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<メール内容転載>
こんにちは。吉野と申します。
ミサイルについては物象がある以上、どうにも隠蔽不能な状態です。
物象として、昨日拾った、ミサイル残骸により、ミサイルが来たことを確証しました。
御巣鷹の尾根から5km以上ある長戸沢本流の方でも機体を見つけることができたのは先日の詳細な飛行記録のおかげです。いろいろな残骸を落としながらループしていたようです。心から感謝しております。
乗客乗員の方々は強い無念の情があるようです。何卒、ご高配の程お願い申し上げる次第でございます。
ひとつ、補足情報なのですが、当日夜間に容易に現場に入れたと言うと否定的なことを言われたりします。
しかしながら、現在上野村道になりますが、中ノ沢林道本谷1号橋には昭和59年1月落成の名盤があります。上野ダム工事用道路と中ノ沢林道で御巣鷹の尾根まで歩く距離10km程度しかありません。
しかも、当時、林道の終点まで徒歩だとしても「墜落現場一帯まで4.2Km」(上野村設置看板「御巣鷹の尾根登山口まであと3.4km」の看板と御巣鷹の尾根登山口にある「昇魂の碑まで800m」の看板を足した距離)のところまで徒歩1時間半(現在、通行止めになってますので御巣鷹の尾根まで片道10km弱歩くことが必要で実測時間)しかかかりませんし、ガソリンカー(神流川森林鉄道)の軌道敷が頑丈で残っておりまして御巣鷹の尾根2km程度のところまで+30分で到達可能な状況でした。
神流川森林鉄道終点の林業小屋から山道を沢伝いに行ったとしても2km弱。+1時間程度あれば到着できます。
浜平を21:00に出ますと徒歩で御巣鷹の尾根まで3時間、24:00頃には入れたと言えます。
従いまして、夜間、早いうちに、徒歩で御巣鷹の尾根に入ることは容易であったと言えます。
よって、「21:00信号弾合図で、上野村三岐待機自衛隊一群が、浜平方面から墜落現場へ。 」は、確度の高い情報であり、24:00頃には現場一帯に入れたことが容易に実証できます。
なぜ、送っていただいた情報のなかに確度の高いものが多いと思われるかにつきましては、1つ1つの根拠があります。
それらは、公開されている情報+当方で知りえる内部情報+実地調査によるものによります。
「夜と言っても明るさがあるので山の稜線がはっきり見えた」
も、貴重な証言ですね。当日の夜は明るかった。赤く明るかった、といったことを言う方が多いですがこれも核兵器の証明になります。
隠蔽側の方でも、あれ(日航ジャンボ乗客の処遇)は問題だと言うことで、違う情報や故意なまちがいに乗せてリークしてくれる場合もあります。
あと、公安の人の中には、圧力をかける振りをしてリークしてくれる人もいることが確かです。
いずれにせよ、日航ジャンボを公安0班や自衛隊情報保全隊といった末端が日本人の組織で隠蔽すること自体が不幸なことであり無理があることですので隠蔽側にも「仕事だから尾行監視はしょうがないけど、これを隠蔽するのは無理があるな」と感じてきていらっしゃる方が、いることが多いことも事実と思われます。
まもなく23年になりますが、現場にはこういった岩が写真のような乗客形、乗客模様でごろごろしてきまして、どうにも核兵器使用、乗客殺害の隠蔽が不可能な状況になりつつあります。
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しかも、ご遺族の方の中にも気づいてきた人が多いようです。墓標の風化により、立派な墓に立て替えるご遺族の方が数名出てきておりますが、意味ありげにこのような岩のそばに石の墓標を立てています。
