時代錯誤の「偉大な米国」賛美 一月二十日、バラク・オバマが大統領に就任し、オバマ政権が出発した。八年間に及ぶ悪夢そのもののブッシュ政権が去ったことに全世界の多くの人々が少しの安堵を得ただろう。その結果として、初めてのアフリカ系米国人大統領であるオバマに対する期待と好感度が米国内でも国際的にも非常に高いことが報じられている。 われわれも、ブッシュ=ネオコン政治からの解放をオバマに託した米国の多数の労働者や地域・草の根の活動家たちと希望を共有し、米国支配階級の歴史的危機の中で生まれた可能性の空間を最大限に活用するべきだろう。 しかし、そのことはオバマ政権の基本的性格や、オバマ政権のいくつかの政策の反動的性格を不問にすることを意味しない。本稿では、オバマ大統領の就任演説と就任前後のいくつかの動きをもとに、オバマ政権の政策の矛盾と、オバマ政権の下での労働運動や反戦運動、社会運動の側からの新しいイニシアチブの可能性について問題提起する。 階級対立覆い 隠す就任演説 オバマの就任演説は、米国が直面している重大な危機の中で、建国以来の伝統に立ち返り、信念を持って立ち向かっていこうというメッセージを基調としている。 この就任演説の第一の特徴は、「対立・不和を超えて団結しよう」という呼びかけである。 オバマは、米国が直面している危機の深さについて次のように述べている。 「……われわれの経済もひどく弱体化した。それは一部の者の強欲と無責任の結果であるだけでなく、困難な選択を行い、国を新しい世代のために準備するということに対する私たちの集団としての失敗の結果でもある」。 その上で、アメリカの衰退は避けられないという悲観論を否定して次のように述べている。 「われわれがここに集まったのは、恐れではなく希望を、対立・不和ではなく目的の下の団結を選択したからだ。 われわれは、あまりにも長きにわたってわれわれの政策を窒息させてきた小さな不満や口先だけの約束、相互非難や擦り切れた教条に終わりを告げることを宣言するためにここにやってきた」 ここでは、大統領選挙での最大の争点だった八年間にわたるブッシュ政権の下での破滅的政策とその結果に対する評価が不問にされている。あたかも「一部の者の強欲と無責任」を可能にしたのが政府(および民主党が多数を占める議会)の政策や新自由主義ではなかったかのような言い方である。 また、金融資本や経営者の救済か、人々の雇用と生活の擁護かが問われていることについても、他の箇所で間接的に言及されているだけである。 昨年の大統領選挙でオバマを押し上げたのは、「ウォールストリートの救済ではなくメインストリートの救済を」という圧倒的多数の労働者・市民の叫びだった。ここには階級の利害の対立が鮮明に表現されており、階級闘争の復活の確かな予兆が示されている。 「対立を超えて団結」というオバマの呼びかけは、階級対立の隠蔽を望む資本家たちの意向を強く反映している。 ブッシュの「対テロ」戦継承 オバマの就任演説の第二の特徴は、ブッシュの好戦的な反テロ戦争の思考方法をそのまま継承している点である。 「私たちの国家は、暴力と憎悪の広範なネットワークに対する戦争の只中にある」。 「私たちは私たちの生き方について謝るつもりはないし、私たちの防衛を放棄するつもりはない。テロを起こし、罪のない人たちを殺戮することによって自分たちの目的を推し進めようとする者たちに対してはこう言おう。私たちの精神はより強固であり、打ち砕くことはできない。お前たちは私たちに勝てないし、私たちはお前たちを打ち負かすだろう」。 「イスラム世界に対して、私たちは相互の利益と相互の尊重を基本とする新しい前進の道を求める。世界の中で、紛争の種をまいたり、自分たちの社会の問題を西側のせいにする指導者たちにはこう言おう。あなた方の人民は、あなた方が何を壊すかではなく何を建設できるかによってあなた方を判断する。腐敗と不正と異論の圧殺によって権力にしがみつく者たちにはこう言おう。お前たちは歴史の道を誤っていることを知るべきだ。しかしお前たちが拳をほどくなら、私たちは手を差し伸べよう」。 この部分だけを取り出せば、ブッシュの演説と区別できないほど独善的で傲慢である。 さらに、演説の冒頭部分で「われわれの国家の偉大さ」を想起する脈絡の中で、次のように述べている。 「彼ら・彼女らは私たちのために、過酷な労働に耐え西部に定住した。鞭打ちに耐え、硬い地面を耕した。 彼ら・彼女らは私たちのために、コンコードやゲチスバーグやノルマンジーやケサンなどの地で闘い、死んだ。 何度も何度もこのような男女が苦闘し、犠牲を払い、手に痛むまで働いた。私たちがより良い生活ができるようにするためである」。 西部「開拓」=侵略の歴史も、第二次大戦も、ベトナム侵略戦争も、すべて偉大なアメリカのための長く困難な旅として美化されている。 オバマ政権はこのように、「アメリカ原理主義」とでも呼ぶべき時代錯誤的、宗教的な結集軸を提示することによって国民の宥和を図ろうとしているのである。 