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一九三八年九月、第二次大戦勃発の一年前に第四インターナショナルが結成された。それは大恐慌とファシズム、スターリニズムの嵐が吹き荒れる「暗い時代」にロシア革命の成果と革命的マルクス主義を防衛するための孤立した闘いだった。それから七十年、第四インターナショナルは幾多の苦難を経ながら、新自由主義的グローバリゼリーションの危機の中で、新しい挑戦に立ち向かおうとしている。 一九三八年九月の結成から七十年間、第四インターナショナルは一貫して、討論と議論と論争をよびおこしてきた。 第四インターナショナルは、ファシズムの嵐が吹き荒れ、ソ連邦では反革命が勝利し、スターリニズムが全世界の革命的労働運動を圧殺するという「二十世紀の真夜中」に結成された。それ以前の三つのインターナショナルとは異なり、このインターナショナルは、労働者の闘争の波と労働運動の発展に支えられてはいなかった。第一インターナショナルは、一八四八年のヨーロッパにおける革命的爆発後の敗北の中から作り出された。第二インターナショナルは、一九世紀末から二十世紀初めにかけての労働運動組織の発展を体現していた。第三インターナショナルは、ロシア革命を経て出発した。しかし、第四インターナショナルは、労働運動の歴史的な大敗北の時期に、逆流に抗して立ち上がった。また、とりわけトロツキーは、第一次世界大戦とロシア革命の後の第三インターナショナルにならって、第二次世界大戦後の大衆的な第四インターナショナルの発展を予測していたのであって、とりわけトロツキーをはじめとする一定のいくつかの予測に反して、第四インターナショナルは、少数派組織にとどまり続けた。 逆流に抗して 第四インターナショナルの起源、それはスターリニズムに対する左翼反対派である。それは、国際主義によって刻印された、世界に対するひとつの展望を維持してきた。この国際主義は、その当時すでに生まれていた資本の一定のグローバリゼーションから由来するものであり、スターリンの「一国社会主義論」に反対するものであった。そのすべての闘いは、次のような理論によって組み立てられていた。すなわち、階級闘争、社会主義に向かう過渡的綱領の諸要求、労働者と労働者組織の統一戦線、工業諸国の階級協調政府――「左翼連合」や「多元的左翼」というのはこのバリエーションを定式化したものである――に対してだけでなく、帝国主義支配下の諸国での民族ブルジョアジーに対してもまた、労働運動の独立性を保持すること、という理論である。歴史はこれを永続革命論として記憶に留めることになる。多くの評論家が先の二十世紀の世界に対する自らの分析をアメリカと旧ソ連邦という陣営あるいは国に限定したのに対して、第四インターナショナルは、自国の帝国主義やソヴィエト官僚体制と闘う人民や労働者の闘争を前面に押し出した。 新しい時代 ところでもちろん、このことは、政治的誤りや過失なしになされたわけではなかった。われわれの潮流は、スターリニズムと闘い、官僚体制に反対する東欧人民との連帯を表明してきたが、全般的にスターリズムの破壊的作用の大きさを過小評価した。この破壊的影響の深刻さのために、ソヴィエト・ブロックが崩壊した際に、反官僚政治革命や民主主義的社会主義のための大衆運動の余地は残されず、資本主義復活の余地しか残されていなかったのである。植民地革命へのわれわれの連帯の中でも、すなわち、生きた革命に対するわれわれのこの熱情の中でも、われわれはスターリニズムの問題と結びついた問題を過小評価した。われわれは十分に批判の義務を果たさなかった。しかし、第四インターナショナルの諸組織は、組織規模が小さいという問題としばしば関連する別の弱点をも示した。すなわち、宣伝主義的性格、一定のセクト主義的誤り、より大きな政治勢力に対しては(これらは一般に、改良主義政党に対してだが)政治的アドバイザーになるというスタイル――われわれは、そうした政治勢力に対しては「われわれにはそれはできないが、あなたたちがそれをやれ」と言ってきたのである――などがそれである。 フランソワ・サバドは、第四インターナショナルの国際執行委員であり、LCR(革命的共産主義者同盟、第四インターナショナル・フランス支部)の全国指導部の一員である。 |