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大統領選が終わって3週間、いよいよ感謝祭ホリディ・ウイークに突入。いつまでも浮かれていてもしょうがないのだけれど、この国の経済があいかわらずガタガタのまま、というか予想どおりどんどんひどくなる一方なので、逢ったみなさんはどうしてもその話題を避けて、未来への期待を新しい英雄となるべき人物に話を集約させてしまう。
現代のモーツアルト、と金魚先生も絶賛するビートルズの名作、かれらの最後の交響曲と言ってもいい、Let it Beをバックに Yes We Can を、11月4日のみんなの笑顔と、それまでに流された涙で合唱。
このヴィデオの写真のなかに観える、世界中のどの人の眼にも希望の光が溢れている。これは現政権によって滅茶苦茶にされたこの国の民だけでなく、世界中がそれを感じている。なぜならその政権に代表されるおおぜいの悪魔たちが、その悪魔に媚び入った各国の、さらに多数の心なき人びとを加えて、世界中のすべてを滅茶苦茶にしたからだ。少なくともこの国の政治を戦争主導にしてしまった米現政権は存分に弾劾されてしかるべきだ。
いつもならこう言ってすべてを、いまだにワシントンに存在する悪魔政府とその仲間のせいにして、さっさと次の話題にかかるのだが、こと経済問題に関してもう一歩踏み込んで考えると、どうもそれでは幼すぎる。
一極金持ち大国の肩書きに頼って、飽食三昧をしていたのはだれなのか。ローンを返せる能力もないのに借金づけになり、買った家を担保に入れてなおも浪費していたのはだれなのか。すなわちまわりにいるアメリカ人のことだが、かなりの数ではあると思うが決して大多数ではないだろう。
たとえば在米の日本人や日系人と話すと、悪いのはずさんな生活をし、だらしなさを反省しようともしないアメリカ人、と口をそろえていう。自分たち日本人はちがう、と断言して正当性を訴える。確かに日本で育ったひとたちは(僕をのぞいて)この国に来ても、基本的に品行方正、質素倹約の人が多い。アメリカ人のなかにもそういった人はたくさんいる。ではそのひとたちにはまったく責任がなく、飽食でずさんだった怠け者のアメリカ人だけが悪いのだろうか。
おなじ国の空気を吸い、おなじ水を飲んでいる分際でそれはあるまい。アメリカに住む者すべてに、天がその鉄槌を下されたのだ。飽食などしてはいなかった、と自負する者も、すべてが猛省しなければならない。その鉄拳とは、新大統領がどんなに奇蹟的政策をうって成功したとしても、この国の国民が数年以上の地獄を味わうことになるだろうほどの巨大なちからの鉄のこぶしである。
もっと踏み込む。この度の恐慌が世界規模のものになり、たとえば日本が地獄に巻き込まれたとき、やはり日本に住む人は、すべてはアメリカのせいだ、とその国を弾劾し、自分たちは正しかったと胸を張れるだろうか。行き過ぎた新自由主義と市場経済、そのアメリカのやり方にひたすら追従し、乗っかっていたのは日本政府で、かれらに大きな責任があるということはわかる。それでは一般の人びと、または格差社会の底辺にいて苦しんでいるひとも含めて、弱者と呼ばれる人びとにはまったく責任がないのだろうか。
もはや政治が悪い、世の中が悪い、と言いつづけるだけではなにもはじまらない。そういう環境を造ってしまった、僕たち全員の責任だという自覚と反省こそが奇蹟を生む。日本に住まれている方はだれだって、あのバブルがはじけたあとの悪夢を決して忘れられないだろう。あの泡沫が分解する以前の80年代、金持ち日本人のずいぶんひどい、ちゃらんぽらんなお金の使い方を見た。少なくともアメリカにいると客観的に手に取るようにそれがわかり、ひどく不思議なものを見たような気がした。だがそれだって当時のごく一部の日本人の行動だったにすぎない。そしてそのあとで、日本人全員が過酷な状況で責任をとり、ツケを払わされることとなる。日本にはつい先日のそういう反面教師がいる。これからはまったくうまく立ち回ってほしいと願うばかりである。
そしてあの時の日本の状況がこれからのアメリカにやってこようとしている。最悪の場合は世界全体の経済が崩壊する可能性もある。
結局は世の中だって、政治/経済だって、われわれが変えることができる、いやわれわれしか変えることができないのだ。
