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民主党は政権を担えるか(1)/前原誠司(民主党副代表)
2008年7月3日 VOICE
http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20080703-01-1401.html
こだわりのない福田総理
日本は福田内閣が発足して以来、ますます混迷の度を深めている。福田内閣に対する評価は、今年5月に記録した支持率20%という世論調査にそのまま表れていると思う。
小泉内閣の時代を振り返ると、郵政民営化や道路公団の民営化、三位一体の改革、不良債権処理など、評価は別にしていくつか象徴的な政策があった。だが、福田内閣のこれまでの治績で後世の記憶に残るものは、おそらくない。福田内閣になってから政策にメリハリが感じられなくなった。
そもそも福田内閣は、「戦後レジームからの脱却」という旗を立てたものの、道半ばで倒れた安倍内閣のリリーフとして発足した。その経緯から、福田総理に多くを求めるのは酷かもしれない。だが内閣総理大臣を務める以上、日本の問題を少しでも解決し、後世により良いかたちでバトンタッチをする責務がある。福田総理に欠けているのはその使命感である。
翻ってみると、かつての小泉総理は郵政民営化をポリシーとし、一貫してその主張を訴えてきた。国民というのは、政治家の政策に懸ける執念や気迫、覚悟を直感的に感じ取るものである。小泉総理は本気の決意を国民に見せて支持を取り付け、それを改革の突破口とした。
福田総理からはその種のこだわりが、まったく感じられない。何にこだわって総理を務めているのか、何がしたいのかが見えないのだ。リリーフだから最初は大目に見られていたが、いつまでも自分のカラーを出さないことが、支持率の低迷と国会の混迷をもたらしている。
ただし私は、自民党と民主党の、衆議院と参議院における「ねじれ現象」を必ずしもネガティブには捉えていない。たとえば道路の問題について、暫定税率が34年も放置されていた事実や、道路特定財源が天下り団体に流れ、高額の給与・退職金などに使われていたことは、ねじれ国会がなかったら誰も気づかなかったことである。参議院で民主党が多数派となったことにより、与党が長年、隠してきた問題が明らかになってきた。
これまでの国会は、真の意味で議論の府とはいえなかった。自民・公明両党で合意された法案は、基本的にすべて国会で議決された。民主党がいくら良い議論をしても、法案に反映されることはほとんどなく、数の力だけで押し通されてしまった。
これに対し、たとえばドイツでは、法案提出の際に与党の事前承認はない。与党内からも野党からもさまざまな意見が出てくるので、提出された法案の7、8割は修正が入るという。日本の国会議員もこのようなメンタリティに変わらなければならないのだが、とくに与党側にそうした意識が低い。「トンネル機関」となってしまった国会を、ねじれの力を応用して真に議論の府に変える契機になるならば、ねじれはむしろ、歓迎されるべきなのだ。
次の衆議院選挙で考えられるシナリオは、たとえば次のようなものである。自公は大きく議席を減らすものの、過半数は超える。その一方、民主党は議席を大幅に増やすが、過半数は確保できない。すると、これまでよりねじれ現象が進むことになる。
さらに考えなければならないのは、民主党が1回ないし2回の選挙を経て、政権を獲得した場合である。その次の参議院選挙で民主党が過半数を割ったら、今度は民主党が衆議院のみで多数を握るという「逆のねじれ」が生じる可能性がある。
その際、与党となった民主党はいまのように対抗意識だけを打ち出すのではなく、与野党で知恵を出し合い、法案をまとめなければならない。「政局」も大事だが、国民の生活や国の立ち位置を最優先に考え、国会における議論をより充実させ、法案審議を進める必要がある。民主党も自民党も、ねじれは今後も起こりうるという前提に立って、国民への責任を共有すべきではないだろうか。