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一刻も早く、乗客は殺害されたのだという事実を公表し、乗客の無念を解放してあげるのが徳というものだと思います。
http://gray.ap.teacup.com/123ja8119/
〓1985年8月12日の月曜日JAL123便事件〓
18:12:10離陸テイクオフ(前後方向加速度3G)
18:12:30。800feet通過 18:12:35機首方位180度指示 18:15:55機首方位200度 (事故調査委員会報告では18:18)
ニューヨーク報道 「離陸3分後問題発生」 18:16:22「日航123便SIDコースの2マイルより右寄りだ通常の航法に戻せ」 ※ハイジャック対策リモートコントロール技術開発中で民間航空化する前の123便がターゲットに ゆっくり山岳地帯にコースを逸脱させられる。 添付写真(2、3〜5)犠牲者小川哲氏機内から撮影で朝日新聞1990年10月14日朝刊掲載三浦半島が手前に有ります。奥に富士山が有り相模湾の上空に入りつつ有ります。矢印はFIREBEEです。其のボディには日本開発の(米ステルス機用ステルス塗料のオレンジ色※塗料が塗られてます)やはり日本開発で純国産ミサイル(ターボジエット方式に切替。低周波発生する。ブースター付。ASM-1発展型)開発中の頭脳搭載してます。撃墜事件後ステルス爆撃機を開発中の発表してます。護衛艦まつゆきファイアービーを移動式発射台から打ち出します。
アメリカ調査官NTSBサイドレン調査官 落合由美氏に証言を聞く為に多野総合病院訪問する。 「異常発生時刻は18:25だった時計を見た」 スコーク77受信側の東京管制発表した時刻は18:25:10 精確命中を目的とすれば時報同時命中は必然的です。 週刊サンケイ1985年9月19日号 元電気通信大学講師井上氏談話「フライトレコーダーを見ると既に24分10秒には方向蛇が右に飛んでいる…」 異常発生時刻18:25:00を18:24:35、6にしたと考えると:25、6前つまり:25:00−25、6=18:24:35、6には、謎の飛行体を回避運動でかわしたと解釈出来ます。 つまりかなりの乗員と乗客が謎の飛行体を目撃したと考えられます。 &n bsp;初期フライトレコーダーの記録航路を見ますと衝撃音「パーンバリバリ」「ドーンガラガラ」の前に右に航路がずれていた。そうしますと正しい記録は以下の通りと推測可能です。
18:24:30〜35「ライトターン」 18:24:37 <インタホン> 「スイッチを押してトイレへ行きたいとおっしゃる方がいらっしゃるんですが、宜しいでしょうか」「気を付けて」「じゃあ気を付けて御願いします」「手早く」「はい有難う御座居ます」「気を付けて下さい」
突然に低周波MHZ(巡航ミサイルターボジエット音)音記録された後…18:25:0、50「パーンバリバリ」前後方向加速度0、047G。前向き外力11t。後方右斜め上より垂直尾翼衝突し左下方突き抜ける。(爆薬未搭載)沼津市上空で「ドーン」を聞いた人有ります。18:25:02一瞬停電 キャビン非常灯点灯 白霧発生 18:25:03「まずい何か当たったぞ」18:25:07「スコーク77入れるぞ」 「えっ」三浦半島三崎港灯台から南西8、1海里地点 & nbsp; 18:25:13「ライトターン」「ライトターン」「…(回避運動)しました」 極めて素早い行動をしておりまして、スコーク77発信迄短い事が分かります。8/12PM23:53山下運輸相記者会見「此迄の情報ではパイロットミスはなさそうだ」「全く予見出来無い事故で唖然としている」と示唆的な発言。