オバマの言うCHANGE という言葉を創りだしたのは、ほかならぬわれわれではないだろうか。かれを選んだのは選挙権があったアメリカ人だけではない。もう一度言う、このヴィデオの写真のなかに観える、世界中のどの人の眼にも希望の光が溢れている。その光とは、オバマ氏も演説で説いたように、かれのなかにではなく、ほかでもないわれわれそれぞれのなかに灯った光なのだ。
そしていま、われわれはもういちど新大統領に希望を託すだけでなく、その時点で自身のなかに芽生えた希望の光を灯しつづけることができる。絶え間なく、永遠に。その意味で世界はすでに更なる民主的「変革」をとげてしまった、と言ってもいいのではないか。
来年1月20日に行われるオバマ次期米大統領の就任宣誓式には、全米から100万人以上、場合によってはなんと500万人が首都ワシントンに詰めかけると予想されるという。
ロックのスーパースターたちが呼び込む人の数はフットボール球場いっぱい分、フィールドにも人が溢れて、約5万人強、この程度のコンサートなら僕も過去何十回も経験している。
伝説のウッドストックには3日間で30組以上のロックグループが出演し、入場者は40万人以上だったという。’81年のサイモンとガーファンクルのセントラル・パークでのチャリティ・コンサートが53万人。昨年のニューイヤー・イヴにはタイムズ・スクエアに100万人以上が集ったという。こうなってくるとスペースの絶対量にくらべて、人間の体積のほうが圧倒的に大きいので、まったくなにも見えなかった、というひとが続出する。ただその歴史的瞬間にそこにいた、という「実感」のために人びとは押し寄せる。
米国史上初の黒人大統領誕生という歴史的な瞬間となるだけに、約24万枚の観覧券が配布され、これをめぐる争奪戦が過熱しているそうだ。オバマ氏は連邦議会議事堂前の広場で就任宣誓を行った後、ミシェル夫人や2人の娘とともに、ホワイトハウスまでペンシルヴァニア通りを行進する。
就任式のテーマは、来年、生誕200年を迎えるリンカーンの演説の一節をとって、「自由の新たなる誕生」と決まったという。
第16代大統領、エイブラハム・リンカーン Abraham Lincoln は、南北戦争時に、奴隷解放宣言を発令し、劣勢だった戦いを北軍の勝利で終結した。
その戦争のさなかの1863年、ペンシルバニア州ゲティスバーグで南北戦争史上「運命の3日間」と言われる戦いが起こった。それまで優勢に立っていたリー将軍率いる南軍と、奴隷解放を求める北軍。3日間にわたるこの戦いは、両軍ともに多くの死傷者を出すという大激戦。その時命を落とした兵士の数は3,500 人以上。しかし北軍がこの戦を制したことで、リー将軍は後退を余儀なくされる。そして南軍はそのまま劣勢に陥り、1865年には降伏宣言をして、南北戦争は事実上の終りを告げる。
ちなみに日本では戊辰戦争の緒戦となった鳥羽・伏見の戦いが、この3年後の1868年に起こっている。
リンカーンは、この戦いのあと、暗殺される2年前に、国立墓地の開所式で、「ゲティスバーグの演説」を行なった。短い演説であったが、自由と平等についてのあまりにも有名な演説になった。これまで僕もきちんと読んだことがなかったこの演説を少しなぞってみたい。
― Four score and seven years ago our fathers brought forth on this continent, a new nation, conceived in Liberty, and dedicated to the proposition that all men are created equal. ではじまる。
― いまから八十七年前、われわれの祖先は、この大陸に一つの新しい国を生み出した。それは、自由の中に宿され、すべての人間は平等に創られた、という主張にささげられたひとつの新しい国である。
そしてこの短い演説の最後の節―
― that this nation, under God, shall have a new birth of freedom ― and that government of the people, by the people, for the people, shall not perish from the earth.