ここにはブッシュ政権の下でのアフガン、イラク戦争の失敗、米兵の犠牲の増大、国際的孤立の中での金融・経済危機が米国の威信低下と国内世論の分裂を深刻化させていることへの危機感が反映されている。 しかし、アフガン、イラク戦争の失敗が明らかとなっている今、新政権が行うべきことはアフガン、イラクからの即時撤退と、ブッシュ政権の戦争犯罪の追及、戦死者・帰還兵への補償であり、ブッシュ=ネオコン勢力による「反テロ戦争」戦略からの決別である。 オバマの就任演説の第三の特徴は、偉大なアメリカを再建するという脈絡の中で、新しい雇用の創出と新しい成長の基盤を確立するための経済政策を迅速に実施する必要性を強調し、金融市場の規制についても言及していることである。これは、非常におずおずとした言い方ではあるが、新自由主義的政策の部分的な修正を含む大胆な政策を示唆している。 オバマはすでに、就任前の一月八日に総額八千億ドルの緊急景気対策を発表し、二年間で三百万人の雇用を創出するという目標を掲げた。 しかし、そのためには軍事費の徹底的な削減と企業・資本家・富裕層への重課税が不可欠であり、財政赤字を国債で埋め合わせるというやり方はもはや持続不可能になっている。 オバマは就任演説の結語の部分で次のように述べている。 「政府ができること、政府がしなければならないことについて言えば、この国は究極的にはアメリカの人民の信念と決意に依存している。堤防が決壊したときに見知らぬ人を招き入れるやさしさや、友人が仕事を失うのを見過ごすよりも自分の労働時間を削ろうとする労働者の私心のなさによってこそ、私たちはもっとも暗い時期を乗り切ることができる。煙が充満した階段を駆け上がる消防士の勇気や、子供を育てようとする親の決意こそが最後には私たちの運命を決定するのだ」。 問われているのは、オバマがこの「やさしさ」、「私心のなさ」、「勇気」、「決意」を誰に求めるのかである。 ガザ侵攻への沈黙・容認 オバマは就任演説で、パレスチナ問題、とりわけイスラエルによるガザ攻撃・包囲とヨルダン川西岸地域の隔離壁の問題について全く言及しなかった。しかし、オバマは従来から「イスラエルの自衛権」を擁護する立場からイスラエルのガザ侵攻を容認してきた。クリントン国務長官は親イスラエルの立場で知られている。イスラエル政府は、オバマの就任直前というタイミングで「一方的停戦」を発表したが、一月二十七日以降、散発的に空爆を繰り返している。オバマが大統領就任後もイスラエルの攻撃に沈黙していることを、イスラエル政府は新たな攻撃へのゴーサインとして受け取っているだろう。パレスチナをめぐっては極めて危険な状況が続いている。 また、オバマの大統領就任から三日後の一月二十三日に、パキスタン北部の集落に米軍の無人機によるミサイル攻撃が行われ、子ども三人を含む十五人が死亡した。 こうしてオバマ政権はその出発の時点で、ブッシュ政権と同じ道を自ら歩み始めた。 オバマは就任演説の中で、イラクからの撤退とアフガンの平和の確立、核の脅威の軽減、地球温暖化の抑制のための努力を約束している。 イラクとアフガンに対する政策は、基本的にはブッシュ政権の第二期においてゲーツ国防長官(オバマ政権でも留任)の下で進められてきた大量増派による治安回復を前提とした撤退戦略に基づいている。イラクにおいては、「十六カ月以内の撤退」という既定方針を前提に、経済権益と軍事的影響力をどの程度残せるのかをめぐってマリキ政権やシーア派政治勢力との駆け引きが展開されている。イラク国内の各政治勢力も米軍撤退後に向けた戦略を模索しつつある。 一方、アフガンにおいて、大量増派による治安回復という戦略が成功する可能性はほとんどない。カルザイ政権自身が、首都を除くほとんどの地域で実効支配を拡大していると言われるタリバンとの話し合い抜きに政権を維持できないと理解しはじめている。アフガンでの戦闘はパキスタン領内にも拡大しつつあり、米軍の増派はこの危険をさらに増幅する。 八千億ドルの経済対策 オバマ政権は国内・経済政策においても非常に困難な出発となった。 昨年九月のリーマン・ブラザーズの破綻によって一挙に顕在化した金融危機は、ますます深刻化している。十月と十一月に合計四百五十億ドルの公的資金投入を受けたシティー・グループが十〜十二月期にも約八十三億ドルの純損失を計上し、バンクオブアメリカも昨年十月に続いて一月に二百億ドルの公的資金の追加投入を受けた。実体経済の危機が深刻する中で、金融危機が第二段階に入ったと言われている。 失業者数は過去最大の四百七十八万人に達し、連日数千人あるいは一〜二万人規模のリストラが発表されている。当然にも国内消費はますます落ち込み、自動車産業はGM、フォード、クライスラーが三月までに追加の資金投入がなければ経営破綻に陥ると予想されている。 オバマは就任前の一月八日に緊急景気対策を発表し、二年間で三百万人の雇用を創出するという目標を示した。