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http://www.amakiblog.com/archives/2008/06/08/#000918
秋葉原通り魔事件に衝撃を受ける
秋葉原通り魔事件に衝撃を受ける
これは私のブログで書くべき性格のものではないかもしれない。
しかし、秋葉原通り魔事件に衝撃を受け、考えるところがあったので、今の思いを書いてみた。
「人を殺したかった。誰でもよかった」
最近頻繁に起きる衝撃的な殺人事件で、お決まりのように聞かせられる言葉である。
人を殺すという事は普通の人間にできることではない。
ましてや恨みも何も無い不特定多数の人間を殺す事は。
しかも、「誰でもよかった」、などという理由で、人を殺せるだろうか。
間違いなく正常ではない。
しかし、それが最近当たり前のように起きているのではないのか。
いや、そうではないのかもしれない。
統計的には昔も今も大差ないのかもしれない。
いつの世も、一部の例外的な日本人によるこのような犯罪はあった。
大多数の日本人はまともで善良な人間である。
そう思いたい。
しかし、ひょっとしてそうではないのではないか。
今後もこのような事件が起こり続けるのではないか。
そう思うのだ。
そして、それはかつての日本では考えられなかった社会現象ではないのか。
そうだとしたら、日本は正常を失いつつあるという事ではないのか。
これらの事件は日本の病理を映し出す合わせ鏡ではないのか。
もしそうだとしたら、その事をそう考えればいいのか。
その責任は一体誰にあるのか。
そこから先の答えは日本人一人一人が考えるべき事に違いない。
その答えは一人一人違ってもいい。
私は、その責任は、やはりこの国の指導者たちにあると思う。それは政治家であり官僚である。
その中でも、最大の責任者は小泉元首相であると、私は思う。
彼は日本を壊してしまったのだ。
小泉元首相を支持した国民が多かったゆえに、その事を誰も認めたがらない。
小泉批判は今でも起こらないのだ。
しかし、時が過ぎ、日本人が日本の現代史を振り返るとき、必ずそれに気づく時がくる。
小泉純一郎と言う政治家は日本国民の凶事の上に、一人自分の人生を謳歌した人物であった、と。
あるべき政治家像の対極にある人間である。