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現実の国際社会では、自国の国民も苦しいときにほかの国に食料を分けてくれるような国はないのだ。結局頼れるのは自国の農業
http://www.asyura2.com/08/senkyo52/msg/591.html
投稿者 TORA 日時 2008 年 8 月 17 日 17:27:00: CP1Vgnax47n1s
株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu174.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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現実の国際社会では、自国の国民も苦しいときにほかの国に食料を
分けてくれるような国はないのだ。結局頼れるのは自国の農業しかない
2008年8月17日 日曜日
◆日本の食料安全保障を脅かすもの 7月25日 山下一仁
http://www.rieti.go.jp/jp/papers/contribution/yamashita/46.html
穀物価格の高騰が話題となっている。2000年に比べ大豆の価格は2.5倍、とうもろこしは3倍、小麦は5倍に高騰している。これは人口・所得の増加による食用需要の増加やエタノール需要の増加等によるものである。しかも、今後さらに需要が増加することが予想される。
世界の人口は20世紀初めの16億人から2000年には61億人となった。国連の推計によると2050年までに92億人へ増加する。さらに、(畜産物1kgを作るのに、牛肉では11kg、豚肉では7kg、鶏肉では4kg、鶏卵では3kgのとうもろこしが必要なので)経済成長による穀物消費から畜産物消費への移行によって穀物需要は大幅に増加する。
世界のエタノール生産は2002年の3407klから2007年には6256klに約倍増した。このうち41.7%のシェアを持つアメリカは国内とうもろこし生産の3割を使用し、32.3%のシェアを持つブラジルは国内サトウキビ生産の5割を使用している。エタノール生産がどこまで拡大するかはわからないが、穀物のエネルギー利用が進むことで、穀物価格と石油価格が連動するという新たな現象が起きている。
これに供給サイドが対応できなければ、国際価格はさらに上昇し、途上国に飢餓が発生する。これまで世界の農業は、人口増加に単位耕地面積当たりの収量(単収)の増加で対応してきたが、単収の伸びは1960年代の3.0%から1970年代の2.0%、1980年以降1.5%へと逓減傾向にある。
また、アメリカやオーストラリアなど世界の大規模畑作地域等において、土壌流出、地下水枯渇、塩害などによって生産の持続が懸念されている。土壌は風と雨によって侵食されるが、アメリカでは、大型機械の活用により表土が深く耕されるとともに、機械の専用機化により作物の単作化が進み収穫後の農地が裸地として放置されるので、土壌侵食が進行する。かんがい等のための過剰な取水や揚水により、アメリカ大平原の地下水資源であるオガララ帯水層の5分の1が消滅した。乾燥地で排水を十分しないままかんがいを行なうと、地表から土の中に浸透する水と塩分を貯めた土の中の水が毛細管現象でつながってしまい、塩分が地表に持ち上げられ、表土に堆積する。これが塩害である。これで古くはメソポタミア文明が滅び、20世紀ではアラル海が死の海となった。さらに、地球温暖化が食料生産に与える影響がいまだ十分には解明されていないという問題がある。
日本の食糧安全保障の現状
ウルグァイ・ラウンド交渉の最終段階で、我が国は輸出禁止などに対し規制を行うよう提案したが、インドの大使から不作の時に国内消費者への供給を優先するのは当然ではないかと反対された。日本は今年4月にも似たような提案を行ったが、これまで国内農業を保護するため高い関税を維持し輸入をしないといってきたのに、足りないときには輸入させろというのは虫がよすぎないかと非難されている。輸出国と供給協定を結んで、不作のときに供給保証をしてもらえばよいではないかという主張もあるが、現実の国際社会では、自国の国民も苦しいときにほかの国に食料を分けてくれるような国はないのだ。日本でも戦後の食料難時代、生産県の知事たちは東京などの消費県への米供出に抵抗した。結局頼れるのは自国の農業しかないのである。
