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神州の泉、『植草事件』を惹起した巨大な闇2、植草一秀氏が小泉政権糾弾者の筆頭であったというメディアがけっして報じない事実
http://www.asyura2.com/08/lunchbreak11/msg/284.html
投稿者 小沢内閣待望論 日時 2008 年 6 月 04 日 18:30:20: 4sIKljvd9SgGs
 

http://shimotazawa.cocolog-wbs.com/akebi/2008/06/post_970e.html
2008年6月 4日 (水)
『植草事件』を惹起した巨大な闇(2)
 植草一秀氏が小泉政権糾弾者の筆頭であったというメディアがけっして報じない事実

 筆者がタイトルとして名づけた『植草事件』とは、2004年4月8日に品川駅構内エスカレータで起きた、いわゆる「手鏡事件」と、2006年9月13日に京急電車内で起きた事件の併せて二件を意味している。これら二つの案件は、ともに背景に政治的謀略が介在する国策捜査の疑いがきわめて濃厚だ。つまり、二件とも、事実無根の植草氏に対して強制的に偽装事件が被せられ、彼は否応なく犯罪者としてイメージ付けられてしまったという経緯である。以下、これら二件の植草事件を個別に言う場合は、便宜上『品川事件』、『京急事件』と呼ぶことにする。

 さて、植草氏が時の政権政策とはまったくかかわりのない職種の人間であったとしよう。その場合、たとえば事件そのものがまったく植草氏の身に覚えのない冤罪であっても、そのことが報道されるときは、著名人の醜聞という報道様態で出てきても何ら不思議ではない。つまり「スキャンダリズム」の報道視点が取られることはごく当たり前であろう。しかし、独自の景況分析をわかりやすく説明できて、歯に衣を着せぬ鋭敏な政策批判を果敢にやってきた植草氏の場合は、『政策提言ができる稀有なエコノミスト』として、世論に重大な影響を与えうる存在であったことは論を待たない。植草氏がテレビで経済分析や政策の解説を行うと、論理明晰で視聴者には非常にわかりやすいという特徴があった。つまり、抜群の説得力があるのである。

 ここで読者に一考してもらいたいが、抜群の分析力と説得力を持つ植草氏が、テレビや他のメディアで小泉政権の方針を痛烈に批判した場合、官邸筋は彼に対してどういう姿勢を取るのだろうか。彼が大した論拠も持たずに出まかせ的な言辞を弄するエコノミストであったなら政府筋は黙認するだろう。しかし、あの小泉政権が植草氏に対してそういう風に鷹揚な黙殺で済ませられただろうか。結論から言えば、官邸主導勢力が植草氏の言論表現を封じる工作に取り掛かったとしても何ら不思議ではない。むしろ権謀術数が渦巻く政界では、氏の言論活動に対して、合法非合法な妨害工作に出る蓋然性はつとに高い。だから、痴漢犯罪に冤罪の可能性があり、しかも、被疑者が政権筋に政敵として位置づけられていた場合、冤罪は謀略の様相を帯びてくる可能性がある。植草事件の場合、メディアはその可能性を捨象してはならないのであるが、どういうわけか、メディアは冤罪の可能性も謀略の可能性にもまったく触れないでいる。彼らは頭ごなしに一様に植草事件を既遂事実として報道しているのだ。

 筆者は植草報道について、メディアは著しく偏った報道視点で捉えていると再三再四語ってきた。植草氏と小泉政権との間には、ただならぬ軋轢、政策上の反目があったという重要な事実をマスメディアは故意に語らない。メディアがかたくなに取っているこの偏頗性(メディア・コントロール)は、事件そのものの報道様態に植草氏側の弁明が極端に少ないというアンバランスに集中して見られた。また、それと同時に非常に奇異な点は、彼の経歴報道についても感じられるのだ。それは、氏の学歴や職歴は簡潔に伝えているのだが、肝心のエコノミストとしての彼の職能的特徴を何一つ伝えていないのである。