此の後機長は、18時25分20秒頃から日本航空社内無線でベテラン機長と操縦輪と機体の反応がおかしい点を話し合います。最大出力「マックパワー」つまり離陸推力で伊豆半島に向かいます。 伊豆半島の伊豆急行河津駅目撃者「普段の2倍の大きさで見えた」14200feet付近と推測可能。 河津駅上空でライトターンして大島方向に機体を向ける為に操作するが45度の右旋回に止まる。焦るクルー操縦輪操作するが…18:26:18「バンクとんな、そんなに」右旋回を試みるが…「何でこいつ」効か無いんだ。即時レフトターンを試みるが余り効か無い。其のまま駿河湾に出てしまう。 其の内に左右旋回全く不可能に成り18:29:00「バットナウ・アンコントロール」と機長は叫ぶ。 18:30静岡県焼津市小川港高草山(501m)上空をスレスレ低空飛行する。乗客遺書「急速に降下」「ジャンボ機は、静岡駅南西方向から駅方向に右旋回し、今度は左へ翼を傾けS字状旋回翼上下3度程繰り返し北の雲 の中に消えた」焼津市石津町原崎三夫氏(57) リモートコントロール側とパイロットの側との操縦権の争奪戦です。
関東南A空域C−1在空事実有り。岐阜航空実験団改良電子戦機。 公式未納入状態で使用してます。 電子戦機の誘導電波に逆らって羽田空港に戻る努力を続け航路が左右ふらふらに成ってます(初期航跡図) 富士山大野キャンプ場 「随分低くく左右に揺れながら飛ぶ」 垂直尾翼安定板分析 尾翼右側衝突 機首方向左側伸長力加圧され比較的痛みが少ない。上部外板捲れ上がり右側圧縮力で加圧され押し潰 されてます。 18:30 神奈川県相模原市上空座間ポイント東約9km高度約5400m上空より JAL123便機影ANA757便東京発小松機長 「何とか機首を羽田方向に立て直そうとしている様だった」「初めは4発エンジンの大型軍用機といった感じで(尾翼欠損し鶴のマーク殆ど無し)日航機には見えなかった」「123便は大きくなったり、小さくなったりして見えた。北から東へ針路変更をしようとしている様だった」「約3分後右後方へ去る」18:34「踏 ん張ってろよ」 18:35落合可之氏妻由美氏証言 「ゆっくりと左右に大きく旋回している様な動きが始まる。酸素マスクを外してみても苦しさは感じませんでした」 18:38「椅子の下にある救命胴衣を取り出して付けて下さい」ベスト着用開始。 「機体の左右の傾き揺れ角はじっと立っていられ無い程に成る」 機内アナウンス「急に着陸する事が考えられますから…」「北方から飛来し秋山村上空で360度以上急旋回をして北方へ低空飛行」山梨県秋山村藤本重則氏(37)舵左一杯でも右旋回の機首を抑制出来ず…リモートコントロール制御。18:40「別に苦しく(酸素)無かった」機体左側に富士山を見る。富士山3779m中腹アルバイト住み込みの人帰宅途中ふらふら飛ぶ飛行機を見る。「其の飛び方は飛行機と思えない。」と証言する。18:41日航社内無線で、東京コントロールと連絡 (後日18:35に変更されます) 18:42「管制塔からの交信はキヤッチ出来ています」
明るいニュースは機内を直ぐ駆け抜けます。「戻せ」「戻らない」方位090に成り「此処でホールドターンオーバー」18:44:05 「重たい」「一杯行こうか」「一杯、舵」「一杯です」必死な努力だか相手はリモートコントロール制御。 18:44:11「相模湖迄来ています」あっという間にリモコンで左旋回させられて終います。18:44:58「これは駄目かも分からんね」18:45乗客遺書「機体は水平で安定している」「酸素が少ない」とも。 「あの日私の誕生日なので、良く覚えています。町の南側に有る今熊山 (東京都八王子市美山町)の方向から大きな飛行機が現れ北北東の方向へゆっくり飛んでいた。