★阿修羅♪ > 昼休み12 > 315.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20080811-01-1301.html
臨時国会と民主党代表選挙
2008年8月11日 The Commons
これからの政治を読む最大の鍵は臨時国会の召集時期だと以前から言ってきた。8月末召集というのは海上給油法案の再議決を前提としたいわば「けんか腰」の国会運営である。それが本当に出来るのかと私は疑問を呈してきた。国際貢献が必要だからと言って8月末召集を強行すれば、通常国会で小沢民主党代表が打った「総理問責決議」の布石が効いてくる。野党はこれを盾に冒頭から福田総理の所信表明をボイコットし、国会は前代未聞の与野党全面対決に突入する。
次に予想されるのは民主党が去年以来準備してきた自公分断策である。どこかで審議に復帰した野党は矢野絢也元公明党委員長、福本潤一元参議院議員、そして池田大作創価学会名誉会長らの国会喚問を要求する。公明党としては海上給油法案の延長の見返りに国会喚問が実現されてはたまらない。その前に国会を解散するよう福田総理にねじ込む事になる。もとより公明党が反対すれば海上給油法案の再議決は不可能になるから、海上給油法案を臨時国会最大のテーマに掲げた福田政権は何も実現できずに野垂れ死ぬか、破れかぶれの解散に突入せざるを得なくなる。与党にとっては最悪のシナリオであった。
どうやら与党は8月末招集を断念した。とは言っても公明党が主張した9月末ではなく9月5日召集を考えている。公明党の言うがままでは自民党内に不満がくすぶると判断したのだろう。しかし実際には9月末にならないと国会は始まらない。なぜなら民主党の代表選挙が9月8日から21日まで行われ国会は自然休会に入る。つまり民主党代表選挙を織り込んで公明党の主張よりも早めに召集する事にした。
もはや再議決を前提とした海上給油法案は臨時国会最大のテーマにならない。与党は民主党とも折り合える国際貢献策を考えるしかない。それを模索しながら景気対策や国民の暮らしに関わるテーマを取り上げざるを得ない。福田総理にすれば消費者庁設置法案を何としても成立させたいところだろう。一方で与党が再議決という「けんか腰」をやめた事で、野党は「総理問責」を棚上げし国会審議に応ずる事が出来る。こちらも国民の暮らしを巡る論戦に力を入れる事になる。
「総理問責」をただのパフォーマンスと見た人が大勢いた。しかし私は再議決をなくす布石として立派に役目を果たしたと見ている。まだ通常国会が終らぬうちから臨時国会召集を8月末と表明した与党に対し、野党が何の手も打たないようでは間が抜けていた。総理問責決議はその事に対応して打たれた布石である。ところが問責決議を「解散総選挙に追い込むための伝家の宝刀」などとありもしないことを思い込んだ政治の素人がいた。その人たちは「時期外れのただのパフォーマンス」と批判した。
優れた政治というのは誰にも気づかれないうちに目的を達する事である。国民が大論争を繰り広げないと物事が決まらないような政治はレベルが低い。国民には不幸な政治である。それは古今東西、民主主義であろうがなかろうが言われてきた政治の本質だ。ところが最近の日本では小泉政治以来、敵と味方を峻別し、大騒ぎを繰り返す事が民主主義であるかのような勘違いが続いてきた。それは民主主義でも何でもない。政治が幼稚化しただけの話である。アメリカでもイギリスでも政治家に最も求められるのは政策を実現するスキル(技術)であり、政策立案能力や論争術は二の次だ。そして静かに成し遂げた政治家ほど高く評価される。目に見えない布石の配置、それこそが政治のスキルなのである。
ところで与党の9月5日召集案には二つのシナリオがある。一つは民主党代表選挙が無投票の場合。5日は開会式だけにして総理の所信表明は9日以降となる。代表選挙が行われた場合には、総理の所信表明を22日以降にするというものだ。つまり無投票になれば8月末召集に近い国会日程になる。閉幕日が分からないので何とも言えないが、例年に比べると長めの臨時国会の日程である。長めの国会は与党と野党のどちらに有利か。野党に有利は言うまでもない。
つまり民主党は代表選挙を無投票にした方が、国会で十分に自らの主張をアピールできる事になる。与党のシナリオは民主党に対して「代表選挙を無投票にした方が長い国会日程を確保出来ますよ」と言っているようなものだ。それとも与党は民主党代表選挙が無投票にはならないと確信して、このようなシナリオを作ったのだろうか。
8月6日に日本記者クラブで講演した民主党の前原誠司副代表は、自らは代表戦に出馬しないとしながら「代表選挙は必ず行われると確信している」と述べた。代表選挙が必要な理由は、「党のマニフェストを常にブラッシュアップしなければならないからだ」と言った。小沢代表が参議院選挙で掲げたマニフェストに対して、対立候補が異なるマニフェストを掲げて代表選挙を戦い、そのことでマニフェストが「ブラッシュアップ」されると言うのである。
しかし民主党が参議院選挙で勝利したことはマニフェストが国民から支持されたことを意味する。仮に代表選挙で異なるマニフェストを掲げた候補者が勝利して、民主党のマニフェストが変更されてしまったら、参議院選挙の民意を民主党が無視する事にならないか。「ブラッシュアップ」は党内で日常的にやるものだ。そうして作成した新たなマニフェストを次の選挙で国民に示して判定を受ける。国政選挙で負けたなら代表選挙でマニフェストを競わせる必要はある。しかし国民に支持されたマニフェストを代表選挙の結果で変えて良いものか。マニフェスト選挙の理解が私とは異なる。
それより前、7月30日に日本記者クラブで講演した岡田克也副代表は個人的見解として、野党の党首選挙は衆議院選挙と連動させるべきだと発言した。権力を握る与党の党首は定期的に党首選挙をやる必要があるが、政権を狙う野党の党首は衆議院選挙で政権を取れなければ交代する。それまでは党首選挙をやる必要はないとの考えである。これは筋が通っている。であるならば参議院選挙に勝利した小沢代表は次の衆議院選挙まで党首選挙はしなくて良い事になる。
その上で岡田氏は「マスコミの宣伝効果を考えれば代表選挙には数十億円分の価値がある。宣伝のためにはやった方が良い」と言った。これは分からなくもない。どれだけマスコミが飛びつく魅力的な候補者が出てくるか、それがポイントになる。
そうなると民主党の選択は、代表選挙をやる宣伝効果と国会審議でアピールする事のどちらが効果的かという話だ。魅力ある候補者同士の代表選挙にマスコミを乗せられるか、それとも早くから国会で与党を相手に丁々発止の論戦を挑んで与党を追い込むか。そのどちらが党に有利かを判断する。
少なくも「代表選挙をやらないと民主的な政党とは思われない」とか、「開かれた党内議論が必要だ」などという幼稚な議論は早く卒業した方が良い。そんな事を言う政党は先進民主主義国にはない。あくまでもどうする事が選挙で有利になるかを冷徹に計算し、党利党略を極めることこそ政権交代を繰り返している先進民主義国の政党である。
(田中良紹)