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〓1985年8月12日の月曜日JAL123便事件〓
18:12:10離陸テイクオフ(前後方向加速度3G)
18:12:30。800feet通過 18:12:35機首方位180度指示 18:15:55機首方位200度 (事故調査委員会報告では18:18)
ニューヨーク報道 「離陸3分後問題発生」 18:16:22「日航123便SIDコースの2マイルより右寄りだ通常の航法に戻せ」 ※ハイジャック対策リモートコントロール技術開発中で民間航空化する前の123便がターゲットに ゆっくり山岳地帯にコースを逸脱させられる。 添付写真(2、3〜5)犠牲者小川哲氏機内から撮影で朝日新聞1990年10月14日朝刊掲載三浦半島が手前に有ります。奥に富士山が有り相模湾の上空に入りつつ有ります。矢印はFIREBEEです。其のボディには日本開発の(米ステルス機用ステルス塗料のオレンジ色※塗料が塗られてます)やはり日本開発で純国産ミサイル(ターボジエット方式に切替。低周波発生する。ブースター付。ASM-1発展型)開発中の頭脳搭載してます。撃墜事件後ステルス爆撃機を開発中の発表してます。護衛艦まつゆきファイアービーを移動式発射台から打ち出します。
アメリカ調査官NTSBサイドレン調査官 落合由美氏に証言を聞く為に多野総合病院訪問する。 「異常発生時刻は18:25だった時計を見た」 スコーク77受信側の東京管制発表した時刻は18:25:10 精確命中を目的とすれば時報同時命中は必然的です。 週刊サンケイ1985年9月19日号 元電気通信大学講師井上氏談話「フライトレコーダーを見ると既に24分10秒には方向蛇が右に飛んでいる…」 異常発生時刻18:25:00を18:24:35、6にしたと考えると:25、6前つまり:25:00−25、6=18:24:35、6には、謎の飛行体を回避運動でかわしたと解釈出来ます。 つまりかなりの乗員と乗客が謎の飛行体を目撃したと考えられます。 &n bsp;初期フライトレコーダーの記録航路を見ますと衝撃音「パーンバリバリ」「ドーンガラガラ」の前に右に航路がずれていた。そうしますと正しい記録は以下の通りと推測可能です。
18:24:30〜35「ライトターン」 18:24:37 <インタホン> 「スイッチを押してトイレへ行きたいとおっしゃる方がいらっしゃるんですが、宜しいでしょうか」「気を付けて」「じゃあ気を付けて御願いします」「手早く」「はい有難う御座居ます」「気を付けて下さい」
突然に低周波MHZ(巡航ミサイルターボジエット音)音記録された後…18:25:0、50「パーンバリバリ」前後方向加速度0、047G。前向き外力11t。後方右斜め上より垂直尾翼衝突し左下方突き抜ける。(爆薬未搭載)沼津市上空で「ドーン」を聞いた人有ります。18:25:02一瞬停電 キャビン非常灯点灯 白霧発生 18:25:03「まずい何か当たったぞ」18:25:07「スコーク77入れるぞ」 「えっ」三浦半島三崎港灯台から南西8、1海里地点 & nbsp; 18:25:13「ライトターン」「ライトターン」「…(回避運動)しました」 極めて素早い行動をしておりまして、スコーク77発信迄短い事が分かります。8/12PM23:53山下運輸相記者会見「此迄の情報ではパイロットミスはなさそうだ」「全く予見出来無い事故で唖然としている」と示唆的な発言。