 これはかえって奇妙としか言いようがない。植草氏のエコノミストとしての専門は三つある。一つはマクロ経済という総体的な観点から分析する日本経済論。二番目は金融論。そして三番目が彼が最も得意とする経済政策論である。植草事件の本質と、この三番目の経済政策論には密接な関係がある。知ってもらいたいことは、植草氏の職能的経済分析は他のエコノミストと異なり、井戸端会議的な衒学性は微塵もなく、それは日本の方向性を決定付ける重要な政策立案に寄与できる実践的なものだ。政府が国策的経済政策を遂行する上で、植草氏が重要な提言者として重い位置を占めていたことをマスコミは伝えていなかった。政策論が得意なエコノミストは時の政権が最も頼りとする力になりうるが、その反面、このエコノミストが政府のマクロ政策に反旗を翻した時、それは政権にとって最も脅威の存在となりうる。ましてや彼がテレビで説得力のある説明ができるとなれば政権筋にとってはなおさら脅威であろう。植草氏と小泉政権の関係はまさにこの対立構図にあったのだ。小泉政権は構造改革を批判する者は一括して“抵抗勢力”というレッテルを貼り、自民党から排斥した。その顕著な事例が郵政造反組みへ行なった党籍剥奪であった。郵政民営化というシングルイシューに反対した党員たちを不倶戴天の敵と断じ、彼らを党外に追放したのみか、非情にも追放者たちの各選挙区に刺客と称する落下傘候補を投入した。この憎悪と敵意は政党政治の常軌を逸したものだ。

 郵政造反者にこういう熾烈な憎悪を差し向け、非情な振る舞いにおよんだ行動から類推して、小泉官邸主導勢力が反小泉派筆頭であった植草氏に対して、鷹揚に構えたまま何もしないと考える方がはるかに無理がある。これが植草事件の報道において、メディアがスルーした重要な点である。植草氏が小泉政権批判の筆頭であったという説明は、植草事件の報道から巧妙に除外されているのである。植草氏が小泉政権のマクロ政策の方向性の間違いを指摘すると同時に、今から10年も前から財務省主導による官僚利権構造の打破を積極的に訴えていたことも重要な観点である。宮沢-クリントン合意によって『年次改革要望書』が実現したのが1994年である。国益毀損政策がここから始動している。植草氏がこの辺りから、アメリカの対日経済占領に協力する官僚に睨まれていた可能性は大きい。年次改革要望書は国民の知らない間に生まれていた。

 日本がただ単に隷属的内政干渉に合意したとは考えにくい。ここには財務省の省益である官僚利権構造の温存と、国益毀損的な年次改革要望書敷設の併存という密約があったかもしれない。いくら宗主国の圧力がこの陰湿な対日要求指令書という形を取ったとしても、買弁勢力が何の利得もなしに外国資本に国富の移転を計るわけがない。アメリカは対日要求を大蔵省に飲ませる対価として、官僚利権という省益を保障したのだろう。年次改革要望書は小泉政権に至って最も先鋭的に具体化している。それが郵政民営化である。畢竟、小泉・竹中構造改革路線とは年次改革要望書を確実に具現化するための規制緩和政策であり、外国資本への国富移転政策だったのだ。植草一秀という非凡なエコノミストの洞察力は小泉政権の買弁性格を初期から見抜いていたのだ。彼は国益と国民益の強い思いから小泉政権を果敢に糾弾した。植草氏が小泉政権と熾烈に反目していたことを、メディアが事件報道からきれいに取り除いた理由はただ一つ。それは二度にわたる植草案件が、国策的な謀略で嵌められた可能性を国民に考えさせないためである。筆者は初期報道の不自然さにこの可能性を強く感じ取っていた。メディアの報道様態の不自然さと、二度の事件そのものの客観的具体性の中に、植草事件が謀略である可能性は強く湧出している。現今メディアが権力の走狗となっている事実を考えれば、メディアが植草事件の謀略に一役買っていることは充分に考えられるのだ。筆者にはその論証を行なう用意がある。

 以上の理由から、御用学者とは対極に位置する良心派エコノミストである植草氏の場合は、その言論活動に強い政治性がまとわりついていることがおわかりだろう。このような背景を有したエコノミストが巻き込まれた事件を、表層的な『スキャンダリズム』の位相だけで見ていいはずはない。今後展開していく予定であるが、植草氏に関わる二度の案件を冷静に検証すれば謀略の可能性が色濃く反映されていることがわかる。そのことを筆者は何度でも力説する。

 ここに植草氏が第一次小泉内閣の時点で、どのような政権批判を行なっていたか、その一端を披瀝する。以下は夕刊フジに載った2001年12月26日の 「『小沢一郎&植草一秀』ビック対談」から、植草氏による小泉政権批判を抜粋したものである。
          
http://www.ozawa-ichiro.jp/massmedia/2001/02.htm

植草 小泉内閣は「構造改革」という看板を掲げているが、実際は「不良債権の処理」と称する問題企業の破綻推進と、「財政再建」という名の下で緊縮財政を進めている。常識的に考えて、マクロの政策で景気を悪化させながら企業破綻を促進すれば、事態は一段と悪化するだけ。当然、株価も地価も下がり、不良債権問題は拡大していく。

