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検証・大島農相辞任/予算と引き換え、暗黙了解
大島理森農相が三十一日、元秘書二人の金銭授受をめぐる疑惑の責任を取り辞任した。疑惑発覚から五カ月半、国会で集中砲火を浴びながら「職務に全力を尽くすのが私の生きざま」と、辞任要求を突っぱねてきた農相が突然、心変わりしたのはなぜか。小泉純一郎首相が慰留を断念した理由は。農相辞任の背景を追った。
▽悲しい事件
「深く悲しい出来事が、ある意味で一つのきっかけだったと言えるかもしれない」
三十一日午後の辞任会見。農相は辞任を決意した理由を問われ、意味深長な言葉を漏らした。悲しい出来事−。農相はそれ以上言及しなかったが、事情通の自民党議員は「元秘書の親族が直前に亡くなっている。それが決定打だったのではないか」と指摘する。
大島氏の地元、青森県八戸市の市民病院建設に絡み口利きをした疑惑を持たれている元秘書の妻が二十九日に、東京・世田谷の自宅で自殺したとされる一件だ。不幸が起きたのは自分が職にとどまったせいではないか。その自責の念が農相の背中を押したとの見方だ。
実際、つい最近まで農相は意気軒高だった。衆参両院の予算委員会で連日、野党の厳しい追及を受けていた間も「とにかくこのまま頑張る。予算案が衆院通過すれば下火になる。成立すればさらに小さくなる」と、強気の姿勢を周囲に披露していた。三十一日の日程表にも、農相は結果的にキャンセルすることになる公務をびっしり書き込んでいた。
▽あうんの合意
もっとも、農相の個人的な思いとは別に、与野党の幹部間では、この時期の農相辞任は織り込み済みだった節がある。
「参院の予算審議がストップした時点で(農相辞任の)話はできていた」と言い切るのは、青木幹雄参院幹事長に近い自民党参院議員。
野党四党は三月十一日、午前中の参院予算委の「政治とカネ」をめぐる集中審議での農相答弁を不服として、辞任要求を突き付け、午後からの審議をボイコットした。空転すること二日間。自民党執行部は十三日、株価急落など「三月危機」の様相を呈する経済情勢に配慮し、大胆な「参考人カード」を切った。
中川秀直国対委員長が青木氏と鳩首(きゅうしゅ)協議の末、野党側に投げた合意案には(1)二○○三年度予算成立直後の参考人招致実施(2)政治とカネの問題は引き続き課題の解決に努力する−などが明記された。
あいまいな表現に見えるが、民主党の輿石東参院国対委員長は記者会見で「『課題の解決』とは農相辞任、『参考人』は元秘書だと受け止めている」と自信たっぷりに解説した。元秘書招致は、農相が一貫して拒否してきた「最後の一線」。招致を避けるため、農相は辞任の道を選ぶはず−との見立てだった。
▽最初は慰留
「辞める必要はない」と、一貫して農相を擁護してきた小泉首相も、この時期を境に微妙にスタンスを変え始める。
それを物語るのは首相に近い森派幹部の発言の変化だ。野党が審議拒否に入った十一日夜、幹部の一人は「大島はとっくに辞める腹を決めている。誰が好んであんな追及を受け続けるか」と記者団に強調。別の幹部も十七日、「これまで大島さんを守ってきたが、(最後は)大臣自らが判断せざるを得ない」と突き放した物言いに転じた。「予算のためにはやむを得ない」との首相の判断が背景にあったのは確か。
実は疑惑発覚直後の昨年十月十七日、農相は官邸に小泉首相を訪ね、辞意を伝えている。国対委員長経験者として、自分の問題で国会運営に支障をきたす事態は避けたいとの判断だったが、首相は強く慰留。最後は農相が「身柄を預けます」と折れた経緯がある。
元秘書が地元のビルオーナーから現金六百万円を受け取っていた疑惑が指摘された際も、首相は飯島勲秘書官を通じて「微動だにするな」とエールを送った。
しかし、その首相は三十一日昼の与党参院幹部との会食の席で、「後任を含めてさっさと片付けてほしい」という草川昭三・公明党参院議員会長の言葉に黙ってうなずいた。