先の通常国会において、民主党は暫定税率の廃止、つまりガソリンの値下げに重きを置きすぎた。私は当初から、道路特定財源を一般財源化できるなら、暫定税率については譲っても構わないという主張だった。日本のガソリン価格は、フランスやイギリスなどの欧州諸国と比べてけっして高いものではない。環境問題を考えても、ガソリン税率の引き下げにこだわるのは時代に逆行している。仮に暫定税率の廃止をいうのであれば、約2.6兆円の財源を、国民が納得できるかたちで具体的に示さなければならない。
後期高齢者医療制度についても、廃止によってすべての問題が解決するわけではない。もちろん、ネーミングも悪いし、そもそも75歳以上だけで1つの保険にまとめることに大いに疑問はある。ただ元に戻すと、いままでの問題が再び浮かび上がってくる。市町村単位の保険では、国民の負担にバラつきがあり、維持できない基礎自治体が顕在化していたので、都道府県単位の広域行政に変える仕組みを後期高齢者医療制度では取り入れた。この方向性は間違っていない。問題点だけを過度にクローズアップしても、民主党が政権をとったとき、バラ色の解決策があるわけではない。批判・反対だけで政権をとっても、政権をとったときに困るだけだ。
民主党代表選挙は行なわれるべき
こうした政策論争をマスコミは矮小化して、われわれを「反小沢」「小沢嫌い」と見る向きがある。私は、好き嫌いで小沢代表に異を唱えているわけではない。何よりも小沢氏はわれわれが前回、無投票で代表に選んだ人物であり、小沢代表にすべて非があるというつもりもない。
あくまでも問題は政策である。今年9月の民主党代表選挙で、われわれは高い次元で政策を徹底的に戦わせることによって「民主党が政権をとれば、こんな政策を実行してくれる」という予感を国民に与えなければならない。
たとえば、先の参議院選挙のマニフェストに掲げた農業の個別所得補償や子育て支援などの「財源」について、小沢代表の述べるような行革努力だけで、ガソリンの暫定税率廃止も含めて18兆円の資金を捻出することは厳しい、と私は思う。
もちろん、地方分権による無駄遣いのカットは不可欠だ。国の出先機関である地方支分部局の行なう仕事と、都道府県や政令指定都市、中核市、市町村の仕事が重複しており、人やコスト、スピードの無駄、さらには地方の潜在力を封じ込めるという無駄を生んでいる。
また、いま全国で無駄遣いが行なわれているのは道路だけではない。私が以前、国会で取り上げた河川整備やダム建設でも、深刻な問題が発生している。
たとえば、日本では一度ダムの建設を始めると、工事をストップできない仕組みになっている。象徴的な例として、熊本県の川辺川ダムがある。1976年に総工費350億円で計画され、建設目的は農業利水、発電、治水の3つであった。しかし2008年現在、いまだに本体工事に着工しておらず、なおかつ現在まで2000億円以上の費用が費やされている。当初あった3つの建設目的は、いまでは農業利水と発電からは事業が撤退し、現在は治水のみになっている。この期に及んでなお、巨大ダムに固執する必要があるのだろうか。治水だけなら、コストの安いほかの方法もあるだろう。これも中央省庁がすべてを差配し、無謬性、つまり自分たちは間違ったことをしないのだという幻想に固執する、国民不在の官僚暴走にほかならない。
たしかに地方分権や公共事業の抜本的見直しを実現すれば、かなりの無駄は削減できるが、それには時間がかかる。公務員の人員整理という難題をクリアしなければならず、戦後長く続いた中央集権体制から地方主権体制に移行する期間を考えると、18兆円もの額を即、フローの財源として生み出すのは無理である。
財源については、私が民主党代表の時代に掲げた、年金を目的とする3%の目的税に加え、現在であれば年金プラス医療、介護、社会保障の目的税というかたちで3%から5%の消費税アップは必要である。もちろんその際には、前述したように徹底した行革が前提条件であることはいうまでもないし、食料品課税の減免など、逆進性緩和のための何らかの措置も考えなければならない。