五日市高校の上空辺りを飛び日の出町方向の山へ消えました。時間は午後6時45分頃の20から30秒間です」(角田四郎氏取材南澤輝明氏)「東南東より西北西の御岳山の方へ」多摩郡日の出町細尾の北島清司氏(53)18:46:04「おい山だぞ」西多摩郡御岳山929mライトターン回避 18:46:54JAL123便は東京コントロールと交信を開始する。リモートコントロールによるフラップ操縦で急降下状況に陥る18:46:58「うあっ…大変だっ」18:47:00各種警報装置一斉作動「現在コントロール出来ますか」「アンコントローラブルですアー操縦不能」18:47:07交信を終了する。機体の立て直しに全力を尽して直ちにフラップアップで上昇に転ずるが、其の間にリモートコントロールによるレフトターンに慌てる。 18:47:05「山行くぞー!」 西多摩郡奥多摩町日原 前田清巡査長(24) 「川下より低空で左翼を大きく落とし斜めに落ちて来る感じで…直ぐ翼を取り戻し通り過ぎ北西山並みへ」 「東南にある甲武信ヶ岳2475mの北側の尾根から突然大きなジエット機が姿を現した。飛行機は畑のほぼ真上を西方向へ通過。まるで石を投げたら当たる様な超低空飛行だった。真上に来た時は空が真黒になる様に感じた。千曲川に沿って西へ進んだが正面には扇平山1700mが迫っていた。右翼を下げて飛行機は約90度右旋回(1)した進行方向には三国山がある」(川上村梓山の実家畑で神奈川県在住石川哲氏) 「自宅上空でゴーツと凄まじい音がしたので家の前の河原に出て空を仰いだ南東の五郎山2132mをかすめる様に見た事も無い程大きな飛行機が現れた。爆音は更に大きく成り飛行機は頭上で大きく右旋回(1)し次に逆に左旋回(2)したかと思うと急に機首を下げ(3)扇平山と神立山1978mの交差する稜線の向こう側に消えた。」川上村梓山井上薫氏「誰かが光るものが飛んでくると叫んだ。巨大なジャンボ機が山の端をかすめる様にゆっくり飛んでいた。南東の方向の山の上から近付いて来た。頭の上で右旋回(1)し始め北に向かった」(川上村少年野球チーム約30人証言加藤隆志君)「飛行機は赤ランプを点滅させていた右旋回(1)する時かなり右へ傾いたフラフラと不安定だった」川上村梓山グランド関一二三君。(2)小さな旋回は、戦闘機並みの急旋回で民間機のパイロットの行う仕業では有り得無い。※添付写真(6)生存者吉崎博子氏「乗客は次々とシートベルトを締めたが、機の揺れが激しくベルトによる胸部圧迫から失神する乗客が続出した(2)夫(故吉崎優三氏)は、ベルトを外して立上がりスチュワーデスに失神者の救助を依頼」落合由美氏「安全姿勢を取った座席の中で大きく体が揺さぶられるのを感じました。船の揺れ等と言うものではありません。もの凄い揺れです。しかし、上下の振動はありませんでした。(2)そして直ぐに急降下(3)が始まったのです。」18:54:04「ライトターン」(1)「フラップとめな…とめな!」18:54:48「リクエストポジション(4)」(3)ライトターンの後引き戻しのリモートコントロールによるレフトターンさせられて(S字旋回に見える)更に急降下させられている。(4)自機位置を見失うのはリモートコントロール誘導電波による影響で計測不可能に成る。「飛行機の後から流れ星の様なものが近くに飛んで行く」南相木村中島3人の住民「赤いプロペラの付いた物体が畑の上を飛んで行きそれがJAL123便に当たって飛行機が爆発(5)した」農家主婦と息子18:55:58「ずっと前から…(※推測レーダーに映っているそうです)」※民間機のレーダーに後方は映らない為に東京管制部より連絡があったと思われます。