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構造改革批判は平成の西南戦争。 分類なし
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ブログ界では、周期的に、「小さな政府」を目指した小泉構造改革が正しかったのか、正しくなかったのか、銀行の不良債権処理は正しかったのか・正しくなかったのか、といった全く後ろ向きの議論が繰り返される傾向があります。
実際に、小泉政権の時代でも、道路公団の民営化や様々な天下り先のある政府系金融機関の民営化や郵政民営化などなど、「小さな政府」は断行された。小泉政権は、公共投資をはじめとする国債の新規発行額は30兆円以内で収める公約は果たした。その一方で、財投債などの国債もどきの発行は増えていた。公共投資は小泉政権時代には抑えられたが、新しく介護保険などのが発足して、土建業以外ではこれといった産業のない地方としては、土建業者に代わって介護産業が新しい「公共事業もどき」の産業として育成されている。
そして、10年近く棚上げされていた銀行の不良債権処理も断行された。
これは、どういった立場の人々に肩入れするか、で、小泉政権が正しかったか正しくなかったかの見方が分かれてしまうのだ。
旧態依然とした大手都市銀行や地方銀行や建築業界や土建業界の味方をしたい人々や、霞が関の権限を守りたい人々や、放漫な経営をしていた大企業寄りの人々は、やはり、小泉政権を「正しくなかった」と批判したいようだ。
小泉政権が間違っていたと主張する人々の多くが、この時代に中高年の自殺者が急増したことをまず第一義的に指摘しているが、この指摘も間違っている。
下のグラフをご覧いただきたい。
日本では健康上の理由で自殺する人々の割合が一番多い。日本国内では、健康上の理由で、働きたくても働けない人々が自殺してしまう。ここ10年ほど、こういった自殺者は年間1万5,000人前後で(安定して?)推移している。
日本という国は、ここまで豊かになっても、「働けない人々」には大変厳しい国なんだと改めて思う。
次いで多いのが、「経済生活問題」による自殺だ。「経済生活問題」での自殺者は、バブルが完全崩壊した1990年代半ばから急増して、銀行の不良債権処理が断行された2001年を境に、減少傾向に転じている。
小泉構造改革が「全くもって正しかった」とは私も言わない。SafetyNetを整備しないままの「構造改革」は、霞が関や大手都市銀行や地方銀行や土建業者や放漫な経営をしていた大企業にとっては、まったく冷酷なものであった。
けれども、あの時期、構造改革を棚上げして、銀行の不良債権処理を断行しなかったら、日本株式市場がV字回復もしなかったどころか、「経済生活上の困窮」自殺者数もそのまま急増し続けただろう。
大手都市銀行や地方銀行や建築業界や土建業者や放漫な経営をしていた一部大企業の中高年以上の従業員の人々にとっては、長い優雅な生活の中で身についてしまった生活を「切り詰め」へと切り替えなければならず、そういった中で、身の丈以下の生活がどうしてもできなかった人々は、サラ金に流れたりして、そのせいで家庭が崩壊したりした。これらが引き金になって、自殺してしまった人々には、私も彼らの「人間的な弱さ」には涙するし、彼らの冥福を心から祈りはする。
けれども、小泉改革を断行しなかったら、大手都市銀行をはじめとする既得権益の人々以外で、もっともっと多くの自殺者が(特に若者や中小零細企業者から)出てしまっていたことだろう。小泉改革を断行しなかったら、2001年以降も自殺者の増加は中小零細企業や若者かた続出していただろう。もちろん、個人の自己破産の件数も、2003年以降も増加を続けていだろう。
既得権の中高年以上の人々の立場に味方するのか、あるいは、中小零細企業で働く人々や21世紀の全く新しい環境にそれなりに適応しつつある若者たちの立場に味方するのか、で、小泉構造改革への評価は真っ二つに分かれてしまう。前者があんち小泉構造改革派で、後者が改革推進派だ。まっぷたつの分かれるのも当然だと思う。
そして小泉政権を「正しくなかった」と批判したい守旧派(アンチ改革派)の人々は、いつの時代も自分にとって都合のよい統計しか使わないし、あるいは、統計さえも使わないで、経済に疎い人々を巻き込もうとしている。