苦しいときには外国は当てにならない。食料安全保障とはそのような主張である。その前提となるのは農地資源の確保である。戦後、人口わずか7000万人で農地が500万haあっても飢餓が生じた。国民へ食料を供給する長野県の農地は長野県民だけの農地ではない。東京都民の農地でもあるのだ。農家が自らの資産運用のため、あるいは地方が地域振興のためだと称して、宅地や商業用地に転用したいといっても勝手に処分を認めてはならない。それが食料安全保障の考え方であり、そのために農業には手厚い保護が加えられてきたはずだ。
しかし、公共事業等により110万haの農地造成を行った傍らで、1961年に609万haあった農地の4割を超える260万haもの農地が耕作放棄や宅地などへの転用によって消滅した。戦後の農地改革は、10aの農地を長靴一足の値段で地主から強制的に買収して小作人に譲渡するという革命的な措置をとった。所有権を与えて生産意欲を向上させ国民への食糧を増産するという大きな目的があったからだ。しかし、それで小作人に解放した194万haをはるかに上回る農地が潰されてしまった。農地を農地として利用するからこそ農地改革は実施された。小作人に転用させて莫大な利益を得させるために行ったのではないはずだ。現在イモだけ植えてやっと日本人が生命を維持できる465万haが残るのみである。これが農林水産省が国際交渉の場で好んで主張する食料安全保障の内情である。
食料自給率低下の理由
食料危機が唱えられる中で60年の79%から39%にまで低下した食料自給率を向上させるべきだと主張されるようになった。しかし、自給率低下の要因を正しく理解しなければ、間違った方向で農業保護を増大することになりかねない。米騒動を起こしたのも戦後タケノコ生活を送ったのも消費者であって農家ではない。自給率向上は本来消費者の主張であるのに、今日では農業団体が自給率向上を叫ぶ不思議がある。
自給率低下は食生活の洋風化のためであるというのが公式見解であるが、米の需要が減少し、麦の需要が増加することを見通していたのであれば、米価を下げて需要を拡大し麦価を上げて生産を増加させるべきだった。米価を下げても農業の規模拡大等の構造改革を行い、コストを減少させれば、稲作所得は確保できるはずだった。これが1961年農業基本法の基本哲学だった。しかし、反対の政策が採用された。戦後農政の最大の特徴は食管制度により米価を大幅に引き上げて農家の所得を保障しようとしたことである。しかし、高米価により消費は一層減少し生産は刺激されたので米は過剰となり、40年近く減反・転作という生産調整を実施している。他方で、農業資源は収益の高い米から他の作物に向かわず、麦は安楽死し、自給率は低下した。
生産調整は年々拡大し、現在では260万haの水田の4割に相当する110万haに及んでいる。約1400万トンの米の潜在生産力がある中で、約500万トン相当の生産調整を実施する一方、約700万トン以上の麦を輸入している。農地が減少したのも、高米価政策により米が余っているだけなのに「農地も余っている」という認識が定着し、誰も農地資源の減少に危機感を持たなかったからだ。
これを象徴する出来事がある。1970年産米からの本格的減反を打ち出した政府に対し、これまで増産運動を行なってきた農家・農村は、いっせいに反発した。しかし、農協は食管制度が崩壊しては農協が困ると判断し、全国一律一割減反を提示するとともに、10aあたり4万円以上の補償金を要求した。1969年末の総選挙では、減反に反発していた農家も補償金で面倒をみる式の選挙公約を乱発されたため、与党は勝利した。しかし、選挙後の大蔵省原案は農林省の要求3万1000円に対し、2万1000円、総額750億円だった。このため、農協に突き上げられた与党と政府との間で一大政治折衝が展開された。その結果、単価を3万5000円にアップさせる一方、財政負担の増加を抑えるため、当初考えられた150万トン規模の米の減反を100万トンに減少させ、残る50万トン分を自治体や農協が住宅用地等へ転用するということで決着をみた。国民・消費者のための食料安全保障に不可欠な農地資源を減少させ、農業を犠牲にすることで、農家、農協の利益を守ったのだ。
