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隠された証言―日航123便墜落事故―
序章 内部告発者──3度目の接触
特急「踊り子」の窓外に広がる海は、初夏の陽射しに柔らかくけぶっている。定刻通り、12時56分にホームを滑り出た列車から見える景色は、いつもと同じはずなのにどこか違う。
伊東から小田原までの約45分間、私はこれから会う男のことを考えていた。幸い車内は午後早いせいもあって、乗客もまばらで静かだった。
内部告発。その男は、1985年8月12日に起きた「日航123便墜落事故」に関わった旧運輸省(現国土交通省)の官僚で、事故調査に関する内部資料を私に提供してくれていた。彼は、内部告発者だった。
2003年5月18日、私はこの内部告発者と3度目の接触をすることになっていた。3年間でたったの3回。二人とも接触は極力避けてきた。ほとんどが電話のやりとりだった。やがて、小田原の見慣れた町並みが視界に入ってくると、私は自分が緊張していることに、はっきりと気付いた。
約束の2時にはまだ15分ある。待ち合わせの喫茶店は、東口のロータリーからすぐだった。のんびり歩いても5分で着くだろうが、足が勝手に急いでいた。
席にすわり、コーヒーを前にして「どう切り出したものか」思案しているうちに、彼が店に入ってきた。ゆっくりこちらへ近づいて来る姿は、久しぶりだが変わりなかった。
「お元気でしたか」
「まあ、私はなんとか。藤田さんのほうは、相変わらずお忙しいでしょうね。例のMD‐11事故の裁判もあるし」
私は頷いて、名古屋で行なわれている公判のあらましを説明した。話しながら、私は目の前にすわっている大柄な男をゆっくり眺めた。
ネイビーブルーのスーツに無地のワイシャツ、小紋の黒いネクタイが、いかにも堅実な役人を感じさせる。パイロットだった私が、最後にスーツを着たのは何時だったか。よく思い出せなかった。
「田中(仮名)さん、相談というのは、例のファイルのことです。昨日の電話でも話しましたが、あのファイルを公表したい。もちろん、あなたに迷惑がかからないように」
田中は運ばれてきたコーヒーを一瞥してから、ゆっくり椅子にすわりなおした。昨夜、自宅に電話したときには、すぐそばに奥さんがいたようで、はっきりとした返事は聞き出せなかった。奥さんは、田中が、この件にいつまでも首を突っ込んでいることを危惧しているという。家族の立場からすると、それも当然だろう。
田中は、しばらく動かなかった。
「私が内部告発者だと特定されないように?」
最初、役所を辞職する覚悟さえあった頃は怖いものなしだったこの男にも、家庭がある。途中はずいぶん迷っていた。だが、なんとしても田中の許可を得ておきたかった。
「ええ」
思わず高くなった私の声に、ニヤリと田中が笑いを浮かべた。
「わかりました。私は、藤田さんがあのファイルをどう使われようと止めたりしません。そのために、渡したんですから」
「ありがとう。でも、ほんとうに大丈夫かな。あなた、役所のなかで目を付けられていると言ってたでしょ」
「マークされてたことは、事実です。でも、だからといって首にはできない。せいぜい嫌がらせくらいなもんです。それより、あのファイルにはそんなに重要な新事実がありましたか?」
「もちろん。生存者の落合由美さんが救出後、数時間も経たない時点で話を訊かれています。まずそのこと自体、驚きです。しかもその中ではっきり急減圧はなかったと証言しているんですよ。もっと重大な話も含まれています。アメリカの調査官・サイドレンが、8月27日に落合さんに会っていますが、そのときの証言です」
「事故調査委員会は、急減圧がなかったことを事故の直後、どんなに遅くとも8月27日の段階で知っていた?」
「そう。知っていた。証言しているのはプロの客室乗務員ですよ」
「それを無視した」
「闇に葬ったわけです」
「アメリカのNTSB(国家運輸安全委員会)も、当然知っていた?」
「当然、知っていた」
「驚いたな。そうして、ボーイング社の名前には傷がつかなかった。じゃあ、後部圧力隔壁の破壊で噴出した高圧空気によって垂直尾翼がパンクして吹っ飛んだという事故調の結論は、やはり成立しないことになる」
「そう。私が18年間、言い続けてきたことの確証が、公式の証言記録として、あのファイルにはあったわけです」
「その事実を突き付けられて、国はどう反応するだろう?」
「それは、田中さん、あなたの方がよくお解りでしょう」
「そうか。反応しない、無視だ。だんまりを決め込む。けれど、藤田さん、ICAO(イカオ=国際民間航空条約機構)には条約があるでしょう。航空法もそれに準拠すると定めてあるし」
「新事実が明らかになった場合、すみやかに再調査をしなければならない。しかし、国土交通省はこれも頬被りするでしょう」
「強制力がない」
「そう。強制力がない。放って置けば国民は誰も気付かない。しかし、ひとつだけ彼らの恐れているものがあります。世論です。ここに訴えることが、再調査への唯一の道です」
1時間ほどして、私たちは席を立ち、小田原駅へゆっくり歩いた。
「もう、あの夏から18年が経つ。昨日のことのように記憶に焼き付いてますが。それにしても、御巣鷹山の現場は惨いものでした。もし、自分があの事故で肉親を奪われた遺族だったら……」
別れ際、田中がふと洩らした言葉は、123便事故に関わった誰もが抱く思いだった。
もしも、あの飛行機に乗っていたら。もしも、あの事故の遺族だったら。
この内部告発者が、飛行機が好きでたまらず、管制官になりたくて運輸省に入ったことに、私は心から感謝していた。もし、彼のような男がいてくれなかったとしたら。そう考えただけでよけい気が滅入ってしまう。立派な体躯に比べて、気が弱く慎重な彼の決意に、私はどうあっても応えなければならないのだ。
http://www.shinchosha.co.jp/books/html/129351.html