此の後機長は、18時25分20秒頃から日本航空社内無線でベテラン機長と操縦輪と機体の反応がおかしい点を話し合います。最大出力「マックパワー」つまり離陸推力で伊豆半島に向かいます。 伊豆半島の伊豆急行河津駅目撃者「普段の2倍の大きさで見えた」14200feet付近と推測可能。 河津駅上空でライトターンして大島方向に機体を向ける為に操作するが45度の右旋回に止まる。焦るクルー操縦輪操作するが…18:26:18「バンクとんな、そんなに」右旋回を試みるが…「何でこいつ」効か無いんだ。即時レフトターンを試みるが余り効か無い。其のまま駿河湾に出てしまう。 其の内に左右旋回全く不可能に成り18:29:00「バットナウ・アンコントロール」と機長は叫ぶ。 18:30静岡県焼津市小川港高草山(501m)上空をスレスレ低空飛行する。乗客遺書「急速に降下」「ジャンボ機は、静岡駅南西方向から駅方向に右旋回し、今度は左へ翼を傾けS字状旋回翼上下3度程繰り返し北の雲 の中に消えた」焼津市石津町原崎三夫氏(57) リモートコントロール側とパイロットの側との操縦権の争奪戦です。
関東南A空域C−1在空事実有り。岐阜航空実験団改良電子戦機。 公式未納入状態で使用してます。 電子戦機の誘導電波に逆らって羽田空港に戻る努力を続け航路が左右ふらふらに成ってます(初期航跡図) 富士山大野キャンプ場 「随分低くく左右に揺れながら飛ぶ」 垂直尾翼安定板分析 尾翼右側衝突 機首方向左側伸長力加圧され比較的痛みが少ない。上部外板捲れ上がり右側圧縮力で加圧され押し潰 されてます。 18:30 神奈川県相模原市上空座間ポイント東約9km高度約5400m上空より JAL123便機影ANA757便東京発小松機長 「何とか機首を羽田方向に立て直そうとしている様だった」「初めは4発エンジンの大型軍用機といった感じで(尾翼欠損し鶴のマーク殆ど無し)日航機には見えなかった」「123便は大きくなったり、小さくなったりして見えた。北から東へ針路変更をしようとしている様だった」「約3分後右後方へ去る」18:34「踏 ん張ってろよ」 18:35落合可之氏妻由美氏証言 「ゆっくりと左右に大きく旋回している様な動きが始まる。酸素マスクを外してみても苦しさは感じませんでした」 18:38「椅子の下にある救命胴衣を取り出して付けて下さい」ベスト着用開始。 「機体の左右の傾き揺れ角はじっと立っていられ無い程に成る」 機内アナウンス「急に着陸する事が考えられますから…」「北方から飛来し秋山村上空で360度以上急旋回をして北方へ低空飛行」山梨県秋山村藤本重則氏(37)舵左一杯でも右旋回の機首を抑制出来ず…リモートコントロール制御。18:40「別に苦しく(酸素)無かった」機体左側に富士山を見る。富士山3779m中腹アルバイト住み込みの人帰宅途中ふらふら飛ぶ飛行機を見る。「其の飛び方は飛行機と思えない。」と証言する。18:41日航社内無線で、東京コントロールと連絡 (後日18:35に変更されます) 18:42「管制塔からの交信はキヤッチ出来ています」
明るいニュースは機内を直ぐ駆け抜けます。「戻せ」「戻らない」方位090に成り「此処でホールドターンオーバー」18:44:05 「重たい」「一杯行こうか」「一杯、舵」「一杯です」必死な努力だか相手はリモートコントロール制御。 18:44:11「相模湖迄来ています」あっという間にリモコンで左旋回させられて終います。18:44:58「これは駄目かも分からんね」18:45乗客遺書「機体は水平で安定している」「酸素が少ない」とも。 「あの日私の誕生日なので、良く覚えています。町の南側に有る今熊山 (東京都八王子市美山町)の方向から大きな飛行機が現れ北北東の方向へゆっくり飛んでいた。五日市高校の上空辺りを飛び日の出町方向の山へ消えました。時間は午後6時45分頃の20から30秒間です」(角田四郎氏取材南澤輝明氏)「東南東より西北西の御岳山の方へ」多摩郡日の出町細尾の北島清司氏(53)18:46:04「おい山だぞ」西多摩郡御岳山929mライトターン回避 18:46:54JAL123便は東京コントロールと交信を開始する。リモートコントロールによるフラップ操縦で急降下状況に陥る18:46:58「うあっ…大変だっ」18:47:00各種警報装置一斉作動「現在コントロール出来ますか」「アンコントローラブルですアー操縦不能」18:47:07交信を終了する。