18:56:02所沢の東京管制部記録は、高度9700(改竄か撃墜目的戦闘機高度)feet速度300(改竄か撃墜目的戦闘機高度※18:57消失のデーターも同じ)knotで機影消失(現場特定させない時間稼ぎ又は、リモートコントロールによるJAL123便のトランスポンダーコードをオフにされた為か?)8/12PM21:30〜22:00頃に羽田東急ホテルに搭乗者名簿張り出し時に中年紳士の日航役職者に家族の追求が執拗で詰め寄られて発言「うちの機は、北朝鮮のミサイルに打ち落とされたんだ!今はそれしか分からん」東京管制部日本航空123便の件タブー視。「直後ピカッと閃光が上がり(5)続いて炎が燃え上がるのが見えた。やがて巨大な黒いキノコ雲に成って天に上った」川上村梓山井上薫氏 「まもなくして雷が落ちる様なバリバリという大音響がし、二度程パッパッと光った。そのうちねずみ色のキノコ雲が上がった」南佐久郡川上村住民
1985年1月から8月航空自衛隊の岐阜航空実験団F-4EJ性能向上型F-4フアントムUテスト(秘話装置機能…交信内容は、秘匿をかけると受信機で雑音入る。但し通達距離も多少短く成る)一方F-15J撃墜目的在空。18:26:29「あー123便違います貴機を呼んでいない」在空戦闘機接触開始する。高度差4、5000mから低空飛行の速度が遅い123便をロックオン可能。 0、25G60t前向き外力発生した。18:56:02……18:56:04「あーっ」サイドワインダー(AIM-9L空対空ミサイル。全長287cm。直径12、7cm。87kg。接近戦用射程8km。翼幅64cm。弾頭9、5kg。爆発破片数10m範囲拡散。モジュラー構造で交換可能)命中18:56:092本目命中
「胴体から煙を噴きながら超低空で東北方角へ飛行」南相木村栗生主婦
「川上村の人達は、飛行機は北東の方へ炎をあげて飛んで行ったと話している」北相木村菊池村長
「もうぶっかると思ったが、機首をグッと持ち上げて山の斜面を這う様に上昇(6)して行った。機首の上部が後ろから見える程の急角度のままやっと尾根を超えた。姿が見えなく成って数秒後に黒い煙が、続いて白い煙が上がった」川上村梓山実家の畑で神奈川県在住石川哲氏
生存者吉崎博子氏「やがて飛行機は激しく揺れ出しました。ジエットコースターにでも乗っている様な感じで(6)」 速度108knot機首39゜の状態「頭上げろ、頭上げろ、パワー」「ストールするぞ」 「真っ逆様に落ちて行きます。窓の外の景色がどんどん変わりました。機体は何回かガクンと方向を下げて(7変則的旋回…事故調査委員会報告の大月上空に移動。実際は秋山村で円形)行きます」生存者吉崎博子氏 最後迄右旋回する為に努力したと認められる。「上空700〜800m付近を飛行機が旋回しながらゆっくりと降下、北北東の三国峠の岩蔭に墜落閃光をあげて激突する」川上村伊藤剛氏 北緯35度59分54秒。東経138度41分49秒。横田タカン302度36マイル。入間タカン291度36、3マイル。群馬県多野郡上野村大字楢原字本谷3577番地国有林76林班内。墜落現場付近東大地震研究所に微小地震 3波有り &nbs p;18:56:50…1秒で減衰 18:56:53…1秒で減衰 18:56:55…10秒近く尾を引く(後で事故調査委員会の墜落時刻に合わせます。) 一本唐松(樹齢202年)地表から14m鋭利刃物切断した様に直径30cmの太さが折れている。 一本唐松通過後50〜300m付近第4エンジン破片落下…フライトレコーダー第4エンジン出力0% 唐松より500m45度以上傾斜右翼の先でレ字形を尾根に残して進入方向へ木をなぎ倒す。機体後方接触し18:56:47圧力隔壁破壊音 18:56:50記録終了 数秒背面飛行後…迫撃砲命中して真直ぐ落下(写真添付7)するその後に小型核爆弾か高性能爆薬を使用する。 遺体の皮膚破れは熱線。地表約1m掘る必要が有りそうして元の地表露出して遺体発見。強烈なキノコ雲の上昇気によるもの。 土の中から炎が燃え上がるのが、ホットスポット現象。放射性降下物のフオールアウト(長時間火災)有り