また、小沢代表の考える地方分権は基礎自治体と国の「二層制」である。私はもう一層、広域的な調整を行なう道州を加えた「三層制」が望ましいと考えている。300自治体に無理やり分割することや、広域調整を国に委ねることになるため中央集権的要素が色濃く残ることになるなど、「300基礎自治体と国の二層制」には問題が多いと考える。
9月の民主党代表選挙において、地方分権という目標は同じでも、システム論や財源論で小沢代表と対立候補が議論を戦わせるのは当然である。国民は、自民党がこれまで地方分権を唱えてきたにもかかわらず、三位一体の改革が中途半端に終わってしまい、公務員制度改革も危うい状況になっていることに対して「本当に分権できるのか」という疑いを抱いている。そこで民主党が政策論争を展開して、二層制か三層制かの違いこそあれ、本気で地方分権をめざしていることを示さなければならない。
安全保障政策については、小沢代表が唱える国連中心主義を貫けば、日本は国連が決めなければ何もできない国になってしまう。世界のパワーバランスを考えると、今後、国連安保理の常任理事国である中国やロシアの力はさらに増していくだろう。常任理事国が1カ国でもノーといえば議論が進まないのが国連という場であり、国連至上主義を掲げることは、わが国の選択肢を狭めることになりかねない。
繰り返しになるが、民主党が抱える政策は、実現可能なものでなければならない。さらに、掲げた政策を実行することで、現実に食料自給率の低下や少子化に歯止めがかからなければならない。
参議院選挙の勝因として大きかったのは、消えた年金の問題や大臣の失言と不祥事、自殺などである。さらに選挙区を歩いて感じたのは、当時の安倍総理の度重なる強行採決に対する反発だった。次の総選挙は、「敵失」ではなく、民主党政権への期待で勝たなければならない。そのためには代表選挙を通じて、外交から経済、生活まであらゆる政策をめぐり小沢代表と徹底的に議論を戦わせ、国民に「民主党は本気だ」という覚悟を見せる必要がある。
折しもアメリカでは、民主党の予備選挙が長らく続いた。世界のナンバーワン国家であるアメリカでは、民主党内で激しい議論が戦わされ、国民は各候補の主張を通じて未来のアメリカ像をイメージできる。日本の民主党も同様に、激しい党内議論を国民の前に披瀝すべきである。われわれは大統領選挙を戦うのと同じように、代表選挙を戦わなければならない。
されど「改革なくして成長なし」
そして私はいま、小泉・竹中改革路線を再検証しないかぎり、日本の再スタートはないと考えている。後述するように小泉・竹中改革に問題はあったが、短所があるからといって即、構造改革を全否定するのは誤りである。
日本は人口減少社会に突入しており、なおかつ800兆円を超える国と地方の債務を抱えている。2050年には推計人口が9000万人に減り、65歳以上の人口比率が約20%から40%に増えるという。その一方、15歳から64歳の生産年齢人口が66%から51%に減る。
この状況で、日本人の生活水準を下げないとすれば、徹底的に無駄を削減すると同時に、諸外国に門戸を開放し、人も資金も技術もノウハウも入れながら、日本を成長軌道に乗せなければならない。したがって、あらゆる意味で既成概念を取り払う改革が求められる。
小泉・竹中改革の方向性や認識はまったく正しい。問題があるとすれば、改革の御旗を立てながら「偽の改革」がいくつかあったことだ。道路公団民営化と三位一体の改革がそうであり、いずれも官僚制度に切り込むといいながら「看板に偽りあり」であった。
もう1つは、改革に伴うセーフティネットまでを破壊しようとしたことである。自由競争は重要で、基本は市場に委ねなければならないが、マーケットメカニズムに馴染まない分野もある。当然、行政がそういった分野はしっかりとフォローしなければならない。
小泉・竹中改革はそうした負の側面にあまりに無頓着だった。2006年の骨太方針では、社会保障費の自然増を5カ年で毎年2200億円ずつ削ってしまった。5年間で1兆1000億円削減という暴挙が、現在の「医療崩壊」をもたらしている。