機体の立て直しに全力を尽して直ちにフラップアップで上昇に転ずるが、其の間にリモートコントロールによるレフトターンに慌てる。 18:47:05「山行くぞー!」 西多摩郡奥多摩町日原 前田清巡査長(24) 「川下より低空で左翼を大きく落とし斜めに落ちて来る感じで…直ぐ翼を取り戻し通り過ぎ北西山並みへ」 「東南にある甲武信ヶ岳2475mの北側の尾根から突然大きなジエット機が姿を現した。飛行機は畑のほぼ真上を西方向へ通過。まるで石を投げたら当たる様な超低空飛行だった。真上に来た時は空が真黒になる様に感じた。千曲川に沿って西へ進んだが正面には扇平山1700mが迫っていた。右翼を下げて飛行機は約90度右旋回(1)した進行方向には三国山がある」(川上村梓山の実家畑で神奈川県在住石川哲氏) 「自宅上空でゴーツと凄まじい音がしたので家の前の河原に出て空を仰いだ南東の五郎山2132mをかすめる様に見た事も無い程大きな飛行機が現れた。爆音は更に大きく成り飛行機は頭上で大きく右旋回(1)し次に逆に左旋回(2)したかと思うと急に機首を下げ(3)扇平山と神立山1978mの交差する稜線の向こう側に消えた。」川上村梓山井上薫氏「誰かが光るものが飛んでくると叫んだ。巨大なジャンボ機が山の端をかすめる様にゆっくり飛んでいた。南東の方向の山の上から近付いて来た。頭の上で右旋回(1)し始め北に向かった」(川上村少年野球チーム約30人証言加藤隆志君)「飛行機は赤ランプを点滅させていた右旋回(1)する時かなり右へ傾いたフラフラと不安定だった」川上村梓山グランド関一二三君。(2)小さな旋回は、戦闘機並みの急旋回で民間機のパイロットの行う仕業では有り得無い。※添付写真(6)生存者吉崎博子氏「乗客は次々とシートベルトを締めたが、機の揺れが激しくベルトによる胸部圧迫から失神する乗客が続出した(2)夫(故吉崎優三氏)は、ベルトを外して立上がりスチュワーデスに失神者の救助を依頼」落合由美氏「安全姿勢を取った座席の中で大きく体が揺さぶられるのを感じました。船の揺れ等と言うものではありません。もの凄い揺れです。しかし、上下の振動はありませんでした。(2)そして直ぐに急降下(3)が始まったのです。」18:54:04「ライトターン」(1)「フラップとめな…とめな!」18:54:48「リクエストポジション(4)」(3)ライトターンの後引き戻しのリモートコントロールによるレフトターンさせられて(S字旋回に見える)更に急降下させられている。(4)自機位置を見失うのはリモートコントロール誘導電波による影響で計測不可能に成る。「飛行機の後から流れ星の様なものが近くに飛んで行く」南相木村中島3人の住民「赤いプロペラの付いた物体が畑の上を飛んで行きそれがJAL123便に当たって飛行機が爆発(5)した」農家主婦と息子18:55:58「ずっと前から…(※推測レーダーに映っているそうです)」※民間機のレーダーに後方は映らない為に東京管制部より連絡があったと思われます。18:56:02所沢の東京管制部記録は、高度9700(改竄か撃墜目的戦闘機高度)feet速度300(改竄か撃墜目的戦闘機高度※18:57消失のデーターも同じ)knotで機影消失(現場特定させない時間稼ぎ又は、リモートコントロールによるJAL123便のトランスポンダーコードをオフにされた為か?)8/12PM21:30〜22:00頃に羽田東急ホテルに搭乗者名簿張り出し時に中年紳士の日航役職者に家族の追求が執拗で詰め寄られて発言「うちの機は、北朝鮮のミサイルに打ち落とされたんだ!今はそれしか分からん」東京管制部日本航空123便の件タブー視。「直後ピカッと閃光が上がり(5)続いて炎が燃え上がるのが見えた。やがて巨大な黒いキノコ雲に成って天に上った」川上村梓山井上薫氏 「まもなくして雷が落ちる様なバリバリという大音響がし、二度程パッパッと光った。そのうちねずみ色のキノコ雲が上がった」南佐久郡川上村住民