〓以下を読んでみて下さいます様に御願いします。速度108knot機首39゜の状態「頭上げろ、頭上げろ、パワー」「ストールするぞ」 「真っ逆様に落ちて行きます。窓の外の景色がどんどん変わりました。機体は何回かガクンと方向を下げて(7変則的旋回…事故調査委員会報告の大月上空に移動。実際は秋山村で円形)行きます」生存者吉崎博子氏 最後迄右旋回する為に努力したと認められる。「上空700〜800m付近を飛行機が旋回しながらゆっくりと降下、北北東の三国峠の岩蔭に墜落閃光をあげて激突する」川上村伊藤剛氏 北緯35度59分54秒。東経138度41分49秒。横田タカン302度36マイル。入間タカン291度36、3マイル。群馬県多野郡上野村大字楢原字本谷3577番地国有林76林班内。墜落現場付近東大地震研究所に微小地震 3波有り 18:56:50…1秒で減衰 18:56:53…1秒で減衰 18:56:55…10秒近く尾を引く(後で事故調査委員会の墜落時刻に合わせます。) 一本唐松(樹齢202年)地表から14m鋭利刃物切断した様に直径30cmの太さが折れている。 一本唐松通過後50〜300m付近第4エンジン破片落下…フライトレコーダー第4エンジン出力0% 唐松より500m45度以上傾斜右翼の先でレ字形を尾根に残して進入方向へ木をなぎ倒す。機体後方接触し18:56:47圧力隔壁破壊音 18:56:50記録終了 距離600m数秒背面飛行後…迫撃砲命中(救助者桜マークの入った破片が、遺体の皮膚に食い込んでいるのを発見。桜マークは、陸自96式自走120mm迫撃砲)して真直ぐ落下(写真添付7)する(主翼周り立木そのまま。破裂損傷遺体が、針葉樹の燃え易い木々の高い木立ちの上に引っ掛かる)その後に小型核爆弾(事故調査委員会掲載写真には、レーザー加工模様の金属疲労。セシウム系同波長加工230nm毎に金属疲労の進んだ一瞬の現場を理解させる。報告書は、一定の力が加わり規則的疲労発生。金属疲労大部分は疲労の波長から紫色の閃光が、一瞬発生と想定してます。類似ケースには、セシウム系電子銃の発色…紫色の閃光は長崎原爆で目撃)か高性能爆薬を使用する。 遺体の皮膚破れは熱線。地表約1m掘る必要が有りそうして元の地表露出して遺体発見。強烈なキノコ雲の上昇気によるもの。 土の中から炎が燃え上がるのが、ホットスポット現象。放射性降下物のフオールアウト(長時間火災)有り。17:30群馬県藤岡市付近に自衛隊と機動隊進出。18:30上野村手前の山中で、民間車両の検問を開始。19:00秩父近くの三峰口(御巣鷹山直線距離約26km地点)を自衛隊車両何台も通過。道路封鎖する警官「重要な物が落ちているので、其の処理が終わる迄通行止め」19:10米軍横田基地所属C-130輸送機現場到着。基地に一報。 19:21百里基地所属F-4EJ2機は、20分旋回後一報。 19:30上野村樽原地区自衛隊進出し信号弾。20:00上野村三岐待機自衛隊一群到着。待機命令に反して怪我人救助を急いだ自衛隊員1人射殺NHKニュース初報。20:30米軍横田基地所属C-130輸送機掩護要請で到着した座間基地所属の救難用ヘリコプターUH-1ラペリング。懸垂降下開始する。中止命令発動。ヘリコプターへ徹収し基地へ帰投。20:42百里基地所属救難用ヘリコプターKV-107到着。 「山の中腹に炎が10数箇所出ていた。