。
「社会循環の法則」を西欧史の例で考察して見ますと、「武力」支配によるローマ帝国時代→「知識」による権力の集中、ローマ・カソリック教会→「富」を持つハプスブルグ家・メディチ家の豪奢に象徴される富裕者の時代→「武力」によるフランス・ルイ14世、英国エリザベス1世の即位に象徴される絶対王政→フランス革命でクライマックスを迎え、市民国家の成立、議会政治の発展、法と理という「知識」で統治する知識人の時代→産業革命による「富裕者の時代」=資本家と労働者との階級分離を生む資本主義の発展…
絶対王政への反発としての「自由」を求め発展した資本主義は、「自由」ということだけをあまりにも尊重したがために産業革命以降、さらなる人間の貪欲さ傲慢さが拡大していくこととなりました。そして、その歪みは現在、大きな問題へと発展します。
これらのように資本主義も共産主義も、前時代への反応によって生み出されてきたわけですが、サーカー氏のいう「プラウト思想」というものは確かに資本主義や共産主義に反応して生まれた側面もありますが、それだけでなく、人類の歴史と人間の本性をも併せ持って考え出された思想なのです。
サーカー氏は、人間の本性として、人間の心には三つの側面があると言います。その三つとは、「物質」、「知識」、「精神(スピリチュアル)」であり、その三つのバランスが重要であると言います。
その中でもサーカー氏が最も強調するのが「精神(スピリチュアル)」であります。
社会がますます複雑化する中で、人間が受けるストレスはますます強まるばかりです。多くの人々がそのような状態にある中、救える手段は「無限の存在」につながることしかないと、サーカー氏は言います。
「全ての人間は幸福を求めている。苦しみを求めているものはいない。人間は食べ物やダンスに飽きることはあっても、幸福な状態に飽きることはない。すなわち、人間は幸福を無限に追求しようとする。」と、サーカー氏。
動物はお腹がいっぱいになれば眠り、お腹が減ればエサを求めますが、自分が食べる以上のエサを得ようとはしません。動物には、人間が持つような無限の幸福への欲求がありません。
ところが、人間の場合、無限の欲求を持っているのです。必要以上に穀物を生産し、必要以上に獲物を殺し、必要以上の富を築こうとします。どんなに優れた科学者でも、この宇宙全体は知ることができないにもかかわらず、それを求めようとします。
このように人間というものは物質も知識も有限であるにもかかわらず、無限を求めようとする「無限への憧れ」があり、これは人間というものが本来、「無限の存在」との何らかのつながりがあることの現われだと言います。
ですから、人間というのは「無限の存在」とつながることによって幸せを掴むことができる存在であるといいます。
物質も知識も人間にとっては必要で大切なものですが、それらは有限な存在であり、それらをどれほどたくさん持ったとしても、それらによって無限の幸せを掴むことはできないのです。無限なものは「精神」だけなのですから。
「物質」、「知識」、「精神」、この三つのバランスがとれている社会をプラウトと呼び、ブッダの言う「中庸」と呼ばれるものに近いものとされています。
人間の心とは、精神とは、本性とは…。人間に内在する根底的欲求とその意味を基本におき考え出されたプラウト。その具体的な施策とはどのようなものでしょうか。次回はそれらの点について投稿いたします。(続く)
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