今頃になって、小泉構造改革を批判する人々や当時の不良債権処理を批判する人々は、明治維新後に士農工商の身分制度を復活させたいとして起きた西南戦争をどことなく彷彿(ほうふつ)とさせる人々だ。
明治維新後に、士農工商が廃止になって、武家出身者の人々は、それぞれ新しい職業を見つけて、新しい時代に適応せざるを得なかった。けれども、新しい環境に適応できなかった一部の武家出身者たちの恨みが骨髄に達して、九州に結集して起きたのが、西南戦争だ。
西南戦争は一応鎮圧されたが、その後、その精神は日本陸軍を中心にして「中国進出」「ロシア進出」の日本国内の「外征派」へと受け継がれてゆく。
このブログでも繰り返し記しているが、小泉政権の最大の失敗は、障害者福祉の切り捨てであり、母子家庭福祉の切り捨てである。
この「むごさ」は、そうでない多くの人々の魂を揺さぶって、一般の経済音痴の人々たちをして、アンチ小泉構造改革派・守旧派に合流させている。
2001年当時、本当に小泉政権時代の「構造改革」「緊縮財政もどき」(財投債の発行残高をも含めると、一般に信じられているように、「小泉政権は緊縮財政を断行した」わけでは実際には決してなかったのだが・・・・小泉政権は公共投資は削減したが、それに代わって、介護制度の充実を促進した。財投債を含めると小泉財政は決して緊縮財政ではなかったのだ。)は実際問題として間違っていたかどうか・・・。
この点を判断する上で、注目すべきは、
@1990年代末から、2001年にかけて、日本国債は、世界有数の格付け会であるスタンダードプア社やムーディー社から、二度に及ぶ格下げを受けていたのが現実だった。
A放漫財政が引き金となっていたイタリアでは、1990年代半ばに実際にキャピタルフライトが起きて、イタリア自国民によってリアが売り浴びせられていた。イタリアリラがどんどん安くなっていた。このイタリア・リラ安は、イタリアが緊縮財政を達成した後も止まらず、イタリアリラは2001年まで売り浴びせられて、2002年になっても、リラ高には転じていなかったという現実。
B最近になって、やっと日本国政府の1年間の税収よりも、日本国政府の超キャッシュリッチな資産が注目されるようになったが、日本国政府の資産そのものを見直す動きは、2000年に始まったばかりでああった。日本政府が実際にどの程度の資産リッチであるかは、判明していなかった。2001年当時は、日本国政府が超キャッシュリッチであることが、少しづつ判明し始めるが、それと当時に、超巨大な公的年金の債務(簿外債務のようなもの)の実態も明らかになり始めていて、日本の財政の健全度はまだまだ明らかになっていなかったという現実。
以上、3点の現実からは、小泉政権時代の財政は、緊縮でもなければ、積極でもなく、現実問題としては、そこそこ政治的な妥協点としては妥当なところではなかったかと、やはり今になっても私は思うのである。
グローバリゼーションの正体(冷酷さも懐の深さも兼ね備えていること。世界の債券マーケットでは実際に何が起きているのか???)がはっきりするまで、当時としては、まだ2〜3年の歳月が必要だったように思う。
「金利の収斂仮説」は立てられ始めていたのだが、2004〜5年あたりまでは、グローバルな債券市場では実際に何が起きているのかは、まだ実証されていなかったと記憶している。
こういった実証を待たずして、上述の三点を考慮すると、2001年当時、小泉構造改革に反対して、公共投資を中心に積極財政を説いていたた人々は、大変な「生体実験」を提唱していたことにもなる。さらに、当時、公共投資を中心にして積極財政を説いていた人々は、霞が関寄りの「21世紀型の士農工商」復活を提唱していた「血も涙もない人々」であったとも指摘できるのである。
こういった国家主導のケインズ主義的な人々が、日本経済をスタグフレーションに落とし込んで、「今時の若者はなっとらん!」と言い始めて、志願兵とは名ばかりの事実上の「徴兵制」を復活させて、あっけなく戦争を始めたりするのは歴史が既に証明している。
【追記】一部読みやすいように手直ししました。
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