じつは日本の医療費は、対GDP比で8%と、先進国ではまだ低い水準にある。低い報酬で世界一の長寿国を維持してきた医療関係者の努力にあらためて敬意を表するとともに、努力が限界に来ていることを痛感する。費用を増やさなければならない分野まで削減してしまったのは間違いである。
だが、これらの瑕疵をもって「構造改革の必要性はない」と断じることはできない。日本には不断の構造改革が必要であって、民主党と自民党がともに改革に逆行して「ばらまき合戦」を行ない、短期的な人気取りに汲々とするようでは、国民に日本の将来を指し示すことはできない。
http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20080703-02-1401.html
民主党は政権を担えるか(2)/前原誠司(民主党副代表)
2008年7月3日 VOICE
改革勢力と守旧勢力を分けるもの
このように日本の置かれた状況を見ると、改革を止めるようなことは絶対にあってはならない。その観点からいまの自民党を見ると、われわれに近い改革路線を志向する勢力がおり、なかには賛同できる主張も多い。たとえば、自民党国家戦略本部が今年4月に打ち出した「政治、行政、財政に関する改革案」は注目すべき内容だった。この行革案の背景には、人口減少・少子長寿化が進む日本で、国家財政は、このままではとてももたないという強い認識があり、自民党の改革派はここまで危機感をもっているのかと驚いた。
何をもって改革派か、守旧派かという議論はあるが、民主、自民両党の議員に意見の一致があるのは自然なことである。超党派の意見が一致する余地は、もしかすると民主党内よりも広いかもしれない。しかし、だからといって即、改革派同士で手を結ぼうとするのは安易である。
私は今年4月23日、超党派の議連である「新世紀の安全保障体制を確立する若手議員の会」の共同代表(他の共同代表は自民党=中谷元元防衛庁長官、公明党=上田勇氏)に就いた。記者からは「政界再編への動きですか」と聞かれたが、私の思いは「安全保障に関する骨太の議論は、与野党に関係なく進めなければならない」というものであった。
私の理想とする二大政党制において、安全保障や外交など国の根幹に関する政策は、政権が交代しても不変でなければならない。政策の根幹は共有する二大政党制の確立に向けて、まず与野党共通のインフラをつくることが、私の狙いだ。
私は、民主党が本気の議論を戦わせて代表選挙を行なうことで国民に信を問い、堂々と政権奪取をめざすことが、あるべき大道だと考える。民主党、自民党ともに党内に改革派、守旧派がおり、両者が党内で議論を戦わせるなかで、路線闘争に勝利した側の考え方が、今度は国政選挙でふるいに掛けられる。国民の審判を通じて政策と政党がレベルアップする「改革競争」こそが、わが国に求められる。
先述のように、わが国を取り巻く現状は生易しいものではない。政治家は国民に甘いことばかりを口にするのではなく、構造改革を軸に、日本の突破口を開かなければならない。
そのとき大事なことは、国内問題に対して改革派でない政治家は、日本を守る外交戦略も築くことができない、という点である。
私は安全保障をライフワークとする身として、近年、安全保障上の重点テーマが変貌しつつあることを痛感する。地域の安定化と、その基盤としての防衛力の整備はもちろん重要だが、それに加えて環境や食料、エネルギー面から見た安全保障の比重が高まっている。
たとえば食料安全保障を考えれば、現在の食料自給率39%はあまりにも低く、早急に上げる取り組みを国家戦略として行なわなければならない。農業保護は結果として農家を脆弱にし、日本の食料自給率をさらに下げる結果にしかならない。農業従事者の平均年齢は60歳に近づいており、5年後、10年後には、「不安な餃子」であっても中国に頼み込んで買わねばならなくなるかもしれない。
この状況を放置してきたのが、農水省であり、自民党の農水族と呼ばれる人たちである。旧来の慣性に流され、感覚が麻痺している守旧派に、戦略的な外交を行ない、国民を「守る」ことはできない。