これは保健医療、エネルギー、教育への投資、中間層と法人向けの所得減税、財政難に陥った各州の支援、インフラ整備等を内容としており、約八千億ドル規模となる。この対策を実施するための景気対策法案は一月二十八日に下院で可決された。共和党は大幅な財政支出に反対し、減税中心の景気浮揚策を主張し、修正動議を提出したが否決された。 緊急景気対策の具体的な内容としては、風力、太陽光などの代替エネルギーの生産力を三年間で二倍に増やす計画のための新たな送電線網の敷設、連邦政府の建物のエネルギー効率の改善(年間20億ドルの税金を節約)、家屋の断熱処理、医療カルテなどの医療情報の電子化、低所得者向け公的医療の拡充、学校・図書館の補修・近代化、道路補修、高速インターネットのブロードバンド施設の拡充、主要港湾施設の整備等が示されている。 これらの投資の中には、必要かつ雇用創出に有益なものも含まれているが、医療情報の電子化やブロードバンド施設の拡充など、雇用の創出に結び付くとは考えられないプログラムまでドサクサ紛れに組み込まれている。今後、この八千億ドル規模の支出をめぐって、業界の利権目当てのロビー活動が活発に行われるだろう。 ブッシュ政権の下で昨年以来すでに銀行救済等のために三千五百億ドルの公的資金が投入されているにもかかわらず、危機の抑制に何の役にも立っていない。それは生産的な融資には活用されず、大部分が負債の穴埋めや企業買収・リストラ、さらには経営者の報酬のために霧散してしまったのである。 雇用対策のためにもっと緊急の問題は、解雇の規制、失業者、とりわけ貧困層、女性、マイノリティーの保護のための強力な措置であり、それは労働組合の権利や地域における公共サービス等での雇用創出である。投機の規制や役員報酬の制限等も当然のことである。要するに一九八〇年代以来、歴代の共和党および民主党政権の下で進められてきた新自由主義政策と労働組合活動への抑圧をやめることである。そのことを抜きにした「対立ではなく団結」は、労働者の側に一方的な妥協を強いることにほかならない。 米国一極支配は終焉する オバマはルーズベルトのニューディール政策に模して、偉大なアメリカの復活のための意欲的なプランを打ち上げているが、すでに述べてきたように、ブッシュ=ネオコン政治からの決別なしにはいかなる改革も実現は困難である。 この点で、就任直後に発表したグアンタナモ収容所の閉鎖や、ブッシュ政権の下で導入された中絶支援の国際団体への資金援助の規制の解除は不十分ながら重要な一歩である。国連への積極的関与を表明したことも、外交政策の修正の一歩となるかも知れない。しかし、イラン政府との話し合いについては具体的な言及をしておらず、パレスチナで民主的選挙で勝利したハマスに対しては話し合いの相手として認めてさえいない。 しかし、ブッシュ=ネオコン勢力が進めてきた反テロ戦争と新自由主義政策を継続することは不可能であり、そのような政策と決別しない限り米国の国際的影響力はますます後退する。実際、新自由主義の総本山と呼ばれてきたダボス会議(世界経済会議)の今年の年次総会が一月二十八日から開催されているが、英国の金融大手のCEOが「ウォール街の参加者は本当に少ない。大事な仕事がたくさんあるんだろう」と皮肉るほど米国の影響力は失われている。 ダボス会議で温家宝・中国首相は「危機の原因は、低貯蓄で過剰消費という持続不可能な成長モデルと劣悪なマクロ政策」と米国を暗に批判。プーチン・ロシア首相も「(米国主導の)金融システムは失敗だった」と述べるなど「米国主犯説」も展開された(「毎日」1月30日付)。 ダボス会議に対抗して開催されている世界社会フォーラムは、今年はブラジルのアマゾン地域のベレンで開催されており、初日のデモには十万人が参加した。ブラジルのルラ大統領はダボス会議に出席せず、ベネズエラ、ボリビア、エクアドル、パラグアイ、チリの首脳と共に世界社会フォーラムに出席した。これは南米の多くの諸国が米国主導の新自由主義を明確に拒否して、南米地域の経済的統合に向けて大きく踏み出したことを示している。とくに画期的な新憲法を制定したエクアドルとボリビアの政府と民衆は、新自由主義の拒否、先住民の権利、複数主義と参加型民主主義、環境の保全に向けて大きな挑戦を開始している。 われわれはオバマの就任演説と就任前後の一連の動きから、次のように確信することができる。オバマ政権への期待は急速に失望、幻滅に変わるだろう。しかし、オバマ政権を押し上げた時代の変化は現実であり、変革の可能性は開かれている。 反戦運動の再構築、金融・経済危機へのオルタナティブ、労働者・農民・市民の仕事と生活と権利を守るための闘争によってこそ、この時代の変化を確実なものにしていくことができる。資本家が「百年に一度の危機」に慄く今こそ、大衆運動の力が試されている。 (小林秀史)
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