― さらにまた、この国が神の御手のもとに、もう一度自由の新たな誕生をむかえるようにすること、そして、人民の、人民による、人民のための政治を、断じてこの地上からなくさないこと、である。
1863年11月19日 「ゲティスバーグの演説」
この最後の節のなかに「自由の新たなる誕生」a new birth of freedom ということばが現れる。
演説の天才、バラク・オバマは、この言葉をテーマ・コードにして、未来に向けたすばらしいインプロヴィゼーションを数十コーラス、聴かせてくれることだろう。
この新しいテーマにつづくあまりにも有名なことば「人民の、人民による、人民のための政治」はすでに先日の大統領選の勝利宣言にも組み込まれ、この民主の精神はあきらかにこの国に「いまだに残っている」ことを実感させられた。新たに実感せねばならぬほどに遠のいてはいたわけだが。
いま護憲、改憲、と論議の激しい日本国憲法にも、当然のことながら前文にこの趣旨がそのままの言葉で組み込まれている。
「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。」
政治とか権利とか、今日生きていく世間とはあまりにもほど遠いイメージがあって、うかつにも忘れそうになっていた。ほんとうに当たり前のことなのだが、民主主義とは、われわれが主人公で世界をリードしていく、という結構なものだったのである。
民主制について、話をうんと遡らせる。
金魚書きかけの連載エッセイ、アナサジとナバホ・風が見た夢の次回では、イロコイ族の末裔、ローラ・アンダーウッド著の「一万年の旅路」を取りあげる予定である。ベーリンジア陸橋を越えてこの大陸に移住したモンゴロイドたちの1万年以前からの正確な口承史、などと書くとまた眉に唾する諸氏が続出するので、ここでは著者の祖先の国、イロコイ連邦について簡単に説明するのみにとどめる。その本「一万年の旅路」の翻訳者でもある星川淳著「魂の民主主義」の内容を要約する。
― いまから900年ほど前、ニューヨーク州北部のカナダ国境に近いオンタリオ湖南岸に、通称「ピースメーカー」と呼ばれる伝説的な社会改革者が現われた。それまで長年、同族相食む戦乱を続けていたイロコイ5部族に、暴力ではなく理知と話し合いで問題を解決するよう説得を続け、平和同盟の結成にこぎつける。 1142年の建国にあたり、5部族の人びとは持ち寄った武器をすべて一本の大木の根元に埋めて、117条からなる一種の憲法「大いなる平和の法」を守ることを誓い合った。
その中には、女性が財産と子どもを相続すること、地域社会の信任を受けた族母(クランマザー)が族長(チーフ)を推薦し、それを氏族(クラン)、邦(部族)、連邦の三レベルの公開会議で承認すること、族長のリコール権は族母を支える女性たちにあることなど、直接民主制と代表民主制をブレンドした細かい社会運営の工夫が盛り込まれている。これによって、イロコイ連邦は最盛期に日本列島と同じくらいの広がりを持つ政治・文化圏を誇ったらしい。
ところが、そこへ15世紀末からヨーロッパ人が押し寄せてくる。北米東岸の最有力部族として白人たちとの交渉や摩擦の矢面に立たされたイロコイ人は、得意の外交術でオランダ人、フランス人、イギリス人と共存関係を築きながらも、ヨーロッパ勢の圧倒的な数と病原菌と技術力の前に衰退を余儀なくされた。しかし、すべての文化交流が双方向であるように、先住民側がヨーロッパ文明の感化を受けるいっぽう、白人側も先住民からたくさんのものを取り入れた。C・G・ユングは、「北米の(ヨーロッパ系)住民たちは、仇敵インディアンの魂が自分の中に取り込まれていくのを止められなかった」と分析する。そのクライマックスが18世紀後半のアメリカ独立と合州国建国だった。
13のイギリス植民地が団結して、最終的に王も貴族も持たない連邦民主制を形成した背景には、イロコイ人をはじめ先住民側からのさまざまな知恵と支援があった。制憲議会はしばしば先住民代表団を迎え、自由と平等を謳う世界初の成文憲法となった合州国憲法には、イロコイ民主制から多くの要素が取り入れられた。こうした事実は長いあいだタブーのように隠されてきたが、前述のシンポジウム前後から見直しが進み、現在イロコイ民主制の影響は認めたうえで、その実態を論議するようになっている。
60年前、自他ともに戦争と原爆の惨禍を舐めた日本人は、イロコイ連邦の建国と重なる状況で戦争放棄の平和憲法を選び取った。マッカーサーをはじめ占領者アメリカ人たちも、米国建国のインディアン・ルーツを知らぬまま、自由と民主主義の理想を日本に託した。(なまえのない新聞より転載)