植草 首相の掲げる改革の精神も問題、宗教家や哲学者、教育者ならば「なるほど」と思うが、経済政策は実学であり、専門知識に基づいた木目細かい運営が必要。ところが、経済のメカニズムを無視して理念や哲学だけで突っ走っているため、経済がどんどん悪化している。この段階での改革はある種の手術に近く、点滴や麻酔と輸血が不可欠だが、首相は患者の血を抜き、断食を強いて、力がなくなってからメスを入れている。これは改革ではなく傷害や殺人に近い。

植草 最大の構造改革は、国の政策決定における財務省の影響を排除することだが、いまや永田町は財務省に占拠された状況で、経済財政諮問会議も裏側は財務省一色。日本がいま景気が悪いのは、景気対策が効かなかったためではなく、実際は良くなりかけたときに?、逆噴射?・したことが最大の問題点なのに、財務省による情報操作でそこに人々の目が向かないように腐心している。


 小泉元首相のやり方を「傷害や殺人に近い」と言い切っている。まったくその通りであるのだが、官邸筋は植草氏のように洗脳も懐柔もできない有識者に心底手を焼いたに違いない。植草氏は、エコノミストとして、テレビで経済政策や景況分析をやらせてもぶれずに一貫したわかりやすさで説明が可能であること、また書くことも格調高い文体で抜群の説得力を持つ人物である。こういう人物が小泉政権の間違いをいち早く察知し、政権が主導する誤まった政策判断を逐次批判し、国民レベルで納得できる政策提案を出し始めた場合、批判された政権筋はどう出るのだろうか。「ハイ、ハイ、ごもっともなご意見でございます」と低姿勢で受け流すだろうか。ここで是非思い出してもらいたいのは、小泉純一郎という男が政敵に対してどのような態度を取ったかである。彼は自分の政策に反するすべての者に対して、いっさい容赦がなく、その持てる権力を行使して憤怒を暴発させている。先述したように、その典型的な事例が2005年8月8日の衆院解散にともなう9月11日の総選挙であった。党籍を剥奪した元党員たちに刺客を差し向けている。

 こういう過激な敵意を実行する官邸主導勢力が、誤まった政策を指弾した植草氏に対して、いったいどういう態度を取るだろうか。筆者は植草案件を考える上で、植草氏が小泉政権の執行した国策にとって、どういう位置にあり、どういう影響力を持っていたかを十分に認識することが必須だと考えている。彼は小泉内閣初期段階から政権中枢に進言、進講していたが、小泉元首相はそれを取り合わなかったようだ。それどころか竹中平蔵氏を筆頭とする官邸勢力は、植草氏を構造改革遂行にとって最も阻害要因になる存在と位置づけたに違いない。何しろ、経済政策では緊縮財政下における加速的な不良債権処理が逆噴射であることや、竹中氏主導の金融政策が一貫性を持たない支離滅裂さを有していることを臆することなく言い続けた。官邸が植草氏の折れないこういう姿勢にとことん脅威を感じたであろうことは容易に想像がつく。

小泉政権は構造改革を錦の御旗にした。植草氏も構造改革賛成派のエコノミストである。しかし、ここで気をつけて欲しいことがある。筆者はブログで何度も言ってきたが、『構造改革』という言葉は魔の政治用語であり、それは意味も範囲も不明確で曖昧な言葉の一つだ。言うなれば「構造改革」は使う人間によって千差万別の意味を持ちかねない危険な言葉と言えよう。冷静に考えるなら、権力筋が大衆に向かってこの『構造改革』を濫発し始めたら、それは権力者達の奸佞邪智によって、国民に真の思惑を悟らせないためのカモフラージュになっているのである。

 筆者が理解している範囲で言うなら、小泉政権が唱えた構造改革は極端な新自由主義によって外国資本を益するための無差別な規制緩和政策である。一方、植草氏が提唱する構造改革とは官僚利権構造を根絶するための小さな政府論である。両者は言葉としては構造改革とか「小さな政府」を志向していたとしても、その意味することはまったく異なっている。

(つづく)

 

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