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【山口・周防大島発】衆院山口2区補選 「大往生の島」保守地盤の崩壊
田中龍作2008/04/17山口2区の中でも高齢化率の高い周防大島町。漁港と道路の整備が欠かせなかった島は、今では外周道路が整い快適に暮らせるようになっている。暮らしを直撃する後期高齢者医療制度がスタートした直後の選挙で、お年寄りはどんな判断を下すのか、島を訪ねた。 柳井―周防大島―松山を結ぶフェリー(大島で筆者撮影) 山口県柳井市のすぐ目の前に浮かぶ周防大島。「大島大橋」(全長1,020m)を渡れば、対岸の柳井市から車で10分とかからない。柳井市の隣にある田布施町出身の佐藤栄作氏が首相在任中(1964〜72年)に建設計画を策定した橋だ。
島を貫く「国道437号線」も佐藤氏が「持ってきた」道路である。「畑に行くのに道があったら楽なんじゃが……」と佐藤氏に陳情すると2年後には道ができた、という。「栄作先生は大島を可愛いがってくれた」と懐かしむ島民は少なくない。
金魚のような形をした周防大島の東端にある旧東和町は、2004年に町村合併するまでは、高齢化率日本一の町だった。2000年の国勢調査では町の全人口の50.02%を65歳以上の老人が占めた。2人に1人が高齢者ということになる。合併後も大島全体の高齢化率は44%と全国平均を大きく上回る。
ノンフィクション作家の佐野真一さんは、合併前の東和町を取材し「大往生の島」という作品にまとめた。屈託なく生きる爺ちゃんや婆ちゃんの姿が活写されている。
衆院補選山口2区の告示日にあたる15日から「後期高齢者医療制度」の天引きが始まった。島のお年寄りにとってこの制度はどのように受け止められているのだろうか。旧東和町のフェリー乗り場で間もなく80歳になるという女性に尋ねた。「ありゃ(あれは)、年寄りに死ねっちゅう制度よ」。老女は吐き捨てるように言った。
会場のほとんどは高齢者だった(JA大島久賀支所) 周防大島の“繁華街”である久賀地区で16日、山本繁太郎候補(自民公認、公明推薦)の個人演説会が開かれた。自民党にあっては人気の高い、麻生太郎前幹事長が応援弁士に立つとあって大勢の島民が集まり、会場は通路まで聴衆で溢れた。
「迷惑な高齢者は永田町にもたくさんいる。(中略)高齢者が働けるような産業を(島に)誘致できるのは、山本さんだ」。麻生前幹事長は得意の漫談調で会場を沸かせた。「後期高齢者医療制度」への批判を上手に交わす話術だ。
山本候補は「日本は今、国難に直面している。乗り切るには地域の活性化が一番大事。国の政策としてやらなきゃならん」と訴えた。
会場を訪れた有権者に聞いた。60代後半の女性は「麻生さん目当てで来た。(会場の)ほとんどはそうだと思うよ」と話す。「(選挙は)山本さんに入れるんですか?」と筆者が聞くと、それには答えずに「一度政権交代があった方がいい」と小さな声で言った。
69歳という女性は「夫の年金が『後期高齢者医療制度』による天引きで3万数千円(2カ月分)も減った」と憤る。「じゃあ今度の選挙は自民党には入れないの?」と聞くと、女性は「ここに住んでいるからはね……」とため息まじりに答えるのだった。
地元の事情通は「(会場を訪れた人は)皆、農協と建設業者の息のかかった人でしたね」と“解説”してくれた。動員されてきた人達からでさえ政府与党に対して上記のような不満が出るのだ。
半農半漁の島で、漁港と道路は欠かせなかった。だが、今では島の外周道路は結構快適に走れる広さだ。漁港も集落ごとに必ずと言ってよいほどある。島民の死活に関わる道路も港もほぼ揃ったのだ。政権与党の政治家といえども、かつてのような神様ではなくなった。
それに加えて周防大島では「漁協の合併が自民党への不満につながった」と元漁民は話す。財政事情の悪いところと合併させられる漁協はたまったものではない。そこをケアしたのが民主党の平岡秀夫氏だった。旧東和町のある港で話を聞いた50代の漁師は「ここらは平岡さんじゃよ」と言って憚らない。
かつて島嶼部は農村と並ぶ自民党の金城湯池だった。「●●島で野党に堂々と投票できるのは学校の先生と郵便局員だけ(先生は日教組、郵便局員は全逓)」。これは「55年体制」が崩壊するまでまことしやかに言われていた話だ。島では、野党に投票する有権者はごく限られているということを誇張しているのである。
周防大島でも、つい10年前までは野党のノボリなど立つことなどなかった、という。ところが今では民主党の選挙事務所まで幹線道路沿いに堂々と建っている。
小泉旋風が吹き荒れた前回2005年の衆院選挙で、平岡氏は周防大島で5,632票を獲得し自民党候補に2,500票差に詰め寄った。
「(平岡候補は)今度はもっと詰めるんじゃないか?」「五分五分かもしれんよ」。島民たちは口々に語る。少なくともかつてのような「自民圧勝」を唱える島民はいなかった。
漁協の合併をめぐる特殊事情などがあるとはいえ、厚い保守地盤が崩壊し始めていることを周防大島で感じるのだった。