夜と言っても明るさがあるので山の稜線がはっきり見えた」大森泉一尉電話インタビュー。21:00信号弾合図で、上野村三岐待機自衛隊一群が、浜平方面から墜落現場へ。 墜落現場で何を行ったのか。自衛隊無線傍受者「熱い、熱い」断末魔の音声傍受情報。生存者川上慶子氏が語る。妹「咲子は、『姉ちゃん、苦しいよお。息出来無いよお』しばらくしてゲロゲロ吐き出して動かなく成り」毒瓦斯兵器(証拠残らず腐乱促進)噴射し生存者殲滅作戦。翌朝に自衛隊の化学防護隊出動(人体に特別悪影響の無い積み荷のアイソトープ回収目的に使用と表向き。3000人程の自衛隊員防毒マスクを付けて作業する。)墜落前垂直尾翼の機体後部残存は、墜落直前写真撮影(写真添付8)の分析から55%欠損し45%存在。現場回収時10%未満。(写真添付9)21:06朝日新聞東京本社の双発ジエットヘリコプター『ちよどり』現場到着し、羽田空港から304度方向60マイル(正解)報告。航空地図から群馬県側確認し、記者等原稿と写真を送る。21:30捜索開始命令下令。(ニューズウィーク誌) 8/13(火曜日)自衛隊対策本部の広報担当者発表「自衛隊ヘリの捜索0:30一旦打ち切り5:00以降再開」0:36埼玉県入間基地所属KV-107から加藤長官指揮。入間基地タカンから291度36、6マイル報告(正解)4:00過ぎ深井純一立命館大学教授はゼミ生等4人素人救援隊組織して、長野県南牧村宿泊先を車で出発。4:30群馬県上野村で警察の検問に阻まれる。 4:58日の出 5:10V-107ヘリ投入。立川基地OH6ヘリ投入。5:30過ぎ生存者確認の第一報。5:37長野県警ヘリ『やまびこ』御巣鷹山南南東約2km。県境から東方700m。機体散乱現場は群馬県側。 7:00深井純一立命館大学教授はゼミ生等4人素人救援隊南相木村の川沿いの林道から入山開始 7:15自衛隊は、レンジャー部隊を吊り下ろす。8:49墜落現場でV107ヘリ垂直尾翼残骸を一部吊り上げ。9:00前に深井純一立命館大学教授素人救援隊は現場到着。 自衛隊ヘリ「貴方達は生存者か」と発声。消防団員2人9:00過ぎ到着。 男24〜26歳髭を生やす。男子小学6年生〜中学生。女子涙流して「怖い、怖い」。3人を発見。(投げ出され負傷した女子が生存者との情報ニューヨーク報道)あり4人「長野の方から来た」と慌てて下山。 9:25長野県警レスキュー隊ヘリ『やまびこ』より2人現場下2、3km地点降下。9:30上野村消防団第5分団の一行が獣道より現場へ。 途中沢伝いに下る4人連れに遭遇 3人は中年男性1人は男子中学生。 10:15群馬県警機動隊が上野村猟友会の案内で現場到着。林の中を走り回っている男の子発見される。10:30多野総合病院に生存者4人ヘリ移送連絡有り。 10:40長野県警レスキュー隊が現場到着。尾根上73人空挺団降下中確認。10:54上野村消防団6人と長野県警レスキュー隊2人合流。10:54〜11:40落合由美(26)氏 発見から救出迄 11:03吉崎博子氏(35)吉崎美紀子さん(8)発見と救出 11:05〜11:25川上慶子(12)発見から救出迄 11:30フジTV現場より生存者救出生中継 1人の女の子は担架に乗らない程元気救助隊員に抱かれていた。他の2人は毛布を被されている為男子の性別や傷程度ははっきりしない。記者の1人は、7〜8歳の男子が担架に乗せられて運ばれるのを目撃した。現場の尾根を挟んだ裏側から自衛隊のヘリコプターへ。 12:00仮設ヘリポートに搬送。 13:29生存者4人の自衛隊ヘリへの吊り上げ収容始まる。 14:08落合由美氏と吉崎博子氏が14:12には吉崎美紀子さんと川上慶子さん藤岡着。多野総合病院収容14:15。15:00落合由美氏に初インタビューが入る。