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【行政調査新聞】揺れるチベット・目的は北京五輪への圧力!:事態の真因を探る
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http://www.gyouseinews.com/international/apr2008/001.html
(行政調査新聞:行政調査新聞社 社主:松本州弘 埼玉県川越市)
揺れるチベット・目的は北京五輪への圧力!
事態の真因を探る
4月6日にロンドンで行われた聖火リレーでは、チベット独立を支持する市民団体のデモや妨害行為が激しく、ロンドン警視庁は2000人規模の厳戒体制を敷いたが、逮捕者37人を出す騒動となった。その翌日、4月7日には、パリの聖火リレーに対する妨害行為は一層激しいものとなり、全28キロを予定していたリレーは、残り6キロの時点で断念。聖火を消してバスで搬送することとなった。
さる3月14日以降、中国のチベット自治区を中心に起きた騒乱、暴動事件は、いまなお北京五輪をターゲットとして世界中を賑わしている。世界中のメディアは中国に対して批判的だが、真実はどうなのだろうか。検証してみよう。
●チベットの歴史
「チベット」と聞くと通常は中国の「チベット自治区」のことだと思う。ところがチベット民族の多くはそう考えていない。いや中国の人々もまた、「チベット」と「チベット自治区」とがイコールだとは考えていないのだ。
遙か古代から中国の王朝は「中華思想」に立脚した世界観を持っていた。辺境の属国は、中国王朝に朝貢すれば敢えて自国の領土には組み入れないという政治理念があった。そうしたなかで、チベットは中国の属国として存在してきたのだ。ここでいうチベットとは、現在の「西チベット」、「中央チベット」、「青海省」を指す。
17世紀に中国を支配するようになった清国は、広大なチベットの一部、東北部分を「青海省」として自国の領土に組み入れた。さらに清国は、18世紀になってから、中央チベットと西チベットに派兵。ここに官吏を置いて自国領にしてしまった。つまり全チベットが清国の領土になったのだ。
その約200年後、20世紀に入った1912年、清国が崩壊する。
中国は中華民国に生まれ変わったのだが、誕生したての中華民国は中国全土を掌握できる実力を持っていなかった。この機会を狙うかのように、ダライ・ラマ13世(先代のダライ・ラマ)が「独立宣言」を行った。
このときダライ・ラマ13世治世のチベットは、国旗も制定し国軍も保有したのだが、じつは国際社会はどの国もチベット独立を認めなかったのだ。なぜ認めなかったのか。それは広大な中国に利権を求めた西欧列強は、中華民国がチベットを支配していたほうが、のちのちの利権に繋がると考えたためだと考えられる。だがチベット側は独立したと主張し、中華民国側はそれを認めないものの、制圧できる実力も持たなかった。
中華民国誕生の2年後、すなわちチベットが独立宣言をしてから2年後の1914年、英国は仲裁案として「シムラ条約」を提示する(シムラとは交渉場となったインドの地名)。その内容は、中華民国がチベットを統治できる権利を保有するというものだった。ところが中華民国がこの条約を批准しなかった。なぜか。この条約の中に、中国大陸全土を掌握しようとする英国の野望があることを中華民国は見抜いていたからだ。
つまりこの時点では、チベット側は独立を主張し、中国側はそれを認めず、国際社会もまたチベットは中国の領土だと考えていたわけだ。
大東亜戦争直前の中国は、軍閥が支配する群雄割拠の時代だった。大東亜戦争で日本が敗れた後には、蒋介石・国民党軍と毛沢東・人民解放軍との内戦が戦わされた。最終的には1949年に毛沢東・共産党軍が中国全土を掌握した。
蒋介石・国民党軍を台湾に追いやった毛沢東は、翌1950年にチベットに派兵(毛沢東による「チベット解放」)し、チベット全域を中国の「地方行政府」に繰り入れた。清国崩壊以降、中国中央政府の弱体ぶりの狭間を縫って独立を唱え続けてきたチベットだったが、毛沢東・共産党軍にはまったく歯が立たなかった。そこでチベットは、国連に対して「中国の侵略」を訴えたのだが、またしても国際社会はチベットの訴えに耳を貸さなかった。国際社会にとってチベットは、中国の一部としか見なされなかったのだ。
1950年以降のチベットでは、中国共産党政府による「チベット共産化」が進むなかで、僧侶を中心とした一部チベット人たちの不満が高まっていった。そうしたなか、北京中央政府はチベットの「自治区」としての権利を大幅に認める懐柔策を採るようになる。ダライ・ラマ14世(現在のダライ・ラマ)を共産党政府の重要ポストである全人代副議長に迎え、次にはダライ・ラマ14世をチベット自治区のトップに据えたのである。
だが、チベットの僧侶・貴族等の特権階級を中心に、北京政府に対する抗議運動の火の手は収まらない。1954年にはダライ・ラマ14世とパンチェン・ラマが揃って毛沢東・周恩来と会見し、事態の安定を求めたのだが、一向に収まらない。こうして1959年3月、ダライ・ラマ14世は僧侶・貴族等の特権階級と共にインドのダラムサラに亡命することになったのだ。
この亡命の際には、中国の人民解放軍が国境までダライ・ラマ14世を初めとする亡命者グループを送り届けている。亡命政府は命懸けで夜逃げしたのではなく、中国の了解の下、国を捨てて逃げ出したと表現するのが適当だろう。
