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http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_f002.html
植 草 一 秀 の 『 知 ら れ ざ る 真 実 』
マスコミの伝えない政治・社会・株式の真実・真相・深層を植草一秀が斬る
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2008年5月25日 (日)
「債券・株・為替 中年金融マン ぐっちーさんの金持ちまっしぐら」について
名誉毀損行為はマスメディアだけの問題ではない。インターネット上のブログ等を通じても生じ得る問題である。
私が現在公判係争中の事件に巻き込まれ、警察署に勾留されていた時、
「債券・株・為替 中年金融マン ぐっちーさんの金持ちまっしぐら」なるブログ
http://blog.goo.ne.jp/kitanotakeshi55
が、事実無根の悪質な記事を掲載していた。
私が事件に巻き込まれたのは2006年9月13日の夜だった。9月14日午後4時25分の記事にこのような記述がある。
http://blog.goo.ne.jp/kitanotakeshi55/d/20060914
「どうしたもんでしょう??やはり病気だったんでしょうか。こちらで植草擁護論をぶちあげ、東京地方裁判所にて証人に立ったぐっちーとしてはもうマカロニ状態ですな。(みんなにやめとけ、とかいわれたけど・・・)
これから本人に会いに行ってきます。
また、こちらでご報告いたしますが、3回目はさすがにまずいだろうね。私は偽証罪を問われたりするかもしれんの(笑)。」(一部抜粋)
そして、9月15日の午前9時14分の記事に「いかにもな話」と題してこう書いている。
http://blog.goo.ne.jp/kitanotakeshi55/d/20060915
「植草君に会ってきました。
今はあまり詳しくいえないんですが、やはり彼は相当世の中を甘く見ているかもしれない。
何がいいたいかをいうとそういう一連の非合理性の証明が前回の裁判でかなり有効だった・・・・という事実に味を占めてしまった、という感じがしないでもない。つまり片手にかばん、片手にかさ、触れる訳無いじゃん、と供述したというのですよ。これは結構痛い。前回と違い証人が3人(被害者を含めて)。それも全て民間人で・・・ってなことになると嵌められた説はなかなかとれませんよね。で、警察も相当不信感を持って、問い詰めた所「酔って覚えてない」、となったという訳ですから、おい、確信犯かよ、という受け止め方になっていて簡単には離してくれそうにない・・・・というのが現状です。
彼の復帰にほんとに粉骨砕身した人々がたくさんいるんですよ。それをどう受け止めるか、今後の人生に全てをかけて欲しいですね。私はもう長いつきあいなので、まあ、仕方ないですけどね(笑)。最後までお付き合いしましょう、ってな感じでどっぷり疲れて帰って来た、という話。人を信じるってのもパワーがいるんですよ、時に。私の修行だと思ってがんばりますわ・・・」(一部抜粋)
この2つの記事以前、2005年3月23日にも記事を掲載している。
http://blog.goo.ne.jp/kitanotakeshi55/e/c18d2801ccc64ba38a07c274ba774911
「私は彼とは数年間酒を飲んだり、カラオケにいったり、キャバクラにもいったし、ずいぶん仲良くしていました。結構楽しい時間を過ごしたもんです。」(一部抜粋)
このブログの筆者は、現在の所属は知らないが、かつてはABNアムロ証券に勤務していたY・M氏だ。今回の記事ではとりあえず実名を伏せておく。拙著『知られざる真実−勾留地にて−』にも記述したが、恩師として、多方面にわたって指導賜っていた方が、飲食店を経営されていた時期があり、よくその店を訪ねていた。Y・M氏もその店に来ていた結果、何度か話をしたことがあった。恩師の誘いで1度か2度、お酒を飲みに行ったことがあったが、それだけの関係だった。
Y・M氏は私が事件に巻き込まれた9月13日直後の2日間に、上記の捏造記事を掲載した。
2004年の事件に関して、Y・M氏が擁護論をぶちあげたことを私はまったく聞いていないし、東京地方裁判所にて証人に立ったという事実も存在しない。
私が2004年の事件に巻き込まれて以降、このY・M氏と連絡を取ったことは皆無である。もともと親しい付き合いをしていないのだから当然ではあるが。
したがって、2006年9月14日にも当然私はY・M氏と面会していない。その後も、一度も会うことは無論、直接連絡を取ったことも一度もない。
いま、考えると、Y・M氏の活動も、事件発生直後の一連の印象操作の一環であったのかも知れない。長期勾留後に保釈されたのち、Y・M氏のブログが事件発生直後にネット上で大きな影響力を発揮したことを知った。Y・M氏のブログには多くの書き込みがいまも残されている。
