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日銀総裁問題 天下り慣行を見直せ
2008年3月20日
日銀総裁問題の混迷は、財務省事務次官が重要ポストに天下りする慣行を見直す絶好の機会でもある。総裁は空席になったが、金融市場は幸い冷静だ。首相は頭を冷やして原点から考え直すべきだ。
懸念された空席の事態が現実になった。残念ではあるが、成果もある。もしも、民主党はじめ野党が参院で多数を握っていなかったら、すんなり武藤敏郎新総裁が実現していただろう。国会の公開議論は盛り上がらず、財務省と日銀の関係についても、これほど注目を集めなかったに違いない。
与野党が意見を異にした核心部分は「財務省の事務方トップが安易に日銀総裁に天下っていいのか」という点だった。ねじれ国会は議論と選考経過を透明にして、日銀総裁問題を機に、あらためて天下りの問題点をも浮き彫りにしている。
旧大蔵省時代から財務省は、これまで多くの事務次官経験者を政府系金融機関などのトップに送り込んできた。少数の例外を除いて、そのほとんどが予算編成を扱う主計局か主税局から事務次官に上り詰めた国内主流派で占められている。中でも日銀総裁は最高のポストだった。
だが、一連の政策金融改革で四つの政府系金融機関は十月から日本政策金融公庫に統合される。加えて、福田康夫政権は公務員制度改革で官民人材交流センターや内閣人事庁を設ける方針であるなど、天下りをめぐる環境は厳しくなる一方だ。
そんな背景を考えれば、福田政権を支える財務省が舞台裏で次官経験者の総裁ポスト死守に執念を燃やしたのも容易に推察できる。
だが「国内主流派の次官を日銀総裁に」というのは、あまりに時代の流れに鈍感な理屈ではなかったか。世界経済はグローバル化が進み、いまや金融の仕事に国境はない。金融政策も政府・日銀が金利水準を決めた時代から自由化が進み、内外市場との対話が不可欠になった。
総裁には予算配分のような内向きの調整能力よりも、専門的な経済と金融の知識、海外要人と渡り合えるコミュニケーション能力が求められる。そうした人材は、財務省ならば国際金融畑に人材が多いはずだ。
「財務省出身だからだめ」なのではなく、最適とは思えないのに「次官だから総裁に」という慣行に固執する態度が時代にそぐわないのだ。
世界経済は歴史的な景気後退局面に突入し、新総裁には即戦力の人材が必要だ。福田首相は旧来の考え方にとらわれることなく、ここですっぱりと仕切り直して、日本経済に最適な人選を急がねばならない。