1985年1月から8月航空自衛隊の岐阜航空実験団F-4EJ性能向上型F-4フアントムUテスト(秘話装置機能…交信内容は、秘匿をかけると受信機で雑音入る。但し通達距離も多少短く成る)一方F-15J撃墜目的在空。18:26:29「あー123便違います貴機を呼んでいない」在空戦闘機接触開始する。高度差4、5000mから低空飛行の速度が遅い123便をロックオン可能。 0、25G60t前向き外力発生した。18:56:02……18:56:04「あーっ」サイドワインダー(AIM-9L空対空ミサイル。全長287cm。直径12、7cm。87kg。接近戦用射程8km。翼幅64cm。弾頭9、5kg。爆発破片数10m範囲拡散。モジュラー構造で交換可能)命中18:56:092本目命中
「胴体から煙を噴きながら超低空で東北方角へ飛行」南相木村栗生主婦
「川上村の人達は、飛行機は北東の方へ炎をあげて飛んで行ったと話している」北相木村菊池村長
「もうぶっかると思ったが、機首をグッと持ち上げて山の斜面を這う様に上昇(6)して行った。機首の上部が後ろから見える程の急角度のままやっと尾根を超えた。姿が見えなく成って数秒後に黒い煙が、続いて白い煙が上がった」川上村梓山実家の畑で神奈川県在住石川哲氏
生存者吉崎博子氏「やがて飛行機は激しく揺れ出しました。ジエットコースターにでも乗っている様な感じで(6)」 速度108knot機首39゜の状態「頭上げろ、頭上げろ、パワー」「ストールするぞ」 「真っ逆様に落ちて行きます。窓の外の景色がどんどん変わりました。機体は何回かガクンと方向を下げて(7変則的旋回…事故調査委員会報告の大月上空に移動。実際は秋山村で円形)行きます」生存者吉崎博子氏 最後迄右旋回する為に努力したと認められる。「上空700〜800m付近を飛行機が旋回しながらゆっくりと降下、北北東の三国峠の岩蔭に墜落閃光をあげて激突する」川上村伊藤剛氏 北緯35度59分54秒。東経138度41分49秒。横田タカン302度36マイル。入間タカン291度36、3マイル。群馬県多野郡上野村大字楢原字本谷3577番地国有林76林班内。墜落現場付近東大地震研究所に微小地震 3波有り &nbs p;18:56:50…1秒で減衰 18:56:53…1秒で減衰 18:56:55…10秒近く尾を引く(後で事故調査委員会の墜落時刻に合わせます。) 一本唐松(樹齢202年)地表から14m鋭利刃物切断した様に直径30cmの太さが折れている。 一本唐松通過後50〜300m付近第4エンジン破片落下…フライトレコーダー第4エンジン出力0% 唐松より500m45度以上傾斜右翼の先でレ字形を尾根に残して進入方向へ木をなぎ倒す。機体後方接触し18:56:47圧力隔壁破壊音 18:56:50記録終了 数秒背面飛行後…迫撃砲命中して真直ぐ落下(写真添付7)するその後に小型核爆弾か高性能爆薬を使用する。 遺体の皮膚破れは熱線。地表約1m掘る必要が有りそうして元の地表露出して遺体発見。強烈なキノコ雲の上昇気によるもの。 土の中から炎が燃え上がるのが、ホットスポット現象。放射性降下物のフオールアウト(長時間火災)有り
ありがとうございます。
123便につきましては、落下寸前の放射線強化型爆弾により前部乗客の体が一瞬にしてなくなってしまい、未だに前部350名程度の乗客乗員の皆様が成仏できずに
いることです。
同情をするのが、通常でしたらこういった事態でしたら悪霊になってしまいますが、さすがは当時日本で飛行機に乗っていた方々で、お助けマンとなって関東を事故、災害から守ってくれているもようです。究極の苦しみのなか善の行いを貫く。当時、日本のトップレベルにいた乗客乗員の方々の生き様です。我々も見習わなければ。
http://gray.ap.teacup.com/123ja8119/