また、政府はWTO交渉で関税引下げの例外を主張しているが、代償として低関税の輸入枠(ミニマム・アクセス)の拡大が要求される。これは生産調整をさらに拡大し日本農業、農地資源のさらなる縮小をもたらす。
日本の食料安全保障を脅かすものは国内にあるのである。
(私のコメント)
戦後の日本人は安全保障に関しては完全に思考が停止してしまって日米安保があれば大丈夫だと思っている。護憲勢力も憲法9条を守れとはいっても、日米安保廃棄とは言わなくなった。日米安保が破棄されれば憲法9条が改正される流れになるのはまずいからだ。
自民党が日米安保を堅持しながら憲法改正しようとするのは難しいだろう。日米安保と憲法9条とはセットになっているから、どちらかだけを変えるのは難しい。だから自民党は日米安保堅持と言い、野党は平和憲法を守れと言うから与野党とも戦後の体制を変えることは難しい。
食糧安全保障も、アメリカという世界一の食糧輸出大国があったからまったく考えずに済むようになってしまって「食糧安全保障」という言葉は死語になってしまった。だから日本はアメリカの小麦や大豆やトウモロコシを毎年大量に買い付けてきた。その為に日本の農業はどんどん衰退してしまって、ついには食糧自給率39%にまで落ち込んでしまった。
食糧と言うのは基本的に自給自足が原則であり、食糧を輸出商品としているのはアメリカ、オーストラリア、カナダぐらいで、ヨーロッパなどの輸出国は余剰農産物を輸出しているのであり、国内で足りなくなれば輸出はしなくなる。今年の農産物価格の上昇で今まで食糧輸出国だったところも輸出を停止してしまったところが多くある。
アメリカも石油価格の高騰で直接農産物の価格の高騰につながり、世界的な食糧争奪戦が行なわれている。インドや中国も食糧輸出国だったのですが、生活水準の向上で肉類などを取るようになり家畜飼料などを輸入するようになった。だから金さえ出せば食糧が買える時代は終わろうとしている。
戦後間もない頃も農家はコメを出そうとはしなかったから、都会の生活者は農家に買出しに行って食料を確保して生活を凌いだ。だから一旦食料が不足すると言うことになると農家はコメを出し惜しみをして隠してしまう。1993年に冷害と台風の被害でコメは大凶作となりましたが、小売店は売り惜しみをして店頭から米がなくなった記憶がある。
しかし不作ではあっても外国から緊急輸入するほどではなかったらしい。むしろ農業を知らないマスコミの記者が「面白い映像」を探し出してコメがまったく実らない稲の画像を写し出して食糧危機を煽った。しかし不作は一年で済んだが、これからの食糧危機は新興国の需要が増大するものだから世界的な食糧危機が起きることが考えられる。
◆食料自給率の裏側を読む〜今年のコメの作柄は平年並み 2007/09/19 JANJAN
http://www.news.janjan.jp/living/0709/0709142317/1.php?action=all&msg_id=30114&msg_article=72321
米不足の真犯人はマスコミ
1.テレビの時代です。収穫前から各社が競って「面白い映像」をさがして過大に報道した。どのチャンネルを見ても「米が全く稔らない稲」の映像を放映した。
2.現地を知らない都市市民は「今年は米が全くとれない」と早合点した。石油ショックのトイレットぺーパーと同じ心理。ワーッと買い占めに出た。
3.スーパーの米売場から袋が消えた、と放映して、「入荷も滞りがちです」とアナウンス。翌日にお米屋さんに行列が出来ると、これまた面白おかしく放映して、「大変な事態です」とあおる始末。視聴率を稼ぐ為には致し方ないのかも知れません。
4.農水省も収穫予想を農協・或いは生産者団体の言うがままで発表。非農家出身の番記者たちはこれを鵜呑みにした。
5.冷害=不作=米不足 これは事実ではある。在京記者(多くは非農家出身?)たちはそれがどの程度かを現地で「自分の足と目」で確かめようとしなかった。
6.供給不足となれば価格が上昇するのが経済の原則。価格上昇で潤うのはどこか? 多くの在庫で困ってる者はないか?疑問すら湧かなかったのだろうか。
中間業者も本音は笑いが止まらなかった。と言うと叱られますが、事実です。ただし、欲をかきすぎて儲けたお金で「来年産米」までも買い占めにかかり、多額の予約金を渡して大損をした人もありました。翌平成6年の稲作は、どうみても平年作以下であるはずなのに、この年の作況指数は102でした。この先買い米が出回らざるを得ず指数を押し上げた?