1780年代の合州国憲法制定会議には、イロコイ連邦や先住民族諸国の代表団が含まれていた。かつての大統領は就任に当たってイロコイ連邦を表敬訪問するのが慣習となっており、これは近年のジョンソン大統領までつづいたという。イロコイはフランクリンやジェファーソンに幼いころから影響を与えたのみならず、独立から憲法の制定にいたる過程で具体的な示唆を与えていた。アメリカ合州国としての統合はイロコイの連邦制度や協力抜きにはなかったとも言える。
1万年以上前に移住したネイティヴアメリカンの平和民主連邦制への智慧が、この大陸にカルマとして存在しつづけ、それが合州国憲法に大きく影響し、世界に先駆けての民主主義国家を生んだ、という事実は特筆に値する。
以前の記事で、この国は建国以来ひどい暴力国家 で、相手がアメリカを攻めざるを得なくなるように仕向け、それに反撃するためやむを得ず立ちあがる、という図式のことを書いた。裏切りと暴力がアメリカ的正義という名で正当化されて無限にくり返されている、とも書いた。
この言葉たちは、少なくともアメリカがこれまでとってきた戦争主導の対外政治を語るうえで正確である。アメリカはいつも強迫的な性格神経症国家であった、という僕の歴史観は変わらない。
しかしながら、例えば幕末の封建社会で、龍馬や松蔭が感じた当時のアメリカ民主主義へのあこがれは、その後の日本人に、表裏さまざまな意味で見えかくれして、たとえば僕のこころのなかにも、いまだに大きく光と影を落としている。
八百屋の息子が大統領になることができ、その息子はまた八百屋に戻る。世襲ではなくその実力を市民が認め、かれを大統領に選ぶ。いまでこそ多くの国で行なわれている「民主制」だが、幕末の日本ではおとぎ話のなかの夢のような国に映ったのではないか。もっとも、そのかって毅然としていたサムライの国の政府は、昨今では「民が選ぶ封建世襲制」という非常に非近代的な特異形態に戻っている、という噂もある。
せっかくのイロコイ族平和憲法を、踏襲するかたちではじまった合州国憲法ではあったが、西欧人のカルマにもさまざまに毒されたかたちで、複雑な船出となる。
それから80余年のあと、南北戦争という内乱のとき、大きな反発のなかで第16代のリンカーン大統領は奴隷解放宣言を発令する。その後、ケネディーとキング師の努力で公民権運動が浸透し、民主主義の根幹に徐々にではあるが近づいていき、そして今回、初の黒人大統領の選出となった。
これは黒人に対する問題だけではもちろんない。移民が支えてきた国家などというが、このひどい格差社会のなかで、ハンディを背負ったその移民たちの処遇は、いまだに奴隷制にかぎりなく近い、と言っても過言ではない。そのひとがどんなに有能な天才であろうとも、人種を越えてこの国に移民を志した人びとに必ずのしかかる問題である。
オバマ次期大統領が、真の民主主義にむかって、この国を大きく前進させる英雄になっていただかねば、この国に移民してきた者の子孫を含めた全員がほんとうに困るのである。
風の街シカゴでは、街中が英雄リンカーンの強い意志の残る土地で、黒人たちが実に毅然と生きている感覚がある。道を尋ねたとき、どのひとからも明解な返答が返ってくる。かれらが話す英語が美しい。この国に白人とともに対等に住んでいるという、リンカーンからの無理のない位置づけが、かれらに大きな自信を与えたのだ。その街を訪ねたあと、ここNYCに住む黒人たちを観察し、しばらくは同じ民族とは思えなかった記憶がある。
オバマを現出させたシカゴの自由と平等を謳うデモクラシーの基盤は、リンカーンの時代から着々と培われたものだった、という確信がある。
新大統領となる人物ははすでに、政権スタッフを着々ときめ、一昨日には、いまから2年間で250万人の雇用を創出することを柱とした経済対策の立案を、同時に決めた新経済チームに指示したと発表した。いよいよニュー・ニューディール政策が始動する。今朝もシカゴ発のプレス・リリースがあった。なによりTV 画面に現大統領の顔を見る機会が少なくなり、かわりに精悍なオバマ氏の姿が映っているのがうれしい。イロコイ族ではないが、そのすぐとなりのマサチューセッツに住んでいたワンパノアグ族に、ターキーを振る舞われた故事にならい、明日の感謝祭には全米の食卓にターキー・ディナーが登場する。新大統領ももちろんそれに倣うそうだ。
アメリカ経済はいよいよどん底のまた底に向かっている様相だが、自分たちの生活よりも何よりも、新大統領の政策の成功を、天にむかって仰ぐ気持でいっぱいになる。
Happy Thanksgiving Day!
注: アメリカの国名については、星川淳氏の言われるように、United States の日本語は「合衆国」ではなくそのまま「合州国」と訳されるべきなので、この表記にしたがい統一しました。
http://nyckingyo.exblog.jp/8979917/