同様に、民主党のなかにも体制維持派がおり、関係団体との関係を引きずっている。また参院選以降、「ねじれ現象」で民主党の立場が強まるにつれて、これまで民主党と接点のない業界団体からも声が掛かるようになった。業界団体との付き合いに浸かりすぎると、深みにはまって抜け出せなくなる恐れがある。
目下、民主党の最大の支持母体は労働組合である。私はかつて民主党代表に就任したとき「労働組合とは是々非々の関係で臨む」と申しあげた。その意識は、いまもまったく変わっていない。応援をいただける方は大事にすべきだが、思想や政策まで左右されてはならない。
われわれが改革を行なえるかどうかの大きなポイントは、官公労(中央政府や地方自治体、公社の職員組合)との関係にある。民間企業は、グローバリゼーションのなかで生き馬の目を抜く企業競争、国際競争を経験している。民間企業の労働組合は、厳しい経営の実態を知っており、グローバルな改革に対しても現実的にならざるをえない。
しかし、官公労の人々にはそうした意識が低いのではないだろうか。大胆な行政改革を実行しようとすれば、抵抗は必至である。そこで彼らのいうことを聞くか、日本の将来を考えて説得を図るかである。政治家が国民全体の側に立つか、官公労の立場に立つかにより、民主党の改革派、守旧派の明暗が分かれる。さらにいえば、構造改革派と保守勢力は必ずしも同一ではなく、安全保障については保守の考え方でも、国内の構造改革には消極的で無関心という人は多い。
小さくまとまってはならない
民主党には立派な議員が多いと、つくづく感じる。当選回数が私よりも少なく、あるいは年下であっても、立派に国会活動を行ないながら、地元活動にも必死になって汗を流し、将来の出番を涵養している議員は多い。素直に、こういった仲間には頼もしさと尊敬の念を抱いている。
また、比較的上の世代でも、過去に自民党を飛び出たことのある「バツイチ」の方には、高い意識をもった政治家が多い。新自由クラブや新党さきがけ、新生党の発足時に自民党から離れた人は、自民党の「古さ」に抵抗感を抱いているからだ。今後もし、民主党と自民党が大きく割れた場合、再編のパートナーになるのはそうした人々である。政界再編の必然性は、日本が置かれた状況に対する危機感が、われわれ政治家のなかでどれほど高いかに懸かっている。
いま政治の方向性を定めるうえで、われわれが厳に戒めなければならないことが2つある。
1つ目は、党内のいざこざにより民主党が「小さく」割れてしまい、再び自民党の補完勢力になってしまうことである。それは自民党を利するだけである。
2つ目に、民主党が大衆迎合路線、ポピュリズムに走ってしまい、政権をとったものの、政権公約を実現できないという事態は絶対に避けなければならない。
民主党の政策に実現性がなく「やはりできませんでした」となるのが、最悪のシナリオである。国民は失望感とともに「自民党に任せるのがいちばんよい」と感じ、民主党は下野したまま二度と立ち上がれない。古い自民党の時代に逆戻りしてしまうことは、国民にとって最も不幸なことである。
もしも民主党が代表選挙後、いかんともしがたい状況に陥り、右の2つの事態を避けなければならないとすれば、民主党が大きく割れ、自民党も大きく割れるというかたちでの再編は考えられる。
日本の置かれている状況は、このうえなく厳しい。対GDP比約1.5倍の長期債務と、急速に進む人口減少と少子長寿化。いまの生活レベルを維持するにも、政治がそうとうの覚悟をもってリーダーシップを発揮しなければならない。BRICs(ブラジル・ロシア・インド・中国)といった新興国の発展は歓迎しつつも、食料や資源の争奪戦と価格高騰、深刻な環境問題にも、日本は自国民の保護とともに、日本のもてる技術とノウハウを駆使して、世界を破滅とは逆の方向に導いていく責任を有している。
民主党だ、自民党だとコップのなかの争いをしている場合ではない。国民・国家、そして世界を睨んで、日本・世界を正しい方向へ引っ張っていく政治家の使命感こそが、まさに求められている。
※各媒体に掲載された記事を原文のまま掲載しています。