(私のコメント)
日本の農業は兼業農家が多く、週末に農作業するだけの農家が多い。農業の売上げも50万円から100万円程度であり自家消費作物が余って出荷するような農家が多い。これではいったん食糧が足らなくなれば農家はコメを出荷せずに倉庫に置いて置くようにするだろう。
このような兼業農家が多くなったのは戦後の農政のせいですが、食糧安全保障を考えずに済んだ事が国内の農業が衰退してしまった原因だ。アメリカに頼っていればいいのだから国防と共に食糧安全保障の概念は日本人から消えた。減反政策で水田は放置されて転作は進まなかった。兼業農家では畑をフルに使うという事は無理で秋から冬の畑は何も生産はされていない。農業は副業に過ぎないからだ。
◆兼業農家の必然性 月刊 現代農業 2008年3月号 意見異見
http://www.ruralnet.or.jp/gn/200803/iken.htm
農業の世界でもアメリカモデルを暗黙の前提にして近代化が進められてきた。すなわち、戦後、大農機具導入と農薬化学肥料使用によって大規模化・専業化・生産性向上が推進されてきた。だが結果的には、1960年度に一戸当たり0.66haであった平均経営面積は、2002年度で1.88haと2.8倍に増えるにとどまった。また農家の専兼比率をみると、60年度に専業農家34.3%、第1種兼業農家33.6%、第2種兼業農家32.1%であったものが、02年度では専業農家20.1%、第1種兼業農家13.1%、第2種兼業農家66.8%となっている。大規模化・専業化の歩みは遅々としたものであった。このため農業は日本の産業の中で“劣等生”と刻印され、兼業農家はわが国農業の大規模化・近代化を阻害する張本人だと揶揄されてきた。
こうしたなかで、実質的に手つかずのままきた構造政策の柱である担い手対策が、品目横断的経営安定対策として実行に移されている。まさに小泉構造改革の農業版である。
多くの兼業農家の存在が大規模化・専業化を阻害しているとの議論には、「百姓を馬鹿にするのもいい加減にしろ」と声を荒らげざるをえない。
専兼比率とは若干異なるが、作物・畜種別の主業農家比率なるものをご覧願いたい。これによれば02年、米では主業農家比率37%、準主業農家27%、副業的農家36%となっているのに対して、米以外での主業農家比率は、野菜83%、果樹68%、花き86%、生乳96%、肉用牛93%、豚92%となっている。これらの数値は、専業化・規模拡大のメリットのある作物・畜種については、日本でもすでに専業化・規模拡大が進行していることを雄弁に物語っている。
逆にいえば、米では専業化・規模拡大のメリットが得られがたいがゆえに専業化・規模拡大がすすまなかったと理解するのが素直であろう。「百姓の知恵」が兼業化を志向してきたともいえる。現に、大規模専業米生産農家ほど所得確保に苦労するという「農政の矛盾」を露呈してきた。水田稲作が装置産業化し、土日中心の農作業で生産対応が十分可能になったことが大きいとはいえ、農外収入によって生活費を確保し、赤字覚悟でも米を生産することによって、兼業農家は水田を守り、地域を守り、お墓を守ってきたのである。それなのに、所詮、国際競争力を獲得できるはずもない規模の4ha以上の認定農業者か20ha以上の集落営農を担い手とし、これに絞って支援しようというのである。
(私のコメント)
水田耕作が装置産業化して副業化したのは政治に振り回されて利益が少ない作物だからだろう。土日中心の農作業に適したコメの耕作は大規模専業農家よりも兼業農家のほうが向いているのかもしれない。同じ農業でも果樹や野菜や酪農などは大規模化や専業化が進んでいるが米作はなかなか大規模化や専業化が進まない。農林省などは強引にコメ農家の大規模化や専業化を進めようとしているが、実情を知らないようだ。
むしろ農地法などの改正で遊休農地を貸し出ししやすくするほうが有効だと思う。日本の国会議員は法律を作るのが仕事なのに、法律作りはみんな官僚任せだ。世襲議員が多いから世の中を知らずにみんな耳学問ばかりだ。官僚も農家を知らないからいいかげんなその場しのぎの法律で間に合わそうとする。
◆小規模兼業農家のサバイバルと農政 2007/08/22 JANJAN
http://www.news.janjan.jp/editor/0708/0708190032/1.php
私は数年前から田舎でコメづくりを実際に行っている。集落の農家の多くは小規模兼業農家であり、後継者不足の中で高齢化がすすんだ結果として、2軒の農家に生産を委託する(賃貸=小作契約)家が増えている。小作契約の相場は意外と高く、1反(10a)約2万円だ。例えば5反を貸すと、年間10万円もらえることになる。土日の労働から解放されたあげく、お金までもらえるのだからこれ以上、いいことはない。
一方、小作は、5反の収穫はすべて自分のものにできる。コメを売ったお金と地主に支払う小作料の差額はかなり大きいが、小作者はその水田にかかる一切の費用(肥料や農薬ほか)を負担し、農機具を用意し、メンテナンス(草刈や消毒)もぜんぶやる。
いまどきは一家2人、3人のコメを1年間買って食べてもたいしたお金にならない。とにかく、先祖伝来の圃場(田んぼ)を手放さない(売りたくない)、休耕田にしない(土地改良で立派な田んぼになっていて、隣接する集落の田んぼの真ん中の田んぼを草ぼうぼうにはできない)、コメづくりのために貴重な休みである土日をつぶしたあげく、その労賃は出ず、農機代(購入・修理=ローン)や経費(肥料や農薬など各種雑費)で赤字を毎年、補填しなければいけないという悪循環から開放されたい、という課題が、田んぼを賃貸に出すだけで、ほとんど解決してしまうのである。
集落に大規模化を牽引するリーダー(人材)がいて、受け皿(小作の引き受け)がある場合、確かに、農業は可能性を帯びる。