だがそれ以降、ダラムサラのチベット亡命政府は、中国に対する圧力拠点としての地位を確立する。結果、世界中から潤沢な資金を得られるようになっていった。
また、チベット亡命政府成立から近年に至るまで、中国とインドが対立関係にあったことも彼らに幸いだったと言える。
●2008年北京五輪
1978年に中国の実権を掌握した搶ャ平は、改革解放経済を推し進めた。その後を継いだ江沢民政権は毀誉褒貶が激しく評価は難しいが、対日関係に限れば、江沢民によって両国間は修復不能なまでに傷つけられたと考えられる。
2003年に国家主席に就任し、2004年に全権を掌握した胡錦涛は、日中関係修復に努めるいっぽうで、国際社会に対して開かれた中国をアピールするようになっていった。
そうしたなかで、2008年北京五輪、2010年上海万博の開催が決まったのだ。
北京五輪開催にあたり、胡錦涛政権が怖れるのは、この機会を狙ってチベット独立運動、新彊ウイグル独立運動が起きることだ。とくに問題となるのはウイグル。この地域はアラブ民族、イスラム教徒が多数を占めており、ウイグル独立運動は対イスラム戦にまで拡大する可能性を秘めている。そのウイグル独立運動が勃発するとすれば、それはチベット独立運動が火付け役になるだろう。日本人には皮膚感覚として理解しづらい面があるが、中国には50を越える民族が存在している。1民族1国家などという原理を押し付けたら、中国は国家そのものが崩壊してしまうのだ。
そこで胡錦涛政権は、密かにチベット亡命政府との関係修復に乗り出した。ダライ・ラマ14世の実兄と会談を何度も重ね、ダライ・ラマ14世のチベット自治区帰還までが俎上に上ったと伝えられる。中国政府に近い筋からの情報によると、ダライ・ラマ14世本人もまた、中国への帰還に乗り気になった模様だという。この環境を作り上げた一因として、中国とインドの最近の親密ぶりも考えられる。
だがそうなると問題なのは、ダラムサラにいるチベット亡命政府の貴族、僧侶たちである。彼らはダライ・ラマ14世を飾り物として祀る利権集団であり、ダライ・ラマ14世が中国に帰ってしまったら存在価値がなくなる。その焦りが彼らを衝き動かしている。そして、さらに問題なのが、チベット亡命政府を資金的に支えてきた英国資本家勢力や米国CIAの存在である。
●世界的激変期を前に
ひと昔もふた昔も前に、ノストラダムスの大予言というものが話題になった。1999年7月に地球大異変が起きるとか人類が滅亡するとかといった予言だった。最近では2112年12月に地球がフォトン・ベルトに突入して大異変が起きるとの話もある。
だが、そうした神がかり的予言とは別に、今年2008年こそが激変の年なのかもしれない。そうした予兆があちこちで見られる。
アメリカの大統領予備選を見ても、先行き不透明感が強い。共和党はマケインで決まりだが、民主党のオバマ対クリントンは決着が着きそうにない。ブッシュ共和党に愛想をつかした米国民が民主党政権を望むのは当然だが、もしこのままオバマ・クリントンが縺れた場合、敗れた方が第三の候補として立候補する可能性もある。そうすると、マケイン・オバマ・クリントンの三つ巴すら考えられるのだ。だがそんなことより、現大統領ブッシュそのものが危険な状態にある。任期満了前にブッシュが退陣する可能性も高まっているのだ。
この混乱状態を作り上げている背景に、経済覇権の問題がある。詳述するのは難しいが、極めて簡単に述べると、以下のようになる。
かつて世界経済の覇者はロスチャイルド一族が握っていた。ところが第二次大戦を契機に、ロックフェラー一族が覇権を握る。そのロックフェラー支配がいま、翳りを見せ、再びロスチャイルドに移行するか否かの瀬戸際にあると考えられる。サブプライム・ローン問題も、チベット問題も、本質はここに繋がっているのかもしれない。ダラムサラのチベット亡命政府の資金源は、ロックフェラー、クリントン一派と考えて良いのだ。
サブプライム・ローン問題は当然ながら、今後なお危険な数字を世界中に提示するはずだ。そうなると世界大恐慌どころでは済まない。日本の銀行や生保のなかには、存続できない者が出てくる可能性がある。
世界が大激変期を迎えようとしている現在、日本の政治家は何を考えているのかと言うと、まったく無能ぶりを曝け出しているだけだ。流石に庶民大衆もうんざりしているだろうが、思わぬ評価も受けている。欧州の某金融機関のトップの地位にいる人物がこんな評価をしていたのだ。
「日本という国は凄い。サブプライム・ローンで世界中が苦しみ、日本の支援を要求しようとしたら、日銀総裁が決まらないと言ってきた。日銀総裁が空位だから何も決定できません、何も支援できませんと。官民一体となってトボケている。こんなに恐ろしい国は、ない」
彼は本気でそう言ったのだが、日本人は真実を知っている。高等戦略で日銀総裁を決めなかったのではない。単純に政府が無能だからだ。
福田自民党に期待する大衆など皆無に近いだろう。そして同様に、小沢民主党に期待する大衆もいないはずだ。
衆院解散、総選挙がいつになるのか見通しは立てにくいが、遅れれば遅れるほど、政界再編の可能性が高まる。この激変期、世界に先駆けて、まず日本が変わる可能性もある。それも途轍もない変革・変容だ。
そうなるために、自らを変革させる必要がある。価値観がガラリと変わる世界が、恐らくは今年中に出現するだろうから。■
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