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http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20080529/1212021548
さて、今日は、「植草一秀ブログ」http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/について触れるつもりであった。というのは、小林よしのりの、今回の、小生に対する「宣戦布告」から「撤退宣言」、そして「イタイ人」という批判・罵倒言説の中に見え隠れする「怯え」と「不安」、そして激しい「憎悪」も、ネットに疎い小林よしのりに代表される既存の活字ジャーナリズム側の、ブログやメールマガジン等に象徴されるネット社会の台頭への恐怖感と危機感から発したものだと思われるからだ。小林よしのりは、「山崎行太郎のブログを見たら……、イタイ人だと……」という「ブログを見たら……」発言を繰り返しているが、それこそが、小林よしのりがネット社会の台頭への恐怖感と危機感に過剰にとらわれていることの証拠である。それは、新聞やテレビが、絶えずネットやブログを否定的なイメージで、たとえば「出会い系サイト」や「2ちゃんねる」との関連で攻撃し、ネツトやブログが引き篭もりや少年犯罪の温床であるかのごときイメージ操作的な報道姿勢をとっていることと瓜二つである。話を「植草ブログ」に戻すと、ここ数日前から、痴漢疑惑で何回も逮捕され、テレビや新聞で不当なバッシングを受け、今や社会的に抹殺されたに等しい立場に置かれている植草一秀氏が、ようやくブログという表現形態が、発言権を奪われて、なすすべもない一般市民が、唯一頼りに出来る強力な武器になることを自覚したらしく、みずから「植草一秀ブログ」を創設し、それが、あっという間に「ブログランキング(政治)」の上位に登場し、注目を集めているわけだが、ここにも、昨今の言論の置かれているメディア状況の変化が読み取れるはずである。植草氏は、ブログと言う新しい表現形態を武器に、証拠も何もない、誰かに吹き込まれたとおぼしきガセネタ情報を一方的に垂れ流し続けたテレビや新聞、雑誌、週刊誌という既存のメディアを相手に、裁判闘争という逆襲を開始したらしい。東浩紀が『ゲーム的リアリズムの誕生』で指摘していたように、情報の「双方向性」によって成り立つ「インフォメーション・メディア」としてのネットやブログの登場によって、情報の一方通行によって成り立ってきた従来型の「コンテンツ・メディア」としてのテレビや新聞、雑誌、週刊誌という既存のメディアの限界と危機が、いよいよあらわになってきたと言うことだろう。これまで、大手マスコミの犯罪報道の「報道犯罪性」に泣き寝入りしていた被害者達が、対抗手段としてブログなどによって、もう一つの隠され、抑圧された情報を積極的に発信することが出来るようになった時点で、大手マスコミとそれに依存して生きてきた「コメテーター型文化人」の優位性と情報の独占システムは崩れたのである。植草氏は、「植草痴漢疑惑逮捕事件」に際し、植草氏に面会に行った……という明らかな「嘘情報」を流した「グッチーさん」、こと山口正洋という証券マンや、植草氏は以前に七回もの逮捕暦があるが野村證券が揉み消したとテレビで自明の真理のごとく吹聴した宮崎哲弥を初め、怪しいテレビ文化人やネット文化人等を、次々と告訴するらしいから、今後の展開が楽しみである。