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安政の大獄
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安政の大獄(あんせいのたいごく)とは、安政5年(1858年)から翌年にかけて行なわれた弾圧。
幕府の大老井伊直弼や老中間部詮勝らは、勅許なく日米修好通商条約に調印し、また徳川家茂を将軍継嗣に決定した。安政の大獄とは、これに反対する一派を弾圧した事件である。弾圧されたのは尊皇攘夷や一橋派の大名・公卿・志士(活動家)らで、連座した者は100人以上にのぼった。
なお形としては第13代将軍・徳川家定が「台命」(将軍の命令)を発し、以下に記す全ての処罰を行なったことになっている。そうでなければ譜代大名に過ぎない井伊直弼が、自分の目上に当たる朝廷一門・徳川一門を処罰することはできないからである。
目次 [非表示]
1 経過
2 受刑者
2.1 死刑・獄死
2.2 隠居・謹慎
2.3 永蟄居
2.4 遠島
2.5 重追放
2.6 中追放
2.7 押込
2.8 逮捕前に死亡
2.9 公卿の処分
3 関連項目
[編集] 経過
江戸時代後期の日本には外国船が相次いで来航した。中国がアヘン戦争に敗北すると日本国内でも対外的危機意識が高まり、幕閣では海防問題が議論される。老中・阿部正弘が幕府政治を誘導して幕政改革を行ない、1854年にアメリカ合衆国と日米和親条約を、ロシアとは日露和親条約を締結した。
嘉永6年(1853年)に第12代将軍徳川家慶が死去し、第13代将軍に家慶の四男・徳川家定が就任するが、病弱で男子を儲ける見込みが無かったので将軍継嗣の問題が起こった。前水戸藩主徳川斉昭の七男・一橋慶喜(徳川慶喜)は英明との評判が高く、これを支持し諸藩との協調体制を望む一橋派と、血統を重視し、現将軍に血筋の近い紀州藩主徳川慶福(のちの徳川家茂)を推す保守路線の南紀派とに分かれ、激しく対立した。
この頃、米国総領事ハリスが通商条約・調印を迫っていた。老中・堀田正睦は朝廷の権威を借りて事態の打開を図ろうとしたが、梅田雲浜ら在京の尊攘派の工作もあり、孝明天皇から勅許を得ることは出来なかった。
安政5年(1858年)4月、南紀派の井伊が大老職に就任する。井伊は「勅許を得ず」条約に調印。また家茂を将軍継嗣とすることを断行した。水戸老公徳川斉昭は、一旦は謹慎していたものの後復帰し、藩政を指揮し、水戸藩主徳川慶篤(斉昭の長男)を動かし、尾張藩主徳川慶勝、福井藩主松平慶永らと組んだ。彼らは条約調印は止むを得ないが、勅許なく条約に調印したことは不敬と考え 井伊を詰問するために不時登城(定式登城日以外の登城)した。井伊は「不時登城をして御政道を乱した罪は重い、との台慮(将軍の思し召し)による」と台命として彼らに隠居謹慎などに処した。
1859年8月には朝廷工作を行なっていた水戸藩らに対して戊午の密勅が下され、ほぼ同じ時期、幕府側の同調者であった関白・九条尚忠が辞職に追い込まれた。このため9月に老中間部詮勝(間部は後に批判された)、所司代酒井忠義らが上洛し、近藤茂左衛門、梅田雲浜らの逮捕を皮切りに空前の弾圧が始まった。
京都で捕縛された志士たちは江戸に送られた。また江戸で捕らえられたり、藩地から呼び出されたものもあった。彼らは江戸伝馬町の獄などで詮議を受けた後、切腹・死罪など過酷な刑に処せられた。幕閣でも川路や岩瀬忠震らの非門閥の開明派幕臣が処罰され、謹慎などの処分となった。この際、寛典論を退けて厳刑に処すことを決したのは井伊大老本人と言われる。
安政7年(1860年)3月3日、桜田門外の変において井伊が殺害された後、弾圧は収束する。
文久2年(1862年)5月 勅命を受け、一橋慶喜が将軍後見職に、松平春嶽が政治総裁職に就任。
慶喜と春嶽は故・井伊直弼が行なった大獄ははなはだ専断の計らいであったとして
井伊家に対し10万石削減の追罰を下す。
弾圧の取り調べをした者達を処罰
大獄で幽閉されていた者達を釈放
桜田門外の変・坂下門外の変における尊攘運動の遭難者を和宮降嫁の祝いとして一斉に大赦
幕閣では一橋派が復活し、文久の改革が行なわれ、将軍家茂と皇女・和宮の婚儀が成立して公武合体路線が進められた。
安政の大獄は幕府のモラルの低下や人材の欠如を招き、反幕派による尊攘活動を激化させ、幕府滅亡の遠因ともなったとも言われる。
[編集] 受刑者
[編集] 死刑・獄死
吉田松陰………長州毛利大膳家臣
橋本左内………越前松平慶永家臣
頼三樹三郎……京都町儒者
安島帶刀………水戸藩家老
鵜飼吉左衛門…水戸藩家臣
鵜飼幸吉………水戸藩家臣
茅根伊豫之介…水戸藩士
梅田雲濱………小浜藩士、獄死
飯泉喜内………元土浦藩士・三条家家来
[編集] 隠居・謹慎
一橋慶喜………一橋徳川家当主
徳川慶篤………水戸藩主
徳川慶勝………尾張藩主
松平春嶽………福井藩主
伊達宗城………宇和島藩主
山内容堂………土佐藩主
堀田正睦………佐倉藩主
太田資始………掛川藩主
川路聖謨………江戸城西丸留守居
大久保忠寛……江戸城西丸留守居
中山信宝………水戸藩家老
松平忠固………上田藩主
[編集] 永蟄居
徳川斉昭………前水戸藩主
岩瀬忠震………作事奉行
永井尚志………軍艦奉行
[編集] 遠島
鮎澤伊太夫……水戸藩士
小林良典………鷹司家家臣
六物空萬………大覚寺門跡家士、獄死
日下部裕之進…薩摩藩士の子、獄死
勝野森之助……旗本家来の子
茅根熊太郎……茅根伊予之介の子
[編集] 重追放
吉見左膳………宇和島藩家老、伊能友鴎に改名
[編集] 中追放
池内大學………儒者
近藤茂左衛門………信濃国松本町大名主(逮捕者第1号)
[編集] 押込
津崎矩子………近衛家家臣
飯田忠彦………有栖川宮家家臣
[編集] 逮捕前に死亡
島津斉彬………薩摩藩主
梁川星巌………漢詩人
月照……………僧侶
山本貞一郎……浪人
[編集] 公卿の処分
青蓮院宮尊融入道親王………隠居・慎・永蟄居
一条忠香………内大臣、慎十日
近衛忠煕………左大臣、辞官・落飾
鷹司輔煕………右大臣、辞官・落飾・慎
鷹司政通………前関白、隠居・落飾・慎
三条實萬………前内大臣、隠居・落飾・慎
二条斉敬………権大納言、慎十日
萬里小路正房…前権大納言、慎三十日
正親町三条実愛…権中納言、慎十日
有馬範顕………参朝停止
[編集] 関連項目
日本史の出来事一覧
桜田門外の変