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http://www.amakiblog.com/archives/2008/06/21/#000950
2008年06月21日
いつからCO2削減問題がこんなに大きな世界的課題になってしまったのか
私たちは報道によって国内外のニュースを知る。
報道の基本はスピード性である。簡潔性である。緻密な議論を捨象した単純化である。
そこに大きな危険性が潜んでいる。
同じニュースが、同じ言葉で繰り返し報道される時、それが、たとえ専門的、学問的な立場からの疑義があっても、あるいは補足説明の必要性があっても、それらは一切捨象されて、その報道だけがわれわれの頭に刻み込まれてしまう。
21日に国会が終わり、福田首相の頭はサミットの成功でいっぱいに違いない。
今度のサミットの主要議題は地球温暖化防止のためにCO2削減問題である。
しかし、われわれはどこまでその重要性を正しく理解しているだろうか。
環境を大切にするということは勿論大切な事である。
しかし、数ある環境対策のうち、なぜ地球温暖化対策がこれほど取り上げられるようになったのか。
地球温暖化対策が重要だとしても、なぜCO2排気ガスの削減が最大の対策となったのか。
おまけに排出削減権利なるものをつくって、あたかも金融商品のように、売買するようになったのか。
それがはたして正しい環境対策なのか。
この問いに明確に答えられる人が果たして何人いるのだろうか。
私がこういう疑問を持つようになったのは、最近に至って、CO2削減目標を否定的に論ずる声が目立つからだ。
たとえば6月14日の朝日新聞「異見新言」のなかで、地球環境産業技術研究機構の秋元圭吾なる副主席研究員は、「費用と負担を考えるなら、無責任に実現不可能な厳しい目標を言い続けることが適切とは思えない」と書いている。
その朝日新聞はまた、電気事業連合会の勝俣恒久会長(東京電力社長)が13日の会見で、「市場メカニズムだけで二酸化炭素削減をなんて言うのは殆ど幻想に近い」と、福田首相が示した「排出権取引」を盛り込んだ包括提案を批判したと報じている。
また、15日の東京新聞書評欄「この本、この人」では、「地球温暖化論のウソとワナ」(KKベストセラーズ)を書いた横浜国立大の伊藤公紀教授の次の言葉を紹介している。
「・・・最新の研究ではCO2が二倍になったとき、地球の平均気温の上昇値は1.6度。これは気候変動に関する政府間パネル(IPCC)が理論から導き出した3度のほぼ半分。1.6度しか上昇しないのなら気候変動への影響も限定的。CO2削減に巨額の予算を投じる意味はありません・・・」
そう思っていたら、温暖化は一万年以上も前にも起きていたというニュースまで現れた(20日朝日新聞)。環境問題の以前から、急激な温暖化は起きていたというのだ。
われわれ素人にとっては何がなんだかわからない。
わからないままに、二酸化削減の数値目標合意が今度のサミットの最大の争点になってしまった。
福田首相はわけがわからないまま、官僚のつくったシナリオにしたがって議長役を務めることになるのだ。気の毒なことだと思う。