筆者は刑事、民事の弁護団と協議し、Y・M氏に対して、ブログにおける虚偽記載の消去と今後、虚偽情報を記載しない確約を求める内容証明郵便を送付した。刑事担当弁護人はY・M氏と面識のある方で、弁護人が電話をいれたところ、電話口ではY・M氏は明確に謝罪したとのことである。
また、多数の週刊誌が私と面識のある人物の証言として、やはり事実無根のコメントを掲載したが、これらのコメントの多数がやはりY・M氏の虚偽の証言によるものと推察されている。
当方は、Y・M氏に誠意ある対応を求めているが、謝罪もなく、ブログ掲載記事は現在も放置されたままである。
このような行為が人権をいかに深く侵害するかを冷静に考えていただきたい。ネット上の情報には極めて有益なものが存在するが、匿名性の高いネット上の情報は取り扱いを一歩誤れば、重大な人権侵害をもたらすことを忘れてならない。
Y・M氏も自身のブログ上で誇らしげに紹介しているが、
http://blog.goo.ne.jp/kitanotakeshi55/d/20080507
5月5日の産経ニュースに以下の記事が掲載された。
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080505/plc0805051606004-n1.htm
タイトルは『政界混迷で注目浴びる「ネット政談」 人気ブロガー「やってられないわ」断筆宣言』というもので、驚くことにY・M氏も「人気ブロガー」の一人として紹介されているのである。
しかし、この記事が高く評価しているその内容は、例えば日銀人事について、
「その「是非」を考察してきた雪斎氏は、民主党の日銀総裁・副総裁人事をめぐる対応について「次から次から『別の理由』を持ち出しては、不同意にしている」と喝破し、第二次世界大戦中の日本軍がガダルカナル作戦やインパール作戦で「兵力の逐次投入」の愚行を犯したことになぞらえて「不同意理由の逐次投入」と指摘していた。
ぐっちーさんも、「政治のためには中央銀行および世界経済が犠牲になってもしかたない、というのが民主党の考え方だということだけはよくわかった」と、代案を示さない民主党を厳しく批判している。
かんべえさんは、ねじれ現象の下での国会の混乱について「『民主主義のコストだ』『二大政党制への生みの苦しみだ』などという人もいますけど、正直、あほらしくてついていけませんな」。突き放した言い方だが、国民の多数は同様の見方をしているのではないか。」
と紹介しているのだ。この産経ニュースは、
「ネット上で展開されるあまたの政治談議のなかでも、人気サイト、人気ブロガーたちの視点は、政治報道に携わる者にとって気になるものだ。啓蒙(けいもう)を受けることも少なくない。
あえて「ライバル」たちの存在をお知らせした格好だが、彼らもまた熱心な新聞の読者であることをお忘れなく。」
という文章で締めくくっている。
日銀総裁人事について、筆者は下記のコラムを含めて、これまで多くのコメントを発してきた。
http://www.uekusa-tri.co.jp/column/2008/0307.html
http://www.uekusa-tri.co.jp/column/2008/0318.html
http://www.uekusa-tri.co.jp/column/2008/0408.html
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_634a.html
財務省の天下り利権の取り扱いは、日本の真の構造改革を考察するうえで、最重要のテーマである。拙著『知られざる真実−勾留地にて−』でも、この問題を重要視して言及した(P35−39)。
筆者は、自分の考えを唯一絶対と考えていないから、多数の異なる見解、主張があることを当然と思う。しかし、上記したブログの記述内容を見る限り、単に現政権である自民・公明政権の主張を代弁しているようにしか見えない
Y・M氏のブログの特性を考えたとき、同氏のブログが、事実無根の内容を捏造までして、私に対する負のイメージを強烈に作り出そうとしたことの政治的背景を考察せざるを得ない。
私が現在、民事の名誉毀損損害賠償請求訴訟を提起している対象は、いずれも事実無根の捏造記事やそれらを事実と断定して放送したテレビ番組である。テレビ番組に出演する特定のタレントや言論人が一斉に事実無根の虚偽のコメントや事件に関連した虚偽の情報についての断定的な肯定表現を繰り返したこと、また、各種メディアが一斉に虚偽情報を氾濫させ、私に対する負のイメージを植え付ける、「イメージ操作」を大掛かりに展開したこと、そしてそれらの虚偽情報の発生源として、権力機構の姿が見え隠れすることを、重ね合わせて考える必要があると考えている。
権力の不正を指摘することは危険を伴うのかも知れない。しかし、私はいかなる弾圧が加えられようとも、ペンを折ることをしない。「真実と愛は必ず勝利する」の言葉を深く胸に刻んでいる。