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太田代表は上機嫌で「グー!」公明の「乱」は小休止
8月2日22時53分配信 産経新聞
首相、福田康夫にとって初の内閣改造・党役員人事が一段落した1日夜、自民党幹事長に返り咲いた麻生太郎と公明党幹事長の北側一雄はさっそく都内のホテルで酒を酌み交わした。2人は同時期に政調会長を務めた縁もあり親交が深い。北側は前任の伊吹文明とソリが合わなかっただけに店を出るなり「いや〜、自公で話ができるっていうのは本当にいいね!」と満面の笑みを浮かべた。
公明党代表の太田昭宏も1日昼、麻生の幹事長受諾を聞き、仏頂面を一変させた。衆院廊下の赤絨毯(じゆうたん)で記者にブリーフィング(状況説明)を求められると、お笑いタレント、エド・はるみのまねをして両手の親指を突き出し、「ブリーフィング! グー! グー! グー!」と巨体をうねらせ、2回転した。
公明首脳2人の機嫌の良さは安(あん)堵(ど)感の裏返しでもあった。この秋で10年目を迎える自公の連立関係は2週間前から重大な危機を迎えていたからだ。
「もし麻生さんが幹事長を固辞していたら閣外協力という選択肢もあった」
ある公明幹部はこう打ち明ける。もしそうなれば自民党は激しく動揺し、福田政権は「風前の灯」となったことは間違いない。そういう意味では改造は成功だったといえる。
公明党の支持母体である創価学会が来年7月に予定される東京都議選を見据え、「年内解散ありき」と舵(かじ)を切ったのは7月初め。同じころから公明党幹部が相次いで内閣改造に難色を示し始めた。改造すれば福田首相で次期衆院選を戦い、野党に転落する確率が増すからだ。「自民党は危機感が足りない」との声もにわかに強まった。この複数のベクトルは「年内に首相交代」を指していたことは明らかだった。
公明党側は7月下旬から「内閣改造は首相の専権事項だ」とトーンダウンしたが、矛を収めたわけではなかった。「これ以上圧力をかけると公明党が悪者になってしまう」(公明党幹部)と判断したためであり「やるならばどうぞ」と突き放した態度に変わりはなかった。
これは新閣僚の「公明党枠」の人選にも如実に表れていた。公明側が当初検討したのは国土交通相の冬柴鉄三の留任だった。先の通常国会で国交省べったりの答弁を繰り返し、党内で不評を買っていた冬柴を留任させれば「内閣を見捨てた」と受け取られることも織り込み済みだった。
だが、公明党は最終的にホープの一人である政調会長、斉藤鉄夫を環境相に推した。この点からも公明党は今回の改造に「及第点」を付けたといえる。
× × ×
公明党が突如始めた政権の「揺さぶり」は改造により小休止したが、自民党ではその余波が依然続いている。
1日午後の組閣本部設置から閣僚呼び込みまでの一連のセレモニーが1時間近く遅れたのは、総務会長ポストをめぐり、津島派が猛反発して調整に手間取ったこともあるが、実は閣僚の辞退者も相次いでいた。
発火点は防衛相ポストだった。福田は信頼の厚い石破茂に留任を求めたが、石破は「イージス艦『あたご』と漁船の衝突事故の責任を取らせてほしい」と固辞。代わりに政調会長の谷垣禎一に打診したが、谷垣も拒否した。その後、元IT担当相の茂木敏充も浮上したが、最終的に参院議員の林芳正に落ち着いた。
次期臨時国会では昨年に続き、新テロ対策特措法の延長問題が大きな争点となる。担当の防衛相は野党の集中砲火を浴びかねず、参院で問責決議を食らう可能性もある。多くの衆院議員は解散・総選挙を意識し、二の足を踏んだのだ。
農水相ポストももめた。福田は園田博之政調会長代理を起用を考えたが調整がつかず、難産の末、農水行政に縁遠い元総務庁長官、太田誠一に落ち着いた。津島派の反乱のあおりを受け、総務会長の座を追われた二階俊博の閣僚ポストもなかなか決まらなかった。
このような混乱もあり、新閣僚は再任や2度目の登用が目立ち、多くの閣僚待機組の初入閣は見送られた。改造内閣の布陣は福田が頭に描いた青写真とはずいぶん違っていたようだ。
2日午後0時半、新閣僚と初閣議を終えた福田は、首相官邸の大階段で恒例の記念撮影を行った。福田は直前まで経済財政担当相の与謝野馨とヒソヒソ話を続け、笑顔はほとんどなし。「自前の内閣」作りの心労からか、その左目はものもらいで大きく腫れていた。(敬称略)